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芳しきライナーノーツ


 ライナーノーツ

 それはCDのケースにさしこまれた小冊子で、主役である音楽を引き立てるためのいわば添え物である。なかには読まないで放っておくひともいることでしょう。

 それは実に不思議なものです。目に見えぬ音楽を封じ込めたものがCDであるなら、それをさらに言語化しようと努めるのがライナーノーツといえよう。まるで、翻訳のさらに翻訳といったような。

 その多くが、作曲家や曲目の解説に費やされますが、なかにはひとつの読み物として耐え、さらにはそれを超え、名著の輝きを放つものが稀にあります。

 今回はそのひとつをご紹介したいと思います。


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サン=サーンス ヴァイオリン・ソナタ集


奏者:ミッシェル・ベネデット(ヴァイオリン)
   アニー・ダルコ(ピアノ)
 


◆サン=サーンスの音楽  金子篤夫

 
 私の手許に一冊のカレンダーがある。一昨年、欧州を旅した友人からザルツブルクの土産に贈られたもので、モーツァルトゆかりの絵や彫刻、建物の写真が刷られた12葉である。(中略)1791年死の年まで続けられたモーツァルトの数々の旅の経路が、童画風に美しく描かれている。短い生涯の間にあれだけの作品を書きながら、モーツァルトはなんと多くの旅を――それを通じて恩寵にも等しい影響を受け、また、人々に彼の名を高からしめることにはなったにしても――旅から旅への生涯とでもいった風にし続けたことだろう。
 サン=サーンスのことを考えながら私が思い出したのは、この8月のカレンダーである。いやそうではなくて、去年の夏、色とりどりの線で結ばれたヨーロッパの街々の図を眺めながらサン=サーンスを連想したことを、思い出したのである。
 
 サン=サーンスも、実に多くの旅をした。(中略)フランス国外への旅行だけを数えてみても、その数は優に130回を超える。ピアノ奏者としても名手の誉れ高かったサン=サーンスは、自作品の演奏に、指揮に、これらの旅を殆ど絶え間なく、生涯にわたって続けたのである。旅行家のそれにも比すべき旅の年表を評して、ファスケル音楽事典が婉曲な口調ながら“うんざりする”というほどに、それは倦むことなく続けられた。鉄道が馬車に、汽船が帆船に替わったとはいえ、重なる旅が、サン=サーンスにどれほど多くの時間を費やさせることになったかは、想像に難くない。しかも、モーツァルトの旅が、彼の人格と音楽様式の形成に影響を与え、それを決定するまでに深く人間と音楽そのものに関わったのに対して、サン=サーンスには、そうした影響は殆どみられない、(中略)勿論、旅の先々で未知の様式に触れ、そのことが啓示となり得たモーツァルトの時代では、もはやなかったし、サン=サーンスの旅は、自己形成の後に始められる。居ながらにして識り得る音楽上の動静も、過去の量の比ではなかっただろう。だが、状況は違っていたとしても、サン=サーンスは、やはり彼がそうであったようなサン=サーンスで、在ったのではないか。
 
 
 
 作品の数においても、彼が書き遺した楽曲――作品番号にして169、他に11曲のオペラを含む諸作品、とりわけ膨大な量の歌曲――は、86歳の恵まれた長寿の所産とはいえ、同時代の他に抜きん出て多い。
 ここから、おのずと一つの像が結ばれる。瞑想するよりも、行動しつつ作曲する精励家。早くに自己の美学、様式を形成し、発展、熟成はあっても、変貌を遂げることのなかった信条家。反復を意に介さぬ、反・近代思潮の持ち主。
 これがそうである。
“芸術はKönnen(能力)からではなく、Müsse(必然)から生まれる”と、シェーンベルクはいった。内的必然が促さぬ限り一音符たりとも書かぬ作曲家の精神に、聴く者の魂をもっとも深いところで打ち揺するその結実に、私たちは、創作という行為の根源から完結への理想の姿を見つづけてきた。そのことは疲弊と深刻さを伴いこそすれ、正しい。サン=サーンスは明らかに、Könnenから作曲するタイプの作曲家だった。彼は能力のおもむくままに、あたかもただ書けるからとでもいった風に書く。裡なるデーモンの顕れを、個人的感情の流露を、彼はむしろ惧れ、戒める。彼が意図したところは常に、古典的均整と明快さにあった。命題は外にされる。こうして、彼にとっての作曲とは、外在するその命題を解くことに他ならなくなる。すなわち、デュフルクのいう「厳密な設計、明晰な構築、論理的展開、節約された線的・和声的手段」の綜合である。瑕瑾かきんは罪悪であり、あり得べからざることであった。そこにあるのは、ベルリオーズに“この青年はすべてを識っているが、未熟さに欠けている”といわしめた完璧さと、ドビュッシーをしてクローシュ氏に“古今の音楽にあんなに通じていたために、ちと個人的すぎるような欲望によって音楽をねじ曲げることには、彼はけっして賛成できなくなったのさ”と辛辣に語らしめた、古典への通暁つうぎょうと揺るぎない信頼の念である。だからこそ彼は、もう一度デュフルクの言葉を借りるならば、“ドビュッシーや、フォーレや、ラヴェルの革命から何ものも受け入れずに20世紀まで生き残った”のである。練達の手腕をもってされた作品の堆積は、易々たることであったろう。それらに、≪作品個々の個性化≫という近代の創作意識の反映が認められないことも、当然といえよう。

 
 こうした音楽を評して、サン=サーンス自身の言葉にまさる定義はない。

 曰く

 “私にとって、芸術とは何よりもまず形式なのだ”

 “独創性を追い求めることは、芸術にとって致命的なことだ。独創とは生来の、自然なものなのだ。意思や研鑽によって独創性が生まれるのではない。奇矯、支離滅裂、錯乱に至るだけだ”

 “典雅な線と、調和のとれた色彩と、和音の美しい連続に充分な満足を覚えないような芸術家は、芸術というものを理解していないのだ”

 “あらゆる誇張を慎め”

 また

 “芸術は深淵の中へ降りてゆく権利、暗鬱たる、あるいは荒涼たる魂の密やかな襞に忍び入る権利を持っている。この権利は義務ではない”

 そして何より

 “良くできているものはすべて偉大なのだ”

 何たる信念!
 

 1835年から1921年に至る彼の生涯は、音楽史上のロマン期から現代に及び、例えを音楽作品に引くならば、シューマンの『謝肉祭』からアルバン・ベルクの『ヴォシェック』までが、第一次大戦前の革新的な諸作と共に、そこに包含される。ちなみに彼が生をうけた年、ロマン派の巨匠たちはいずれも未だ健在であり、ベルリオーズ32歳、メンデルスゾーン26歳、ショパンとシューマン25歳、サン=サーンスが後年、深い畏敬の念の裡に親交を受けることになるリスト24歳、ヴァーグナー22歳、盟友フランク13歳、ブラームスは2歳年長であった。このような時代に据えて彼の存在を考えてみるとき、サン=サーンスの作風に終生変わることなく一貫する<反・主義主張>とも呼ぶべき客観的姿勢は、異とするに足ろう。あえて求めるならば、ロマン主義者たちの中での古典家メンデルスゾーンに近いと言い得ようか。しかし、比類なく精緻な仕掛けの音楽家ラヴェルが規範と仰いだ点こそまさにそこのところと、加うるに、告白の忌避、無欠への意思とその達成にあったろう。
 
 サン=サーンスへの批判録を編むことはやさしい。個性と独創性の欠如、楽想の凡庸さが、まず俎上に載せられる。保養先のアルジェのホテルで、音階を弾きながら死んだと伝えられるまでの“鍵盤の体操に対するマニア的情熱”、“音楽よりもむしろ音符が問題とされているように思われる”というコルトオの辛い表現にも、サン=サーンスの、演奏と作曲に一貫する音楽観が正確に言い当てられてある。そう、彼にとっては、「何をいうか」よりも、「如何にいうか」が、問題だったのだ。“私が愛したのは、バッハでもベートーヴェンでもヴァーグナーでもなく、芸術なのだ。実際のところ、私は折衷主義者である”とサン=サーンスのいう<折衷主義>も、攻撃の恰好の的となる。
 
 彼は、フランクのようには楽派をつくらず、他に及ぼした影響も、作品を通じてより、ロマン・ビュシーヌと協力して設立した<国民音楽教会>に依る、フランスの器楽、なかんずく交響作品の興隆を図った実践活動に、より大きく現れた。
 
 しかし、あらゆる批判を承知の上でなお、私はサン=サーンスの作品を、すべてとはいわないまでも、愛する。あの流麗闊達な音の流れが与えてくれる、他の誰からとも異なった愉悦を、おどろおどろしいデーモンの呪縛から解き放たれた爽快さを思えば、そうしていけない理由が、私にはないからである。
 “私は、りんごの木がりんごの実を結ぶのと同じように作曲する”と彼は好んで口にしていたという。シェーンベルクも、ガーシュインの死を悼んだ文章の中で、同じ表現を用いてこう言う。“芸術家とは、りんごの木のようなものである。ときがくれば、みずから望もうと望むまいと木は花を咲かせ、実を結びはじめる。そしてりんごの木は、市場の人々が、彼が生み出したものを何と呼ぶか、知りもしなければ考えてもみないように、本当の作曲家も、彼の作品がまじめな音楽の専門家の気に入るかどうか、考えもしない。彼はただ、自分が何かいうべきであることを知り、そして、それをいうのである”。
 
 私には、ガーシュインを大サン=サーンスと同列において考えるつもりは毛頭ない。が、芸術家である前にまず職人であるべき当然を実践したサン=サーンスに、多くの場合、<何か>が欠けていたことは、確かだった、だが、誰もその存在を保証し得ぬ、曖昧模糊たる<何か>を頼む愚かさを、他の非難に対してと同様に、彼は自らの言葉でたしなめている。言葉よりも雄弁に答えているのは、彼の音楽である。
 私たちは、全的<芸術>を求めたがる。それが正しいければ正しいだけ、危険は、創作の側と等しく、享受する側にも、待ち受けているのである。
 



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