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【短編小説】「共感」(水彩画)

 ※自傷行為の表現(傷跡)があります。この小説はそういった行為を推奨するものではありません。


 Sの描く絵はいつもおどろおどろしいものだった。
 みんなが「空にかかる虹」とか「笑顔の子供たち」を描く中で、Sはいつも血みどろの何かしらをテーマにしているように思えた。Sの色鉛筆は常に赤色が居心地悪そうに縮こまっていたし、絵の具も赤色だけが妙に軽かった。彼は結構な頻度で誰かから赤い絵の具を借りて、後日きちんと新品を返していた。
 先生はSの絵について何も言わなかった。美術教師は優しくて「描きたい物を描いてください」というのが口癖だった。水彩画も粘土工作も版画も……先生は私たちに自由な創作を与えてくれた。
「皆さんが学校を卒業して、美術というジャンルと縁が無くなったとしても、『そういえば授業でこんなことやったな、楽しかったな』という思い出は、いつか再び美術の扉を開く切っ掛けになるかもしれません」
 そんなことを言う先生だから、Sの絵については何も言わなかった。
 Sは美術部だった。美術部でも彼は地獄や殺戮をテーマにした絵を描いているらしい。そういったモチーフは別に特別なものではなく、有名な絵画にも沢山あふれかえっているそうだ。それでも私はSと関わりたくないなと思っていたし、他のクラスメイトもそうだった。Sはいつも、学ランのどこかに赤色の絵の具をくっつけていた。
 言われてみれば、Sの絵にはおどろおどろしさの奥に、ぽっかりと何か穴が空いているような……辞書で引けば「むなしさ」という表現がぴったり当てはまる、そういうなんとも言えない「穴」が存在しているような気がした。Sは苦痛に歪む顔を描きたいのではないのだ、とこの時初めて気がついた。苦しむ人間の表情や炎に焼かれる身体は、全てSの表現したいものの代理でしかないのだと分かった。分かった? いや、本当は分かっていないのかもしれない。これは私の独りよがりの解釈に他ならない。私は美術に興味もないし、モネとマネの違いが分からない。自分の解釈が正しいかどうかが分からないので、Sに答えを聞こうと思った。
 でも、答えは聞けずじまいだった。Sは夏休みが終わって少しした後、学校を休むようになった。そうして私たちの知らない間に転校してしまった。いや、転校だったらいいなと思う。私はそう思い込むことにしている。

 夏休みが近づいて、私たちは美術の作品を家に持ち帰ることになった。調子のいい男子は「いらねー」とか言って自分の作品を破いてゴミ箱に捨てていたが、それがエスカレートした。その矛先がSに向いたのだ。Sの趣味の悪い、陰鬱で凄惨な作品は常に排除の矛先に居る。男子も正義感からやったのだろう。
「お前もその悪趣味な絵、捨てちまえよ」
 一人がそう言い出したのを皮切りに、取り巻きがそれをはやし立てた。私はここで「やめなよ」と言えればよかったのだ。それだけの強さがあれば結末は変わったかもしれないのだ。
 遠くで蝉が鳴いている。入道雲はピタリとも動かず、生ぬるい風を眺めている。絵を奪われそうになったSは自分の作品にしがみつき、男子はそれを反対側から引っ張る形になった。Sもバカではない。このまま引っ張ってしまったら真ん中から破れるに決まっている。力の加減に思い悩み、上手く取り返せず困っているようだった。
 誰もSを助けなかった。皆、自分が標的になるリスクを負ってまでSを助けたくなかったのだ。しかし一部の人間は本当にSの絵が破壊されるのを期待している節があった。あのグロテスクな絵に復讐したいように見えた。
 男子が苛ついたのが分かる。勢いよく絵を引っ張ったせいで、Sは踏ん張れずに手を離してしまった。床に転げたSの目の前で、Sの真っ赤な絵はビリビリに引き裂かれてゴミ箱に捨てられてしまった。
 Sは泣かなかった。騒ぎにもならなかった。担任が「ごめんごめん、遅くなった」とやってきて、教室の空気がおかしいことに気がついた。しかし誰も何も言わないので、私たちの一学期はこうして幕を閉じた。

 二学期が始まったとき、Sはまだ絵を破かれたことを引きずっているようだった。絵を破いた男子は「しつこいなぁ」と言って明らかにSを煙たがっていた。Sは美術の時間にああいった絵を描かなくなり、美術教師だけがその変化に気がついた。Sは私たちと同じように、空にかかる虹や笑顔の子供たちを描いた。赤鉛筆だけが異様に縮こまることもなくなったし、赤い絵の具を借りることもなくなった。
 それから程なくして、誰かが「Sの手首にリスカ痕を見た」と言い出した。
 私たちの夏服は男子がワイシャツ、女子が白いセーラー服なので、男子はその気になれば夏でも長袖で過ごせた。Sはずっと長袖のワイシャツを着用していたので、手首がどうなっているかは見えなかった。
 ……三十数人いればそのうちの一人か二人はバカだ。勉学が出来ないといういみのバカではなくて、人間性が欠如しているという意味のバカである。そのバカがSに「手首どうしたの?」と聞きやがった。なにやってんの、と止める奴もいたが、何だかんだ耳が大きくなっていた。
 Sは笑顔で言った。
「絵が描けなくなって、どうしたらよいのか分からなくなったんだ。でも、もう大丈夫」
 そう言って、Sはワイシャツの袖をまくった。
代わりを見つけたから・・・・・・・・・・
 細い細い線が、これまた細い細い感覚を等しく保って、びっしりと並んでいる。血の滲んだ痕がある。線に沿って皮膚が盛り上――私は背筋がヒュッとした。女子は何人か悲鳴を上げて、私は見て見ぬフリをした。自傷はSの絵にはないモチーフだった。少なくとも私はそれを見たことがない。
「今は絵の代わりにコレをやってるんだ。だから大丈夫! みんなが嫌がっていた絵はもう描けないし、俺はもう元気になったし、何も心配いらないよ」
 ニコニコ笑うSは、Sが今までに描いたどんな絵よりも恐ろしかった。
 Sは、壊れてしまった。
 筆の代わりにカッターかナイフか……分からないけれど、刃物しか持てなくなった。
 絵の代わりに、傷を描くようになってしまった。

 何事も無かったかのようにして袖を戻したSは次の日から学校にこなくなった。私が最後に見たSは、リスカ痕の腕を見せびらかせながら狂ったように笑って、壊れてしまったSだった。彼の名前は冬が始まる頃にクラス名簿から消えていて、彼が転校したという話も、死んだという話も聞かなかった。
「芸術に携わる人の筆を折るということは、死と同義です」
 いつぞやの授業で美術教師が言っていた、そんな言葉を思い出した。美術教師はおそらく、Sに何があったのかを知っていたのだと思う。
 その日、私たちは吹雪から隔離された教室であの言葉を聞いていた。暖房が低く唸り、それに苛立つ冬風が吠える。私たちはそれに怯えるようにして、黙って美術教師の言葉を聞いていたのだ。
 私はこの授業でSの好んでいたモチーフを描いてみた。友人は私のことを心配してくれたのだが、「私もフルート吹けなくなったら嫌だもん」とテキトーなことを言ったら納得してくれた。
 しかし、私の表現はどうも上っ面を申し訳程度に撫でる程度の理解力しかなく、結局なんだかよく分からなくなった。作品タイトルの「共感」という言葉の薄っぺらさに酷い嫌悪感を覚えた。しかし美術教師はその絵を県の作品展に出すことを決め、私も効き過ぎた暖房の熱に浮かされながらそれを承諾した。
 私の「共感」は特に賞を取ることはなかったが、どこかでSがあの絵を見ていたらいいなと思ったし、見つからずに一生埋もれていてほしいとも思った。そもそもあの時、SとSの絵を救うことができなかった側の私にはSの幸福を願う権利はない。私もあの、絵を破った男子生徒と何一つとして変わらないのだから。

 強いていうなら――せめて、どうか生きていてほしいと願っている。

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)