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恋人と外で手を繋ぐのが怖い(書いた人:かがり)

私の恋人、あられは見た目が女性のクエスチョニング。そして私は女性。
恋人とデート中に手を繋ぐ。そんな当たり前のことが、私は怖いと思ってしまう。

あられといる時間は幸せで、スキンシップは好き。
手を繋いで歩くと、体も心も繋がっているようで気持ちがあたたかくなる。
でも、頭の片隅には暗くてちくちくする不安がある。

通りすがりの人に、気持ち悪いって思われたら嫌だな。もし心無い言葉を聞いてしまったらどうしよう。
そんなことをいつも考えてしまう。

近所を手を繋いで歩いていたとき、乗っていた自転車を止めて、私たちの方をじっと見てきた人がいた。
その人をよく見れなかったから、もしかしたら私たちを見ていたわけじゃないかもしれない。でも、怖かった。

大きな公園を手を繋いで歩いていたとき、前から大人数のグループが話しながら歩いてきた。わいわい話していた中「きもーい」とだけ聞こえた。
たぶん、私たちのことじゃないだろう。考えすぎなのはわかってる。でも、よくない想像が止められない。

私は「社交不安障害」と診断をもらうくらい、人への不安や恐怖を抱いてしまう。
今は症状がかなり軽くなったけれど、前までは普通に外を歩くことすら怖かった。

手を繋ぐあたたかさだけを感じて歩けるようになるまで、どれくらい時間がかかるだろう。

おばさんになるまでかかるかもしれない。おばさんになったら、もっと手を繋ぐことが難しくなるかもしれない。男女でさえ、中年で手を繋ぐことを笑う人がいるらしい。

おばさんになる頃には今よりも、様々な形の愛への理解が深まっているだろうか。深まっていると信じたい。


こんな時代、こんな私だけれど、少しずつ、外で手を繋ぐ時間を増やそうと思う。

私も、あられと手を繋いで歩きたい。
手を繋いでいても、穏やかな心でいられるようになりたい。

そのためには、思考を整えて、信念をもって、なにより挑戦していかないといけない。

私が普通に外を歩けるようになったのは、雷に打たれて治ったようなものだった。

父が兄に包丁を投げ、警察沙汰になり、私は精神が壊れた。妄想の症状が出て統合失調症と診断されたのだが、その妄想は「すべての人が私のことを愛している」というものだった。今は妄想の症状が無くなったが、人への恐怖が薄くなった。
雷に打たれたような偶然で、衝撃的なできごとだった。

だがきっと、思考を整えて、信念をもって、挑戦して、少しずつゆがみを正していったから、雷で治ったんだと思う。

もう雷に打たれることはないだろう。今度は地道に少しずつ、私自身が私自身の力で不安を振り払っていくしかない。

私のためにも、あられのためにも。前を向いて進んでいこう。

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