ミワコ ムニエ

🇯🇵🇫🇷mixはり灸師。3児の母。 田舎暮らし、子育て、からだやこころに向き合い、丁寧にの…

ミワコ ムニエ

🇯🇵🇫🇷mixはり灸師。3児の母。 田舎暮らし、子育て、からだやこころに向き合い、丁寧にのんびり暮らす日々→縁あってニュージーランド🇳🇿への移住を決意!一家の大黒柱としてフルタイムで働き、多文化多国籍の人々に日本伝統鍼灸治療を施す毎日→世界の流れが私を🇯🇵に引き戻し…さてお次は??

マガジン

  • あるをみる 〜2024年のわたし〜

    変化を追い求める心を一旦休めて、「無」を整える。その中にある、「あるをみる」。そんな2024年の記録。

  • エッセイ

    恋とか愛とか、心の追憶。 フィクションとノンフィクションのはざま。

  • 小説・脚本

    自作の短編小説、脚本集です。

  • 定着と到達、到着と出発 〜2023年のわたし〜

    帰ってきて2年めにして、定着することを望むのか、新しい到達点を目指すのか。 まだまだ人生色々と動きそうな2023年の記録

  • 革命と始動 〜2022年のわたし〜

    年始に再び戻ってきた2年ぶりの地で、新しく生き直す。ほんとうに大切だと感じることや気持ちを軸にして、心機一転、進んでいこう、2022年の記録。

最近の記事

普遍性と不変性

果たして、一体全体、「変わらないもの」ってあるのでしょうか。 よく、変わることと変わらないことについて考えているけれど、 大きな変わらないもの(一日は24時間である、とか、一年は12ヶ月である、とか)の中に変わるものが散りばめられている、というのがおおよその答えなのかな、と思う。 同じ、単調な毎日の繰り返し、と思っても、すべて違う。 同じものを食べ続けたとしても、食べているものそのものは違うし、言うなれば3回洗ったパンツを次に履いたら4回洗ったパンツになるわけで、同じじゃ

    • 幸福に降伏せよ

      水星逆行だか、ピンクムーンだか、もはや何のせいだかは知りようもないことだけれど、今月は本当にタフなひと月だった。 落ち尽きては自分を落ち着かすべく迷走し。 なんとかかんとか目の前のことに集中すべく努力するものの、なんともかんとも空回りし。 何もかもを投げ出してしまいたい衝動に駆られながらも、何もかもをコントロールしようとしすぎていた。 満月の前の日に、とうとう崩壊。 倒れる寸前で子どもたちのお迎えを頑張ったものの、帰り道から号泣。 家に着いてからも涙が止まらず、若干みんな

      • 自分自身のいたわり方

        最近何かと気力がなく家にこもっているわたしに、頻繁に「自分を許すこと」「自己受容をすること」「自分を愛すること」と言ったメッセージが舞い込んでくる。 (夫がそういう類のYouTubeを観せてきたり、友人に言われたり、自分で考える芯の問題はそこなのかなあ、と思ったり。) で、とにかく環境が許されているのだから、こうなったら素直に自分をいたわろう、という気持ちに、やっとなってきたわけである。 やや!これがなかなか難しい。 まず、ゆっくりとお灸をする。 お腹が空いたら、丁寧に

        • もうふりかえらない

          「すき」だなんて。 不覚にも、不覚にも。 沈黙というもの。 それが答えなんだろう。 こんなに、やさしくも酷な終わり方を、自ら選んでしまった。 これは自分自身への終わりの表明。 だって、もはやわたしの「すき」は、現在に存在していないのだから。 恋をしていた過去に、恋をしていた。 そして、わたしの愛はたぶんわたしがこの世から去るまでわたしから離れない。 それが答えなんだろう。 どこかでつながった点を、見えない線で繋ぎ止めていた。 また新しい点が生まれると信じて。

        マガジン

        • あるをみる 〜2024年のわたし〜
          30本
        • エッセイ
          10本
        • 小説・脚本
          2本
        • 定着と到達、到着と出発 〜2023年のわたし〜
          5本
        • 革命と始動 〜2022年のわたし〜
          5本
        • あ から ん の詩
          0本

        記事

          戻るところがわかるとき

          春になるたび、一旦なにかが死に、なにかが新しく生まれ変わるのかもしれない。 自然はそういう生死を繰り返している。 人もどこかで、毎日、毎分、そうやって生きていて、全部が死なないうちは生きているのかもしれない。 落ちるところまで行ったら這い上がる。陰極まれば陽となる。 乱れた状態で中庸を保とうとすることほど、不安定さが露呈する。 乱れているのならば、その時こそ自然の大きな流れに委ねるしかなくて、それで絶えるものは絶え、生き延びるものは生き延びる、のが本来の姿なのかもしれない。

          戻るところがわかるとき

          ズタボロ新年度

          タイトルの通りの毎日である。 こうやって書くことがやっとのことでできた。 新生活の緊張や疲れで、子どもたちもわたしも咽頭炎になり発熱していたここ数日。 その前からどうしたわけか、毎日何度もどん底の気分になる。不幸が起きたわけでもないのに、という罪悪感が拭えない中、うつ状態で過ごす厄介な二週間が過ぎた。 何もやる気が起きない。 何にも興味がない。 何を食べても美味しくない。 感情がわからない。 なんで生きているんだろうって思ってしまう。 初めての経験ではないから、きっと、

          ズタボロ新年度

          曇り空の下の桜とわたしとレスキューカー

          娘の入学式が始まる頃、わたしはJAFを待っていた。 向かいの小山に咲く、美しい桜の木を眺めながら。 諸々の状況から、元々わたしは入学式に行かないということになっていたのだけれど、でもああ、今日からかぁ、とか家に居ても少しは感傷的になりたい朝だったはずだ。 それが、JAFである。 ここ最近、ずっと雨でぬかるんでいる家から少し離れた場所に、一週間ほど前から車を停めないといけない状態になっていた。(夫が三台目の車を買ったから。) 何かにつけ、わたしの愛車ちゃんはそこに追いやら

          曇り空の下の桜とわたしとレスキューカー

          わなわな感から学ぶ。

          先日久々に、他人に対し強い怒りを感じた出来事があった。 東洋医学では「五情」と言って、感情と臓器との関連性も診たりするのだけれど、特定の感情を悪いとか良いとか分類することはなくて、それぞれのバランスや与えあう影響を診たりする。どの感情がどの臓器、とシンプルに分類するのは簡単だが、ではどうバランスをとるのか、となってくると、ああ、どう生きたら良いのだろう、難しいものだな、と唸ってしまう。 最近、痛みと心の関係について少し勉強をしていたのだが、怒りという感情は痛みに対して大き

          わなわな感から学ぶ。

          太陽系とわたし。

          今日から水星が逆行するということで、夕方、惑星の逆行と水星の特徴について調べていた。 惑星や占星術の勉強はなかなか面白い。 もうちょっと詳しくなりたいな、と思う。 だが、地球に降り注ぐ太陽系の惑星たちのエネルギーを勉強しようと思っても、制御しようがないスケールの中で何が本当か何が正しいのかなどと考えても何も意味がないのではないかと言う気分になるのも事実で、断言できないものをどう扱って良いのだろうか、と言うところでストップがかかってしまう。まあ、体や心のこともそうなのかもしれな

          太陽系とわたし。

          身代わりの崩落

          大雨が降った翌日、裏山が崩落した。 大雨と大風は、精神をもかき乱す。 ただでさえ、三月という落ち着かない時期に、このお天気のごとくわたしの内面は乱れていた。裏山崩落は、そのトドメのような出来事だった。 朝、大きな音がした、と娘が言っていたが、家の中の負けないくらいの喧騒で、わたしは気に留めていなかった。そこへ、朝陽を浴びに外へ出ていた夫が、はにわのような表情で戻ってきて言う。 「大変なことが起きた。土砂崩れが起きている。」 またまた、大げさな。と思いながら外に出て家の

          身代わりの崩落

          昭和の余韻と生きる今。

          昼間家に居場所がないお父さんみたいな心境の今日このごろなのだが、夜みんなが寝静まったあとの楽しみは密かな幸せ感をもたらしてくれている。 それはAmazonプライムで映画やドラマを観ること…。そうするとつい、寝不足になってしまい、次の日余計に調子が上がらす、夫に「自律神経を整える努力が必要だ」とか言われてしまうのだが。 わたしとしては、この楽しみを奪われてまで整えたいとは思わない現状に問題があるのだろうと考えている。 まあそれはよしとして。 最近ハマっているのは、戦後の昭

          昭和の余韻と生きる今。

          異国情緒ナイトが教えてくれたこと

          ひょんなことから、スパイス料理教室に参加してきた。 前日何気なく眺めたとあるグループメッセージにピンときて、深く考えずに参加表明をして、雨の降りしきる中、行ってみることに。 スパイスをイメージしていたわけではないのだけど、ちょっとビビッドな色の服(と言っても、えんじ色と緑色なのだが)を着て行ったわたし。ガラガラ、と引き戸を開けたら、主催者も参加者も、ベージュやラクダ色の自然素材でできた、それはそれは素敵なユートピア的服装をしていて、民族衣装のお帽子まで被っている人もいる。

          異国情緒ナイトが教えてくれたこと

          降り注ぐベストタイミング

          春分の日。 宇宙元旦、らしい。というのは太陽を中心とした惑星の配置から地球に降り注ぐエネルギーや起こってくる兆候をみる、友人たちとの星詠みの会で知った。 「地球暦」というその見方によると春分は一年の始まりで、今日から2024年の新たな流れが始まるそうだ。 この機に、一年の目標、願い事を明確にし、予祝をすると良い、なんて投稿も目立ったので、影響されやすいわたしは、夢かあ、目標かあ、なんて朝から少し気合いが入っていたのだけれど、なんとも明確なものが思い浮かばない。いつものこと

          降り注ぐベストタイミング

          「頭の良さ」のワナ

          比較的自己肯定感の高い状態で実家に行けたのは良かったのだと思う。 ある程度揺らがない心の状態で行かないと、母親に会った後のわたしは寝込んでしまうことがあるのだ。 別に仲が悪いわけではない。 大切な、親である。 特に自分が結婚し子どもが生まれてから、親との関係をさまざまな観点から見直す機会があった。どれだけわたし自身が親の偏った世界の枠内に生きていたかを実感し、時に落ち込み、時に怒り、時に距離を置き。思春期に自分で押さえつけた諸々のごちゃごちゃを、30代になってごっちゃらご

          「頭の良さ」のワナ

          日常から抜け出して見える日常

          大都会を歩くと肩が凝る。 大都会に居ても被写体として追い求めるものは、空であったり木であったりする。 大都会に来て、普段いかに猫やキジやタヌキやイノシシやキョンが身近にいるのが当たり前の生活を送っているかなんてことに気づく。 洗練されたもの、とか、きらびやかな雰囲気、とかをちょっと感じたい気持ちはまだあるけれど、このカオスな情報量の多さはもう必要としていないなあ。 わたしはなぜか今、大都会のホテルのちっぽけなお部屋にひとりポツンと居る。 なぜか、と言ってもちゃんと計画して

          日常から抜け出して見える日常

          あのひととひと夏

          大きな噴水のある、素敵な街だった。 心地の良い石畳の道のわきに並ぶ古い建物にはたくさんの国の国旗が掲げられていて、その街が国際色豊かであることを知らせている。 路面電車は旧市街を抜けてゆっくりと新市街の大きな広場へ向かっていく。 歴史のある大学は門が開け放たれていて、誰でもくつろいだり散策したりできる広い公園が続く。鉄製のテーブルと、その周りに置かれたベンチに座って何人もの帽子を被った老人たちがチェスをしていて、その横ではベビーカーに座った小さな子がビスケットを頬張っていて

          あのひととひと夏