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イソヒヨドリからのプレゼント     【ショートストーリー 1】

「うっざぁ」
「あいつ マジでヤバ」
朝の冷たい空気に肩をすぼめ教室に向かっていた雄太は
晩秋色に色褪せた寒々しい裏庭に教官の姿を見た

自作らしき止まり木を立てようとしている教官の姿を見て
ここ最近の教官の不可解な行動の理由に気づき
無性に腹が立った
それが自分のためにしてくれていると分かって
二週間前に感じた恥ずかしさを思い出し
尚更イライラした

自分のために止まり木を作ってくれた教官に対して
本当は腹を立てているのではないと分かっているが
素直に喜ぶことが恥ずかしくて
「あー うっざぁ」
と心の中で繰り返し
「チッ」と舌打ちをして
教室へ急いだ



この少年院では7時40分に集団で朝食をとるのだが
二週間前のその日は各自居室で朝食をとっていた
朝から違う居室で喧嘩があり
集団での食事を取りやめ各自居室でということになったのだ



3人部屋で静かに食事をしていると鳥の囀りが聞こえてきた
「ピーピロリ ピロリ ピーピピ」
高音のとても澄んだ綺麗な声だった
遠くの仲間に向かって何か言っているような
真っすぐにどこまでも通る凛とした響きに
思わず聞き入ってしまった

窓から見える空は真っ青で
雲ひとつない澄みきった青空を
強くて美しい囀りがどこまでも
響き渡っていくように感じた


「きれいな声やなぁ なんの鳥か知ってるか」
見回りの教官にそう声をかけられ
「チッ」と舌打ちをし慌てて味噌汁を掻き込んだ
うっとりと聞き惚れていた姿を見られた恥ずかしさに
無性に腹が立ったのだ




それからしばらくして
居室の裏庭で何かをしているその教官を見かけるようになった
だいたいいつも同じ時間
朝礼から午前中の授業が始まるまでの間に
雄太の居室の窓の外で何かごそごそしているのだ
白髪の目立つその田中教官は60歳ぐらいだろうか
がっちりとした体格で
号令の声も太く威厳ある田中教官が
ごそごそしているのがとても気になっていた

初めの頃は草むしりでもしているのか
溝でも詰まって排水がうまくいかないのか
と思っていた雄太も毎日毎日裏庭の自分の居室あたりでごそごそしている田中教官の行動が
気になって無視できなくなった

本のようなものを小脇に抱え空を見上げていたり
透明な袋に入った茶色いものを地面に撒いていたり
何やら呟いては首を振って溜息をついたりもしていた

雄太にとってそんな田中教官の様子は
不可解としか言いようがなかった

そんな田中教官が今雄太の居室の裏庭に
止まり木を立てようとしているのだ
止まり木を立て餌を撒いて
綺麗な声のあの鳥を呼ぼうとしているのだ
もう10日以上も毎日毎日
自分のためにあの綺麗な声の鳥を呼ぼうとしていたのだ

雄太には理解ができなかった
自分のために必死で何かをしてくれる大人がいることも
何の得もないのに必死にやる意味も
全く理解できなかった
そんな大人がいることは在り得ないと思って生きてきた
だから目の前のそんな大人を素直に受け入れられなかった


それからも毎日 田中教官の挑戦は続き
2mほどの止まり木の上には鳥の巣らしきものまで作りつけられていた
諦めず繰り返される田中教官の理解できない行動を目にするたびに
雄太は苛立ち不快な表情で
「チッ うっざ」
と小さく吐き捨てていたが

毎日毎日悪戦苦闘する田中教官の姿を見ているうちに苛立たしい気持ちが少しずつ無くなっていくことに雄太自身も気づいていた
雄太が舌打ちしなくなる頃には田中教官を見る雄太の表情は優しくなっていた


そんな雄太の変化に気づいたのは八木教官だった
若くて細身の精悍な顔立ちをした八木教官は
なかなか少年院の生活に馴染めない雄太のために鳥を呼び寄せようとしている田中教官に聞いたことがあった
「何しているんですか」

「雄太が鳥の囀りに聞き惚れていたからまた聞かせてやろうと思ってね」
「多分イソヒヨドリだと思うんや」

「鳴き声を聞いただけで鳥の種類が分かるなんて凄いですね」

「いやぁ 娘がスマホで探してくれたんや」
「今は便利やねぇ スマホで鳥の鳴き声も調べられるよ」
「イソヒヨドリの好きな餌を撒いてみようと思って」

そう言って表紙に綺麗な鳥の写真が映った本を
パンパンと叩く田中教官のなんとものんびりとした口調に少し呆れて
イソヒヨドリを呼ぶなんて無理だろうなと思っていたが
田中教官の行動が雄太の心を変えたと分かって
八木教官はちょっといいことを思いついた


ある日雄太はあの高音の凛とした美しい囀りで目を覚ました

「ピーピロリ ピロリ ピーピピ」

「あっ あの鳥だ」
慌てて飛び起き窓から外を見た雄太は
止まり木に立てかけた脚立の上にのぼり何かを鳥小屋の中に入れようとしている八木教官を見つけた

思いがけない光景に驚いた雄太は
慌てて飛び起きた雄太につられて同じように外を見ている同室の佐田君と轟君に向かって『何してんの?』と首をかしげてしまった

今まで同室の二人にさえ
こんな素の表情を見せたことがなかったのに
思わず『教官何してんの?』と二人に笑いながら首を傾げた自分に驚いた
でも不思議と恥ずかしいという気持ちは湧いてこなかった
少し照れたが目を逸らすことなく二人に笑顔を見せ続けることができた自分が少し嬉しかった


朝食のときに初めてイソヒヨドリの囀りを聞いたあの日の
田中教官と雄太とのやり取りを見ていた二人だったが
すぐには自分達に向けられた雄太の笑顔の意味も八木教官のやっていることも理解できなかった
それでも今何やら嬉しいことが起きているということは感じられ
雄太の笑顔に応えるように少し不自然ではあったが笑顔を浮かべた

雄太が再び八木教官の方に目を向けると
八木教官が小さなボイスレコーダーのようなものを
こちらに振って笑っていた

本物のイソヒヨドリではなく八木教官が録ってきた声だと分かったが
雄太はちっとも腹立たしい気持ちや残念な気持ちにはならなかった
それよりもフッと田中教官の喜ぶ顔が浮かんで
八木教官と一緒にミッションをクリアできたような
協力して何かを成し遂げられたような
達成感と心の底から湧いてくる喜びを感じて嬉しくなった


「おー 来たか」
「イソヒヨドリ 来たか」
「あれイソヒヨドリや 来たな」
「聞こえるか」

誰よりも喜ぶ田中教官の声が聞こえた
居室に面した裏庭とは反対側にある廊下を歩く田中教官からは
ボイスレコーダーを振り上げる八木教官の姿は見えなかった

本当にイソヒヨドリが来たと信じた田中教官は
雄太たちの居室を覗き込み満面の笑みを浮かべ
嬉しそうな声を張り上げた

「来たな 来たで イソヒヨドリ」
普段の威厳のある太い号令なんかよりも
真っすぐにどこまでも響き渡っていく田中教官の声だった

田中教官の言葉で全てを理解した佐田君と轟君も嬉しくなって
雄太と同じように素の笑顔を浮かべ雄太を見た

構えることを忘れた三人の素直な笑顔を見つめる田中教官も
窓に近づきその四人を見ている八木教官も
そこにいるみんながとっても幸せな気持ちになった
ポワーンと暖かい空気に包まれているような
陽だまり中にいるような柔らかい気持ちでしばらく笑い合った


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