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異国情緒ナイトが教えてくれたこと


ひょんなことから、スパイス料理教室に参加してきた。

前日何気なく眺めたとあるグループメッセージにピンときて、深く考えずに参加表明をして、雨の降りしきる中、行ってみることに。

スパイスをイメージしていたわけではないのだけど、ちょっとビビッドな色の服(と言っても、えんじ色と緑色なのだが)を着て行ったわたし。ガラガラ、と引き戸を開けたら、主催者も参加者も、ベージュやラクダ色の自然素材でできた、それはそれは素敵なユートピア的服装をしていて、民族衣装のお帽子まで被っている人もいる。
ただでさえ微妙に何者?的な雰囲気を醸し出しているわたしなのに、さらに、ちょっと場違い感を否めない空間に足を踏み入れてしまった…と、「こんばんは〜」の声が上擦る。

という最初の感覚は、教室中にスパイスのかほりが拡がり始めるにつれて、どこか遠くへ飛んでいき、かなりいい感じで個性派な先生の流れるような動きに終始見惚れて、おまけに北部パキスタン、フンザ地方のドキュメンタリーや音楽にまで触れて、帰宅する頃にはすっかりわたしはインドやパキスタンに行きたくなってしまった。

影響というのはすごいスピードでやってくる。
数時間そこに滞在しただけなのに、さっきまでのわたしが知らなかった世界を、未来のわたしが旅することまで想像しているのだ。
現実化するかどうかは別として、動くと何かが見えてくる、とはこういうことかもしれない。

そしてわたしには、気づいたことがもうひとつあった。
こうして何処かひとつの地域に特化してめっちゃ詳しくて、何度も足を運んで、っていう人の存在が、とても素敵だなあ、と。みんなが知らないことを自分が何年も培った知識や経験で紹介すること。少数民族とか、秘境とか。そこをもっと知りたい、とかそこのことを日本の人に知らせたい、とか、そういう人にわたしは少し憧れる。
どうして、「ここ」という一箇所を決めることができたのだろう、とか、そういう運命的な場所に出会った人特有の情熱、や、「ハマリ役」という存在に、少し憧れるのだ。

わたしは多分、あ、素敵!行ってみたい!やってみたい!で、もし一回経験したらお腹いっぱい、次。みたいな、欲張りだけど深まらない興味、という感じで世界と接していて、どっぷりそこに浸かっているという人がちょっと羨ましいのかもしれない。

そこは性格もあるのだろうけれど、それにどっぷりとならなくとも、やってみたいからやってみる、という行動を軽くできる自分になりたいなあ。
特に、ハマルモノ探し、をアタマでしていて行動力に繋がらない自分、というものを卒業したいものだ、と今朝考えていた。で、中途半端な関わり方をしていた習い事を辞めたり、しがらみ的に存在していたライングループから退出したりした。

それなりに、すっきり。
次のステップに向けて、新しいものを受け入れていくために、もういいや、というものは思い切って断ち切る。そういう決断をするトドメとなった、教室だったのかもしれない。

なぜかピンときてスパイス料理の教室に参加したのだけれど、きっとスパイス料理を作れるようになるために行ったのではなくて、その教室が成り立っている主催をしている人の生き方に魅了されることで気づきを得るために、参加した、ような気がする。(まわりくどい!)
もちろん、スパイス料理が作れるようになったら、尚のこと良いのだけど。一応、スパイス買ってみたし(笑)

だがきっと、「やること」「提供するもの」はなんでも良くて、それを実現している人の在り方、にわたしのピントが合っているのだろう。
そしてそれは、動いてみないと、見えてこないんだ。

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