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初めての就活2|A&A Japan

これからはコンピュータ時代だと思い、米国半導体メーカーのフェアチャイルド社を会社訪問。

応対に出てこられた方が、九大卒の方でした。これも縁ですね。私が国際法で履修した九大の伊藤名誉教授の教え子だった方で丁寧に応対して下さいましたが、言外にこの会社には来ない方が良いというメッセージを受け取りました。FC社が日本から撤退したのはそれから直ぐでした。

訪問と違って、社長面接からスタートしたのが大内教授紹介のA&A Japan, A Division of Tandy Corporation社。Radio Shackの買付部門でした。

1970年代後半のマイコン TRS-80
CPU Z-80 RAM 4KB

80年代初頭、全米でセブンイレブン店舗数より多い7000店舗近い小売店を持ち、日本を始めアジアからOEMで家電からコンピュータ製品まで幅広く製品ラインナップを拡大。

米国以外にもカナダ、日本、オーストラリア、UK、ベルギーやフランスまでチェーンストアと飛ぶ鳥を落とす勢いのある成長を続けていました。

会社紹介を受けた後、英会話力を試験するのにアメリカ人駐在員と何でも好きに会話してご覧なさいとの指示。やばい〜コンピュータやビジネスの話なんて語彙力から考えると到底無理〜と不安がよぎったのを覚えています。

やって来た2人は、双方とも日系2世で20代の同世代だったこともありリラックスムードからスタート。

留学経験あるらしいけど何処の大学?という質問にSDSUだと応えると、えっ⁉️と驚きの反応。何と2人ともSDSU卒業生で今度はこちらが驚く番。そこからはビジネスやコンピュータの話題など一切なく、キャンパスライフの話に華が咲き英会話面接終了。

面接には出て来なかった営業本部長が何と西南学院の先輩で大内教授同級生の内海さんでした。

縁もこのままでは終わらず、既に会長になられていた会社創設者の山縣一家が、戦後満州から引き揚げて暫く住んで居られたのが故郷防府と知った時には、鳥肌ものでした。何だか運命も感じる出逢いでしたが、早速内定がもらえ、遅い就職活動スタートでしたが、お陰様で就活は1社で終了。

ここから外資系企業で働き、気が付くと述べ在米生活が20年になるとは夢にも思わない社会人スタートとなりました。

#ビジネス #転職 #キャリア

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