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副志間高校3年A組【3.茂野健】

「おめでとうございます。今回応募された作品が入賞しました」居間の電話が鳴った。刈り込む直前の牧草が生い茂る野原と、遠くに見える穏やかな海の絵。自分が描いたその絵に『潮騒』と名付け、県のコンクールに送った。「ありがとうございます」入賞の知らせに、健は淡々と返す。

雇われの身なら週に1回ある休みも、家の者たちならほとんどない。乳製工場が休みでも、牛に休みはないのだ。健も365日ほとんど毎日、父と牛の世話や搾乳や牧草の刈り取りなんかをしている。

この絵は貴重な休日に、副志間の海岸まで出かけて描いた。健の牧場兼自宅は山の中だが、この地域には海岸の方まで牛のいる風景が広がる。頭上に広がる空の3分の1くらいに雲が広がり、その隙間から漏れる太陽光が群青色の波を照らす、描かずにはいられない景色だった。

健は無口だ。生まれた時「話す」という行為を母親の胎内に置いてきた気がするが、幼馴染の寺尾が言うには「小5まではよく喋っていた」らしい。他人と関わり合いを持たなくても、寂しくない。必要に求められれば、緊張することなく発言できるから、不便もない。そもそも話さなくても楽しく生きていける人間なので、何も困っていないのだ。

だから健は、「ここはお前が喋ろよ」と張り詰めた沈黙の中で暗に強いてくる雰囲気が嫌いだった。話すことに上下関係を持ち出す必要なんてないのに、年下は可愛くあるべき、よく話すべきという大人の考え方が、どうも受け入れられなかった。

実際、高校を卒業して3年間働いた牧場では、主人のそんな態度が嫌だった。昼食の時「茂野はうんともすんとも言わんなぁ、もっと何か、言うことないのか」と1度だけ言われたことがある。きっと、皆と打ち解けやすいようにと、主人なりに心遣いしてくれたのだと思う。そんな相手に「はぁ…」としか返事しなかったのは失礼だったかもしれないが、自分が無理して話すよりも話したい人が話した方がよっぽど楽しいだろうと健は思った。それ以来、主人は健の無口さについて、何も言わなかった。

全クラス複式学級の小中学校を卒業後、1学年2クラスの副志間高校に進学するというのは、人生の大きな転機と思われるかもしれない。しかし健は健のままだった。高校生になっても相変わらず、彼は無口だった。それでも同級生たちは、彼に話すことを無理強いしなかった。健と皆との間にはいつも境界線があり、その線を守りながら皆は健を面白がり、健は皆の問いかけに答え続けた。

この頃から今も変わらず、健は恋愛に興味がない。牛と絵が恋人だから。だが本当は、一度で良いから麻衣を描いてみたかった。恋をしない彼も、麻衣は俗に言う「綺麗系」だとわかっていた。しかしその「描いてみたい」という感情は、麻衣とどうにかなりたいという年頃の若者の自然な欲求とは違った。「描いてみたい」ただただそれだけなのである。

あの、筋の通った鼻筋、程よく丸みがあって若干鷲鼻のように見える形を、遠慮なくまじまじと観察し、筆にのせてみたかったのだ。

その願いも虚しく、美術の時間に彼が描いたのは常田だった。麻衣の鼻への思いを断ち切れないままだったが「茂野くん上手いね」と常田が騒いだお陰で、彼の実力が注目の的となった。いやそれ以前に、「健は家でずっと絵描いてるだ」なんてお喋りな寺尾が言いふらしてたかもしれないが。

好きなことで注目されるのは、悪い気はしなかった。この時の体験があったからこそ、コンクールに応募するなんて思い切った行動が出来たのかもしれない。健はそう思っている。

入賞の知らせがあった翌日。毎日搾乳後に閉じこもっている、古くて今は使っていない納屋で筆を動かしていると、ふと、外の景色を見たくなった。ギコギコ軋む音のする、完全には閉まり切らなくなった扉の向こうから、白っぽい日差しが入り込んでくる。

健がその扉を開けると、目の前には一面に広がる柔らかな緑色と、遠くに続く低い山々、そして、青の絵の具を多めの水で溶き、それをうっかり白画用紙に垂らしてしまったような空があった。短くて美しい夏の始まり。そんな贅沢な世界を、牛たちが悠々と横切っていく。

副志間が好きだ。ここは言葉を強く求めたりなんてしない。この仕事が好きだ。牛が可愛い。絵が好きだ。いくらでも描いていられる。

俺はきっと死ぬまで、このまま生きていくだろう。

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