見出し画像

【長編小説】ノアと冬が来ない町 第六話 わるい夢


 翌朝。
 霊山はやや荒れた天候だったが、コガラシマルが吹雪を抑えた。本来の冬の環境下で彼も随分と回復したように見えたが、やはりまだ本調子ではないらしい。
「麓はもう少し吹雪いているかもしれぬ。異常とみなして人を呼ぶか、それとも拒絶の役目を果たすかは……某には分からぬ」
 まだやや動きが鈍かったものの、自信に満ち溢れた彼の顔色は普段の白藍色で火照った様子はない。シノが「よかったわね」というと、なぜかヒョウガが「うん」と答えた。
 小屋から山頂までは穏やかなルートで、雪も積もってはいなかった。特に何か変なものもなく、五人は普通に山を登っていた、が、ノアが足を止める。
「これは……一気にきな臭くなってきたね」
 目に見える魔力の壁が守っているのは、この位置からでも見える建物だった。近くにあからさまな装置がある。随分と豪勢な鍵の扉の中に制御装置か何かがあるのだろう。巨大な錠前はラスターの手により三十秒もかからずに解除されてしまった。
「朝の脳トレにちょうどいいかな」
 と言って笑うラスターは、扉の中にあったスイッチを押す。一瞬で壁がなくなった。
 風が吹く。怪しげな小屋に人の気配はない。ラスターはすたすたと小屋に近づいた。外観に反してなかなか複雑なつくりをしているらしい。小さな窓は随分と汚れていた。外套で軽く汚れをぬぐうと、室内の様子が見えた。わずかに自分の顔が映る窓の奥に目を凝らしたラスターは、次の瞬間反射的に声を張り上げていた。
「止まれ!」
 その声が頂上に響き渡るのと、シノが小屋の扉を開けるのは同時だった。
「――、」
 室内から吹き渡る強烈な悪臭。ハーブの臭いだ。主な用途は死臭をごまかすためにある。ヒョウガが小屋からダッシュで離れ、ノアは急いで扉を閉めようとした。が、シノが室内によろよろと入っていく。
 山小屋に見えたこの家屋の中には、巨大なテーブルが一つ置かれていた。壁には飾りのようにして様々な包丁が並び、よくわからない拷問器具のような何かにまざって巨大な保冷庫が置かれている。部屋の隅に置かれたテーブルに山盛りになっているのはよく見なくても腕だ。
「アカツキ……?」
 テーブルに向かって、シノは弟の名を呼んだ。胴体にぽっかりと穴が開いている。内臓を取り除かれた遺体はミイラ化しており、眼孔も空っぽだ。これはアカツキではない。髪の色が違う。でもこれだけ? 
 ……他にも精霊族の遺体があるのでは?
「シノ!」
 小屋に飛び込んだノアは、シノの目を見て話した。瞳術を恐れない者のふるまいだった。
「ここはあまりよくない。ひとまず外に出よう」
「だめよ、探さないと」
「シノ」
「探すの。弟を。あたしそのためにここに来たの」
 シノはさっとノアから離れて保冷庫の扉を開けた。中の冷気が外に漏れ出てシノの体を冷やす。人の――否、精霊族の頭部が、大事に保管されていた。
 心に、ヒビが入る。頭の上からどろどろとした液体が滴り落ちてくる。違う顔、違う顔、次々と転がり落ちていく。指先が冷える。凍えそうになる。小指が凍傷でもげてしまうかもしれない。
「ねぇ、どこにいるのよ。あ、あたしずっと、あんたを探しに来たのよ。アマテラスの船員を騙して、ギルドで働いて、情報集めて、それで、それでこんな辺鄙な山まで登って……」
 保冷庫からごろごろと、転がり出てくる。違う顔が、次から次へと外を目指して落ちてくる。
「やっとたどり着いたんだから、ほら、帰りましょ。島まで行けるかわからないけど、でも」
 霜が降りる。頭以外の部位が放り投げられる。脚だった。
「こんな場所に、あんたを置き去りにしたくない……」
「シノ!」
 シノの腕を掴み、ノアは自分に向きなおさせた。保冷庫の扉を閉めようとするも、何かが突っかかって上手く閉まらなかった。
「どうして、どうして邪魔をするの? あ、あたしは弟を……」
「ラスターに任せよう。こんな、こんなものをずっと見ていたら耐えられなくなる」
「そんなこと言ってる場合じゃ――」
「シノ。聞いて。弟さんのことを諦めるわけじゃない。ここは君の想像以上に悪意が溜まっている。その悪意は、君を君の想像以上に傷つけてしまう」
「…………」
「外に出よう。大丈夫。ラスターなら上手くやってくれるから」
 シノの肩を抱いて、ノアは外に出た。シノも黙って彼に従った。窓ガラスに自分の顔が映ったのを見た時、シノは初めて自分の顔色がひどい有様であることに気付いた。
「現状の調査と小屋の目的を探ってくる。外で待てるか?」
 ラスターが、ノアに話しかけている。シノはぼんやりとその会話を聞いていた。
「うん。ヒョウガくんは?」
 ラスターは近場の木陰を示した。コガラシマルがヒョウガの背をさすっているのが見える。
「あの強烈な臭いをまともに食らったんだ、そりゃ吐くって」
 ノアは荷物から一本のボトルを取り出した。銀貨十五枚の水だ。
「これをヒョウガくんに。口をすすぐのに使うように言って」
「りょーかい。そっちは任せたぜ」
 ノアはシノを連れて、小屋から離れた。雪がちらついている。ノアたちがやってきた道に、うっすらと白い雪が降り積もっている。
「もっと……」
 震えた声で、シノが言う。
「もっと早く、あたしが、あたしが気づいていたら、あんなことにはなっていなかったのかしら。アカツキだけじゃなくて、他の精霊族たちも、あんな……」
「シノ、君のせいじゃない。それに、あの場所に弟さんがいると決まったわけじゃないし、あんなふうになっていると決まったわけでもない」
 シノは鼻をすすった。膝が震えている。ああ、自分は怖いのだ。パニックになる寸前なのだ。悲鳴を上げて、やたらめったらに走り回って、後先考えずに岩を殴って、わあわあ泣きわめくギリギリにいるのだ。やたら冷静な瞳が淡々と見下ろしているのが分かる。シノは慎重に息を吐いた。
「ノア、お願いがあるの」
「何?」
「……胸、貸して。」
 ノアは無言で、シノに向き合った。「おいで、」とノアが言うのと同時に、シノは飛び込んだ。
 やさしいぬくもりを持った腕が、ぎゅう、とシノを抱きしめる。この人はシノの悲しみを受け止めようとしてくれている。それが嬉しかった。ここでなら泣いてもよいのだとシノは思った。何より、悲鳴を上げてしまう心配もない。やたらめったらに走り回る心配も、後先考えずに岩を殴る心配も、ないのだ。正常に悲しみを吐きだせるのだ。
 目に涙がにじむ。目に涙がにじんでいる。私は今、正しい悲しみ方ができる。シノはノアの体に腕を回した。背中も温かかった。当たり前のことなのに、それが今無性にうれしいのだ。
 ノアは彼女と彼女の慟哭を、全身で受け止めてくれた。

 ヒョウガも随分と落ち着いたようだった。土の一部が掘り返されているということは、そこに埋めた・・・らしい。ラスターから水を受け取り、口をすすいだヒョウガは開口一番「シノは?」と聞いた。
「ちょっとショックを受けて、今はノアが付き添ってる」
「これからどうするんだ?」
「俺はあの小屋を調べる。あんたらは少し休んでいてくれ」
「あの小屋を……」
 ヒョウガの顔色が悪くなったので、ラスターはヒョウガの頭を撫でてやった。
「心配するな、俺はああいうの慣れてるから大丈夫」
 ラスターは明るく振舞ったつもりだったが、ヒョウガにとってはそうではなかったらしい。ヒョウガはラスターの服を掴んで、ふるふると首を横に振った。
「慣れてるから大丈夫、ってことはないだろ」
 ラスターは思わず吹き出しそうになってしまった。正論だ。あまりにも優しい類の。しかしそれを素直に受け取れるほど、ラスターは純粋ではない。
「あらー、優しい。惚れちゃう」
「オレ、本気で言ってるんだけど」
「分かってる。ともかく休んでいてくれ」
 もう一度、ラスターはヒョウガの頭を撫でた。今度は強めに。ヒョウガはちょっと不服そうにした。
「コガラシマルの手伝い、いる?」
「んー、たぶん大丈夫かな。いてくれれば心強いけど、あの悪趣味なところに誰かを長居させたくないし」
「問題ない。なんせ某もああいうの・・・・・には慣れている」
 は、と笑いがこぼれる。一本取られた。あえて何も言わず、ラスターは小屋に向かった。すぐ後ろをコガラシマルがついてくる。風向きが変わった。あの悪臭がヒョウガのもとに行かないようにコガラシマルが風を操ったのだ。
 陰鬱な小屋だ。それでいて悪趣味。ラスターは足音を立てずに小屋に足を踏み入れる。それに倣って、コガラシマルも同じように足音を立てずに続く。
 シノが中身をかき回した保冷庫の扉を閉めてから、まずはテーブルのミイラを検分する。見た目だけでは精霊族だと分からないのでいつもなら魔力吸収紙を引っ張り出すところ、コガラシマルが即座に「精霊族だ」と判断してくれる。
「この腕の文様は土の部族の者だ。魔力も間違いない」
「流石だな。助かる」
「シノ殿の魔力の根源が火であるならば、彼女は火の部族出身……弟殿も例にもれず火の部族の出であろう」
「つまりこのミイラはアカツキじゃないってことだな」
 コガラシマルが頷く。そして、床に転がる頭を一つ拾った。コガラシマルほどではないが端正な顔立ちの頭である。雑な保冷がされていなければもう少し見られる状態だったことだろう。
「これは風の部族だ」
「魔力がそうなのか?」
「顔見知りだ」コガラシマルはあっさりと答えた。「魔力の扱いに長けていた。桜の時期になると片っ端から花を散らして怒られていた女だ」
「……外で待っててくれてもいいぞ? 俺一人でもなんとかなるし」
「いや、問題ない」コガラシマルは頭をテーブルに置いた。
「いちいち感傷に浸っていてはそなたの足を引っ張るだけであったな」
「そういう意味で言ったわけじゃないんだけど……。まぁあんたが大丈夫って言うならよろしく頼む」
 コガラシマルは頭の仕分けを始めた。部族ごとに分けているようだ。火、地、風、風、火、水、地、地……。
「水の部族だけ少なくないか?」
「水の連中は早々にアマテラス側についた裏切り者。精霊族の中で最も多くの者が生存している」
「そうか……。精霊族をミイラにするのはアマテラス側のやり口か?」
「いや、聞いたことがない」
 ラスターは頭を拾い上げて、首の断面を見た。普通に刃物でやられたものだ。ギロチンのような道具を使ったのか、それともこのように首を刎ねるのが得意な人物がいるのか。小さなため息をついて、ラスターは他の戸棚を漁る。一つ目の棚にはめぼしいものはなく、引き出しには鍵がかかっていたので針金をねじ込んで突破する。少しがたつきながらも中身を確認することができた。
 装飾品の類が雑に詰め込まれていた。ペンダントの紐は絡まり、ピアスの宝石はどこかに外れている。デザインを見るにソリトスのものとは考えられず、ややアマテラス文化が強い。コガラシマルの気配をすぐそばに感じた。
「仕分けは?」ラスターはあえて引き出しの中身には触れずに問いかけた。
「終わった」コガラシマルは淡々と答えた。「アカツキ殿らしい人物はいなかった。火の部族の首は大半が女のもので、男のものはふたつ。双方立派な髭をたくわえていた。一部脚や腕も保管されていたが、おそらくほとんど女のものだ。筋肉の付き方がそれらしく見える。残りの腕は肌の色がアカツキ殿のものとは違う」
 ラスターは「そうか」と息をついた。安堵のため息だ。アカツキの頭があんなところに保管されていなくてよかった。ラスターは引き出しの中身を、コガラシマルにもよく見えるように示しながら尋ねた。
「見覚えがあるか?」
「いいや」コガラシマルは首を横に振った。「様々な魔力が、僅かとはいえ密集している気配があった」
 なるほど、とラスターは思う。魔力の煮凝りが急にぽんと出てきて驚いたのだろう。
「おそらく、精霊族がつけていた装飾品の類だな」
 ラスターは適当なブローチを引っ張り出して眺めた。七宝焼のブローチだ。ガラス製で魔力を含む宝石の類は特に使われていない。おそらくこれを身に着けていた精霊族の魔力が装飾品に宿っていたのだろう。他の引き出しにも似たようなものが眠っていた。
「…………」
 ふと、ラスターの目が留まる。燃えるような朱色の珠が連なる首飾りだ。大ぶりの粒は存在感もすさまじい。深く考えず、ラスターは写真を取り出した。アカツキの写真だ。
「これは……」
 コガラシマルが声を上げる。
 彼の首に、同じような首飾りがある。二人はしばし沈黙を置いた。
「この首飾りに魔力はあるか?」
「……ほんの僅かに。しかし、どのみちそれがあるということは、アカツキ殿は……」
「いいや。保冷庫に生首がなくて、台座のミイラも別人。となればもっといい情報ともいえる」
 ラスターは数珠の首飾りを示しながら、コガラシマルの顔を見つめながら告げた。
「この近くに、アカツキがいる可能性があるという証明かもしれない」
「…………!」
「さて、シノに確認するか。アカツキの数珠なら万々歳だ」
 ラスターは外に出ようとして、足を止めた。少し間を置いて、扉に手をかけた。
 その時、わずかな殺気をラスターは感じ取った。コガラシマルが刀に手を置くのを視界の端で捕える。どうやら彼も同じようなものを感じ取ったらしい――が、彼はラスターとは違っていた。遠慮なしに扉をあけ放つと、猛烈な勢いで外へと飛び出ていった。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)