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矛盾のなかを生きる、その先には。

頭上には、それはそれは静かな、星の見える暗い空。
地上では、もう秋の虫たちが鳴いていて、隣家からは時折楽しげな笑いが聞こえている。

お向かいのおじいさんは昨年亡くなって、いつも朝4時くらいからついていた台所の蛍光灯は、もう二度と灯されない。
誰も住んでいない家特有の、静寂。

ああ、横の部屋からまた娘たちのケンカと、夫の叱る声。窓を開けているものだから、近所に響き渡ってうるさいなあ。私も怒鳴っているとき、聞こえているんだろうなあ。恥ずかしい。

静寂と喧騒。
その度ごとに、揺れ動くわたしの心。
静けさからは平和と安定をもらうが、惰性と倦怠感が生まれる。
騒がしさは苛立ちを生むが、人がそばにいるんだという安心感が得られる。

矛盾のなかにあって、どちらにせよ逃れることはできない孤独感は、いつからわたしの心に住み着いたのだろう。その孤独も、いらぬものなのか、必要なものなのか。

恋をしていたときは、何もかもが冒険だった。
あなたが待っているという不確かな確信だけで、気軽に飛行機に乗って、あなたが居る所ならば何処へでも旅をした。
明日どんなところで泊まって、どんなベッドで眠りにつくかわからないことにワクワクした。なにも食べなくても、胸いっぱいに満たされていたあなたの腕の中と瞬間の連続。
誰かと一緒にいるために、強く大胆になれるわたしがいた。
だけどあなたの前で孤独だった。人は結局ひとりだってことを恋する度に思った。

一泊2日だけでも躊躇して、自分の服なんか最小限に留めて、子どもたちの歯ブラシやら保険証やらを持ったか何度となく確認して、暑いかな、寒いかな、ケガしないかな、体調どうかな、って、彼女たちへの心配ばかり。いつの間にか、守りと受け身ばかりで、わたしはちっとも楽しんでいない。外出も、旅行も。
誰かを守るためにならば強くなったけれど、外に怖いものが増えて、弱くなったわたしがいる。
楽しくはしゃいでいる家族を見ると、何でわたしだけこんな思いしているんだろう、孤独だなあと思っている。

こういうのを、救いようのないと言うのかもしれない。
矛盾のなかにあって、生きているわたし。

そろそろ、恋する相手や、守るべき小さな人たちだけじゃなくて、わたしと向き合う旅が必要な気がしている。

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