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唯一役立った母親の言いつけ

私は「家族を休ませてもらう宣言(無期限)」をしてから両親と会っていません。よくバンドが「無期限の活動休止」と発表して実際は解散みたいな感じです。
それでも、まあまあ実家が近く、私の家のすぐ隣に地域の人気スーパーがあり、彼らは私の家のすぐ近くのスーパーによく来ます。何かしらの思惑や下心もあると思います。たまに見かけるので、会わないようにスーッと姿をくらまします。
とはいえ、娘に会わない宣言されても、何も変わらず近所にやってくるバイタリティがあって元気なので良かったです。寝込んだり、病気になったりした方が困るので。

少し前にいつものようにお買物をしていると、スーパーで棚の向こうから、
「だって、あなたが、なんだかなんだ」と刺々しい声が聞こえました。母親にそっくりだな、もしやこれは…と思って、そっと気づかれないように見ると、母が父にいつも通りダメ出しをしている最中でした。笑
しばらく両親に会わない穏やかな暮らしをしていると、いかに今まで、自分の周りが不快でとげとげしい環境だったか改めて見えてきます。
とにかく全く変わらず元気で何より。
あそこには決して戻りたくない、これからもノータッチでいたいと心から切望して、見つからないうちに、そそくさとカゴに入れたものだけを購入して、スーパーを後にしました。

そんな母親の発言は、正しいようで理不尽で自分本位なことばかり。でも、その中の一つだけ、私が守って、うまくいったことがあります。
それは、「死ぬくらいなら、なんでもできるじゃない。死んだらおしまいよ。」です。言葉だけ見ると、「命を大切に」と捉えられる素晴らしいメッセージですが、実際の口調には、怒りと憎々しさが込められ、亡くなった人を責める思いが込められているので、とても聞き苦しいです。残念だけど。

私たち家族の周りでは、うつ病になる人や自分で命を断つ人がちらほらいました。亡くなった方たちは、私が直接知らない人たちでしたが、心の病気になる人は、親戚にもいました。今思えば、父方も母方もハラスメント思考の家系なので、全般的にいつ誰が神経症を患ってもおかしくない環境だと思います。また価値観の似たもの同士が引き合うからか、どうしても両親がお付き合いをする人たちも、ハラスメントしたりされたりするタイプが多かったです。

母親は、誰かが、うつ病になった、自分で命をたったと聞くと、いつでもその人たちを嫌悪し、私に向かってものすごい剣幕で怒りをあらわにしました。八つ当たりです。(注意、以下、強烈な言葉です。気分が悪くなったら、ごめんなさい。言っている人がおかしいので、あしからず。)
「うつ病だとかいって、いやあね、そういえば何でも許されると思って。」
「なんなの、自分だけ楽になろうとして。残された人の気持ちを考えなさいよ。」「死ぬ気になれば、他に何でもできるじゃない。周りに迷惑だわ。」
などなど、うちの母親語録が炸裂。

私が若い頃、亡くなった方を罵倒する母に、
「そうする他にないって思うほど追い詰められて、どんなに苦しかったかと思うといたたまれない。気の毒。」と言ったことがあります。その時のぽかんとして、何をおっしゃっているかわからないといった母親の顔を今でも覚えています。

今思うと、その頃の私は、母親のハラスメントに真っ向から付き合っていたので、消耗しきっていた上、若くてナイーヴだったので、心の病気の人、自分を失くしてしまう人の気持ちに、知らないうちに自分を重ねていた部分もあったと思います。今は心の向く方向が変わったので、ちょっと違う見解ですが。

母親は自分に自信がないので、いつでも頼れる人を近くに置きます。
だから、頼れない人が大嫌いです。「いやあね、役に立たないわね。」と頼り甲斐のない人には、嫌悪をあらわにします。たぶん、頼り甲斐のない人や心の弱った状態の人に、自分と同じ要素を見るからかもしれません。
母親は、そんな不安定な心を持っているので、むしろ、心を病む人に私より近いのかもしれません。

母親の様子を見ていると、
必死に自分の弱さを隠し否定しながら生き延びている感じなので、
堂々と自分の弱さを認めた人に羨ましさや悔しい気持ちがあったり、
自分も病気になるかもしれないという恐怖を感じていたり(ある意味すでになっているけれど)、
誰かに「置いていかれる」「見捨てられる」「死」ということに異常なまでに強迫観念を感じたり、しているようです。
そんな複雑な感情を自分で受け入れられなくて、怒り狂うのかもしれません。ものすごく色々なものにプレッシャーを感じ、彼女なりの正義や責任感で、神経が張り詰めているのだと思います。
だから、思いを吐き出し、ヒステリーをおこさずにいられない。

まあ、それも一つの生き方。
弱いものには、弱いものなりの生き方があるのでしょう。結果、だいぶ強いんだけどね。(^^;;

私は、常にそのフォローとサポートをする役割だったのですが、不安や不機嫌は、自分で取り組まないと解消されません。人が治せるものじゃない。
だから、下手に助けようとすると、穴のあいた花瓶に水を注ぎ続けるように、ただただ、自分の身を無駄に削り、自分を押し殺すことになる。私は、自分で命を断つことはしなくても、心は殺して生きていました。ある意味、生きながらに死んでいた。まさにLiving dead、ゾンビでした。
よく溺れる人が、ものすごい力でしがみついてきて、救助の人が溺れてしまいますが、それと同じような状態だったと思います。

私は子どもができて変わったのですが、それまでは徹底的に不安や不満をぶつけられて叩かれるから、心を殺し続けるしか自分を守る方法を思いつかなかった。
でも、純粋な子どもたちと触れ合ううちに、心が洗われて蘇りました。そして、自分が死んでいたことに気がついた。だから、もう二度と死んだらいけないと、心に決めました。

そこで役に立ったのが、「死ぬ気になれば、何でもできる。」です。
心を殺すくらいなら、何でもしよう。まずは死んだ心が、何も感じないように鈍らせた感覚が、どうしたら生き返るだろうと、自分に向き合い問いました。
複雑に入り乱れたストレスや思いでいっぱいで、自分が本当は一体どうしたいのか、わからなくなっていました。見えなくなった自分の心を取り戻すところから始めました。

時間はかかりましたが、徐々に心を研ぎ澄ませると、フーッと素直で素朴な気持ちになっていきました。そんな穏やかで、素朴で、純粋な気持ちなったときにほんのり奥底の望みが浮かんできました。
その究極の望みは、「ママとパパのいない世界に行きたい。」でした。
憎しみとか、怒りからではなくて、素直に、「安心したい」と思ったのです。

そうやって、最終的に、親との縁を切るという選択ができました。感情的ではなく、こんなにも穏やかな気持ちで決めたのだから、間違いない決断だと自信を持つこともできました。

母親にとっては皮肉な結果になったかもしれません。
でも、親になってわかりましたが、自分がそこにいようがいまいが、子どもが健康で幸せになった方が、親は嬉しいものです。私の両親はそうは思っていない可能性が高いですが、笑
子孫繁栄を望む人間として、細胞レベルでは、そう思っていると信じています。

それから、嫌々とはいえ、結果として「会いたくない」という私の希望を受け入れてくれたことに感謝しています。結果オーライに、感謝感謝です。