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【長編小説】ノアと冬が来ない町 第七話 襲撃(前編)


 誰かに自分の弱い部分をさらけ出しているときに、別の誰かに来てほしくはない。
 これはヒョウガの持論だ。今も昔も、間違っていないと思う。シノが大声で泣き始めた理由は痛いほどよく分かったので、ヒョウガはぼんやりと来た道の方を眺めていた。誰かが来たら知らせる役が必要だろう。今はみんな無防備だ。自分がなんとかしないとならない。
 とはいえ、さすがに霊山の頂上はより厳しく立ち入りを禁じられているだけあって、人の気配はなかった。ヒョウガは鳥のさえずりを聞きながら、先ほど自分が目の当たりにしたモノを忘れるように努めた。あんなものを見たのはアマテラスにいたとき以来だ。いや、アマテラスですらあそこまで酷いことはしていなかったと思う。精霊族を解体するのと精霊族を奴隷として扱うのとどっちがマシかと言われたら答えに窮するが。
 はっとして、ヒョウガはぶんぶんと首を横に振った。もう少し楽しいことを考えた方がいい。気持ちを切り替えたヒョウガが最初に聞いたのは、藪が動いた音だった。
 ヒョウガは体をこわばらせた。野生動物や魔物の可能性もあるが、麓の町の人間である可能性だってある。ともかく何かが近づいている。
 ノアの名を呼ぼうとした。危険が迫っていると叫ぼうとした。しかし相手にとってもそれは予測できた範囲にあったらしい。音もなくヒョウガの前に現れた男は、ヒョウガの首を掴んで、近くの木に体を叩きつけた。
「っ!?」
 一瞬呼吸ができなくなり、脳が揺れて意識が飛びかける。相手の顔を見る。その際、金色の髪がなびいているのが見えた。
「なんだ、精霊族じゃないのか」
 落胆した相手は、そのまま腕に力を込める。首が締まる。空気と血液の流れが阻害されて、ヒョウガは呻きながら男の手を掴んだ。異常に熱を持っていた。この感触をヒョウガは知っている。あの町の熱だ、それがそのまま男の体に宿っているということはヒョウガとの相性は最悪だ。実際、この拘束を解除するために氷の魔力を直接腕に注いでいるが、男には微塵も効いていない。爪を立てる。肉に食い込む感触はあるが、男には効いていないようだ。
「お前……もしかして町の魔力を吸い取った精霊と一緒にいたガキか?」
 質問されたところで、首を絞められていては答えられない。ヒョウガは口をはくはくと動かしたが、男はさらに手に力を込める始末。
「ああ、答えなくていい。見れば分かる」
 首元が火傷しているのでは、というくらいに熱を持つ一方、目が掠れていく。もうダメかもしれない。腕に力が入らなくなり、ヒョウガの手がするりと男の腕からほどけた。男はとどめと言わんばかりに、ヒョウガの首を折ろうとする。そのせいだろうか。
「!」
 反応が遅れた。
 腕から勢いよく流れ出た血が、リボンのようにして空に舞う。ヒョウガの体はずるずると木にもたれかかるようにして崩れ落ち、彼の首を絞めていた手はあっさりと地面に落ちて転がった。
 鬼の形相のコガラシマルは、そのまま男の首を取ろうとした。魔力の気配で分かっている。この男が宿す魔力は自分にも有害。早期決着を狙わなければこちらに不利になる。
 男は切り落とされた腕を魔術で呼び寄せ、コガラシマルの一撃をその腕で受け止めた。思わず眉間に皺を寄せたコガラシマルだが、追撃の手は緩めない。首。腹。太腿。一撃でも食らえば致命傷となりうる箇所を不規則に狙う。
「……っ、ぇ、ガハッ、ゲホッ、」
 胃液の臭いをぼんやりと感じ取りながら、ヒョウガは立ち上がった。コガラシマルの風の動きが気配で分かる。交戦中らしい。いったい誰と……。加勢しに行こうにも体があまり上手く動かない。先ほどの攻撃であの魔力が一気に体内に入ってしまったようだ。
「ヒョウガ殿、ノア殿たちを……早く!」
 コガラシマルの指示に、ヒョウガはすぐさま駆け出した。反射といっていい反応速度だった。幸い足を動かせるだけの力は残っていたらしい。コガラシマルはほっと息をつく。今までの彼なら絶対にこの場に残っていた。コガラシマルを一人にしたくない、という理由で。
「よそ見してる場合か?」
 相手の挑発に顔色一つ変えず、コガラシマルはワンテンポ遅れながらも相手の攻撃をいなす。先ほど切り落とした右腕が元に戻っている。目を疑う。傷すら残っていない。治癒の魔術にしてもおかしい。切断された部位を再接着するという大がかりな治療となれば、戦いながらできるものではない。それに男の魔力も不可解だ。あの邪悪な魔力は生き物に宿っていい類のものではない。肉体に宿せば、最悪内臓が茹で上がる危険性だってある。
 男は妙な自信に満ち溢れ、金色の髪を後ろに流していた。オレンジ色の装束はソリトスではもちろん、アマテラスでも見ない類のものだ。ただ、動きやすそうだとは思う。
 男の胸に、バッジが見える。花の下に「ナボッケ」という文字が刻まれている。
「貴様、ナボッケの町の者か?」
 コガラシマルの問いに、男は答えない。代わりに拳を叩きこんできたが、コガラシマルにとっては何の脅威にもならない。男の攻撃そのものはあまりにも退屈なものだった。コガラシマルは男の手首を容赦なく斬り落とした。そうしたところで、結局元通りにくっついてしまうのだが。
「その魔力はどこで手に入れた? 何故あの魔力がそのまま貴様の体に宿っている?」
 問いを重ねたところで、男が答える気配がない。
 刀が躍る。
 男の胴体が真っ二つに割れる。断面を見たコガラシマルは目を見張る。一方、男は涼しい顔をして言った。
「知りたいか?」
 男は魔術で胴体をくっつけながら、左の口角だけを上げた。嗤ったのだ。
 コガラシマルは無言で、今度は左腕を切り落とす。が、男は涼しい顔をしてつなぎ合わせてしまう。いくら切り落とせど切り落とせど、片っ端からくっつけられては意味がない。
「吐く気がないのなら、斬り捨てるまで」
 強気なことを言ってのけたものの、冷や汗がこめかみから流れ出る。血らしきものは流れ出るが、男の胴体には内臓らしきものが一切入っていなかった。人の形をした魔物の可能性はあるが、このような特徴の者は聞いたことがない。息をつく。思った以上に体が火照っている。ここから先は魔力に蝕まれて思うように体が動かせなくなるだろう。
 ……相手もそれを分かっているらしい。露骨に時間稼ぎの動きになってきた。冬を呼ぼうにもどうやらここは障壁魔術の内部らしい。上手く魔力が動いてくれなかった。目を凝らすと透明な壁らしきものが見える。わずかに揺れている。ヒョウガが壁を壊そうとしているのだろうか。
 腕を三度、足を二度。頭については五度切り落とした。が、すべて回復に回される。心臓を貫いても結果は同じ。攻撃のペースはゆっくりと落ちていく。決して強い相手ではない。ただ、怪我が片っ端から治っていくという性質に加えて、彼がばら撒く魔力がコガラシマルにとって致命的……というだけの話だ。
 先ほど切り落とせた腕を切り落とせない。先ほど回避できた攻撃が避けられない。先ほど当てた一撃が当たらない。立っていられない。刀がやけに重い。汗が目に入り込む。体が思うように動かない。
(この程度の相手、魔力さえ阻害されなければ容易に斬れるというものを……!)
 やけっぱちで振った刀が男の脚を捕えたところで、結局すぐにくっついてしまう。
「っ!」
 いよいよ膝をついたコガラシマルに、男はけらけらと笑い声をあげた。
「辛いだろうな。お前みたいな魔力を持ってるやつには特にこの魔力は効く」
「思いあがるな。そもそもこの魔力の性質そのものが生命を蝕む毒……。貴様と違ってまともな生物であれば、正しく弱るものよ」
 男がはぁ、と息をついた。そして、自分の懐をまさぐって何かを取り出した。
 男の手に、黒い玉が見える。あの忌々しい首輪が輝いている。
「ところでお前、障壁魔術とか覚えていないんだな。攻撃を避けるのは上手いが受けるのは得意じゃないと見える」
「貴様も同じようなものだろう」コガラシマルは男を嗤った。
「手足をつけるのは上手いが、攻撃も防御もおざなりだ」
 男の顔からさっと笑みが消えた。
「なんだっていいさ。重要なのは、俺がこれを投げても今のお前にはなすすべがないってことだ」
「……某をどうするつもりだ?」
 男はにやりと笑った。あの笑みをコガラシマルは知っている。弱者を当たり前に嬲るときの、下卑た期待の……。
 かつての屈辱が腹の底から登ってきた。男が首輪を投げた、その時だった。
 かーん、という高い音を立てて、首輪が弾き飛ばされた。男も目を見開いて、何が起きたのかわからないという顔をして――ゆがむ。
 ヒョウガの拳が男の右頬に思いっきり食い込んでいたのだ。
 男が数メートルほど吹き飛ぶ。比喩でもなんでもなく、そのくらい吹っ飛んだ。男の体は細い木々をなぎ倒し、最終的にどっしりと構えた巨木の幹にこれでもかと叩きつけられる。枝に積もっていたわずかな雪がぱらぱらと落ちる。
「コガラシマル、ごめん。外に出られなかったからこっちに戻ってきた」
「ヒョウガ殿、そなたは……」
「大丈夫。ちょっと苦しいけど……動けないってほどじゃないから」
 地面に転がった首輪をヒョウガは思いっきり足で踏みつぶす。ぴきり、と悲鳴を上げたそれは力に耐えきれず、きれいな球の形を崩した。ヒョウガはそのまま、体重をかけて首輪をすりつぶす。
「外でノアとシノが障壁魔術の解析をしてる。だから、大丈夫」
 足を、運ぶ。遠くで男がむくりと起き上がるのをヒョウガの目は捕えていた。近づいてくるのが見える。指先に魔力をためる。詠唱も術式も必要ない。多少不利な環境であっても――。
 ごん、と強烈な衝突音が響く。氷の壁が男の一撃を防いでいた。
「さっきは不意を突かれたけど、二度も同じ手は通用しない」
 ヒョウガの魔力が氷を形成する。それは、まるでコガラシマルを守るかのようにして空間を凍らせていく。氷がすっぽりとコガラシマルを覆ったところで、ヒョウガは男に告げた。
「来いよ」
 闘志が、瞳の中で燃える。
「今度はオレが相手だ」



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)