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【短編小説】私の手紙、先生の日記

 先生の日記が読みたいと言った。先生は「ええっ?」と言って眉をハの字にして笑った。困っているときの笑顔だ。
 私はもう一度「先生の日記が読みたい」と同じ事を言った。先生は頭をポリポリと書いて「日記っていうのは、他人ひとに見せるものじゃないと思うなぁ」と言った。私はすぐにスマートフォンを取り出して有名人のブログを見せた。
「今はこうやって、世界中の人に日記を公開するのが主流なんですよ?」
 先生は「あはは」と声を出して笑った。
「僕もブログを始めればいいのかな?」と先生が言ったので、私は手近なブログサービスのアカウントを先生に取得させた。が、先生の日記は「教え子が僕の日記を読みたいというので、始めてみました。よろしくお願いします」という最初の更新で止まっている。

 S高校の文芸部は常に廃部の危機と隣り合わせだったようだ。私が入学した年に見事に廃部となってしまい、私は途方に暮れた。部活紹介のイベントを上の空の私は見事に無碍にし、階段下で下級生を待ち構える上級生たちの「サッカー部マネージャー募集してます!」「登山部は初心者大歓迎!」「美術部で一緒に絵を描きませんか?」といった誘いを全て回避する羽目となった。同級生はあれよあれよという間に体験入部をしたというのに、私は目当ての文芸部が消えていたので自暴自棄になっていた。
 結局私は図書室に籠もるようになり、一人で作品に向き合うことになった。そんな私に声をかけてくれたのが先生だった。
 先生――私は彼の名前をきちんと覚えているが、ここに記したくはない。もしも先生の名前を記してしまったら、貴方も先生のことを知ってしまうだろう。私はそれが酷く気に入らないのである。
 どうやら私は少々独占欲の強い女らしい。

 私は先生に事情を話した。文芸部が廃部になってしまったことを言うと、先生は「ああ、」と言った。「誰も居なかったからね」と続けた。
 先生は毎日図書室に足を運ぶ私の事が気になっていたらしい。尚、ここの「気になる」には恋愛感情的なものはない。先生がそう言っていた。私がそうやってからかうと、先生は耳まで真っ赤になって「違う違う」と否定していた。その必死さがなんだか子供みたいで面白かった。
 夕日の差し込む教室というのはいつもロマンの塊だと思う。手垢がこびりつくくらいに使い古されたモチーフは、常に告白の舞台だ。それはエネルギッシュな海辺であったり、夜のドライブであったり、朝日の差し込むベッドの上だったりする。
「僕でよかったら、君の作品を読んでもいいかな」
 先生はそう言って、へにゃりと笑った。
 私の心臓は密かに高鳴ったが、先生の左薬指には銀の指輪が輝いていた。

 先生は国語を教えていた。私たちのクラスでは現代文を担当していたが、他のクラスでは古典を担当していた。私は数学Aの時間、数学の授業ではなくて隣のクラスの古典を聞いていた。数学教師にはそれが「自分の授業に関して熱心な様子」に映ったらしく、「みんなも見習うように」と私を褒めたことがある。みんなが私を見習ったら、それこそこの授業を聞く生徒がいなくなることになるが。

 私は先生と話をするときは、できるだけ職員室に行った。とっくに答えの分かっている現代文の問題を持って質問しに行ったりした。先生は私の嘘に気づいていたのだろう。メガネをくいっと上げて、一応丁寧に解説してくれた。先生の机の上には「少しくたびれた」、良い言葉を使うとすれば「とても馴染んだ」ロールペンケースが置いてあって、その下には原稿用紙が束になって置かれていた。私はその隙をついて、先生に原稿用紙を数枚渡した。新作だった。
「君はいつも麻薬の密売人みたいにして僕に原稿を渡すんだね」
 先生はそう囁いて、「ふはは」と笑った。自分の表現が自分のツボに入ったらしい。

 先生はとにかく「もっと本を読みなさい」と言った。「漫画を読みなさい」「映画を見なさい」「戯曲を鑑賞しなさい」「絵画を見なさい」「手の届く範囲で挑戦できる物事には挑戦しなさい」と言った。
 食べる。走る。見る。触る。嗅ぐ。撫でる。泳ぐ。はしゃぐ。眠る。笑う。泣く。静かに時を過ごす。夢を見る。目を覚ます。
「日常の些細な出来事をよく観察しなさい」
 先生は私にライナー・マリア・リルケの本を教えてくれた。私は彼の書物を手に取って紐解いてみたものの、少々難解であったがために先生に教わる羽目になった。若き詩人への手紙という本はよかった。先生が言っていることが少し回りくどい書かれ方でそこに存在していた。私は「先生はリルケが好きなんですか?」と聞いた。先生は答えた。
「小説、絵、彫刻、音楽、演劇……どんな形であれ、芸術に携わっている人ならば彼の言葉が刺さらないわけがない」
 先生はそう断言した。私は先生がそう言うのだったら、そういうものなのだろうなと思った。

 単純な私はまず夏を見た。夏の太陽を見た。海に足を運び、海水浴を楽しむ親子連れや、サーファーたちを見た。赤と黄色の服を着たライフセイバーたちがせわしなく砂浜を歩く様子を見た。潮の匂いを肺に送り込む。海の家でぶーんと回る扇風機の音、かき氷。私はそれを小説に書いて学校に送った。宛名を先生の名前にした。夏休みなので学校に行く機会がなかったので仕方がなかった。先生は速達で返事をくれた。やはりあの、万年筆の赤インクで修正が成されていたが、その書体がなんだか浮かれているように見えたので、私は小さくガッツポーズをした。

 そういえば、私は先生の赤入れのことを書いていなかった。
 私は先生に何度も原稿を渡し、先生は私に原稿を返した。先生から返却された原稿には赤いインクで感想や修正案が追記されていて、そこには先生のオススメの作品もあった。私はそれを全て見た。全て読んで、全てを吸収しようとした。私の物書きとしての実力がどうなっているのかは分からないが、国語の成績だけが異様に伸びたのは覚えている。逆に数学Aはからきしだった。
 私は基本的に図書室の隅で小説を書いていた。原稿用紙は相当な束になった。お母さんが「ちゃんと片付けなさい」と怒ったので、捨てられる前に私は原稿用紙をきちんと束ねてやった。先生の赤文字はよく見るとムラがあって、私はそれをずっと後になってから万年筆で書かれたものだと気づいたのだ。インクの溜まった箇所には強烈な赤を残し、掠れた部分は躑躅つつじの色を見せる。あの色彩の変化を見る度に、私は先生を愛しく思った。

 私は秋を見た。冬も見た。先生にお勧めされた漫画も映画も戯曲も絵画も見た。中には私に合わなかった作品もあって、途中で居眠りをこいてしまったものもあった。私はそれを正直に小説に書いた。先生は「大人になってからもう一度見ると、また違った印象を覚えると思う」と原稿用紙の隅に書いてくれた。そういうものなのだろうか。そういうものなのだろう。

 私の手元の原稿用紙はもう数千枚になっていた。高校二年生になる寸前に、異動が発表された。女子生徒に人気だったイケメンの化学教師が異動するという話題でクラスは持ちきりだったが、私はそれどころではなかった。先生が異動すると聞いてもうそれどころではなかった。
 先生は眉毛をハの字にして笑った。
 笑っている場合か、と思った。

 私はしばらく何も書けなくなってしまった。私は決して筆だけは折らないと決めてこの十数年間を生きてきたのだが、あまりにも悲しい出来事があると筆が立派でも文章というものはちっとも書けなくなるらしい。私はそれを知らなかったし、できれば知りたくなかった。完全なスランプだった。私は先生がいなくなることも寂しかったし、同時に文芸部のなり損ないみたいな活動ができなくなることも悲しかった。私は真っ白な原稿用紙に鉛筆を転がして、私の悲しみを見るしかなかった。いつかこの嘆きを小説という形に昇華することができるのだろうか?
 私は書かなければならないか、と自身に問うて、書かなければならないと力強く答えることができない。書けるなら書きたいのだが、深い悲しみが私の腕を強く押さえている。気がつくと勝手に涙が零れる始末であるし、私は本当にどうかしてしまったのだと思った。どうかしている。心臓の付近にぽっかり開いた穴に、どす黒い液体がなみなみと溜まるような感触を説明しても、皆一斉に首をかしげるような孤独がある。共感してほしいわけではない。大丈夫だねと声をかけてほしいわけでもない。同情も慈愛も必要ない。ただ、私の悲しみを理解かってくれる人が欲しい。あの時の私は夜に共感を求めたが、夜は意外と薄情であった。暗闇が私を置き去りにして、私の存在だけを器用に追い出すのだ。私が寂しくて泣いたとしても、夜は素知らぬ顔で朝の方を向いているのだ。

 離任式は根性で出席した。哀しさのあまり何も書けませんでした、とぐずぐず泣く私に、先生は深く頷いてくれた。私はそれでびーびー泣いてしまった。欲しいものはすぐ傍にあって、それはまもなく私に別れを告げようとしている。
 先生は「餞別ね」と言って私に分厚い封筒を手渡した。おうちに帰ってから開けるんだよ、と言った。リルケの著作をなんとか頑張って読んだ私は、それの中身をなんとなく察していた。私が過去に書いた作品を、先生が書き写したものなのだろうと思っていた。
 だが、実際はそんなことなかった。私は家でそれを開けて大層驚いたのだ。
 そこには先生の字で敷き詰められた原稿用紙の束があったが、問題は中身であった。先生お手製の小説は、「高校教師の主人公がひょんなことから女子生徒に小説を教えることになる――」という身に覚えのある、どころかありまくる中身で、私は自室の椅子でひっくり返りそうになった。紛れていた一筆箋には「ご希望の日記というものを書いてみました。貴方の著作にまた触れる機会があることを願います」というメッセージがあった。
 私はその小説――先生は日記と言っていたが、私はこれを手紙だと思う。しかし客観的に見れば小説だろう――とじっくり向き合った。躑躅の色のインクは冬と春の混じった光に透けて、私はそこに生命の芽吹く春を見た。膨らむ蕾と土に蠢く蟻を見た。私の悲しみを打ち破り、創作意欲という種に発芽を促す様子を見た。

 このときの私が最後に見たものは、未熟で単純な恋心を春の軟らかな土の中に埋める様子であった。私は最後に葬式を見たのである。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)