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【長編小説】ノアと冬が来ない町 第七話 襲撃(後編)


 男は息をついた。嘆息ではなく嘲笑だ。
「何をそんなに怒っているんだ?」
 男の拳がヒョウガの氷にヒビを入れる。コガラシマルは唇を噛んだ。明らかに氷が弱い。灼熱の砂漠の下でも鉄を超える強度を保つことが可能なヒョウガの氷が、魔力の影響で脆くなっている。
「何に怒ってる、って?」
 が、そのヒビが恐ろしい勢いで消えていく。ヒョウガの魔力の勢いが、明らかに相手の魔力を吞み込もうとしているのが分かる。
「怒るに決まってんだろ! オレの精霊に首輪なんか投げつけてんじゃねぇよ、ばーか! ばぁーか!」
 男の攻撃をいなしたヒョウガは、今度はその勢いのまま左の頬に拳をねじ込む。吹っ飛ぶ男を氷でキャッチして、そのまま打撃を加えていく。
「あと、これはオレの首を絞めた分!」
 ヒョウガの拳が男の腹に刺さった。うめき声一つ上げない男の口元が弧を描く。
「!」
 拳を引こうとしたヒョウガの動きが固まる。それもそのはず、男の腹めがけて突き立てた拳が、文字通り男の腹の中へと呑み込まれているのだから。
「な、なんだこれ……気持ち悪っ」
 男は何も言わない。ヒョウガの腕をずぶずぶと呑み込んでいる。呑まれた腕が熱い。奴の体内が純粋な魔力の貯蔵庫であれば、このままこちらを燃やす気でいるのだろう。
「この位置からだと、お前の大事な精霊にこの状況は見えていない。見えたところでお前が展開した氷のせいで奴は出られない」
「…………」
「好きなだけ殴ってスッキリしただろ? 今度はこちらの番だ、このまま――」
 男はそこまで言って、口をつぐんだ。ヒョウガの瞳がギラリと輝く。
 男は不自然に固まっていた。コガラシマルも異常を察知した。ヒョウガが拳を引かないのもおかしいが、それ以上に男の硬直が不可解である。
 ヒョウガの左腕が構えを取り、男の胸に打撃を加える。胸にヒビが入る。
「……そうだよな」
 もう一撃加える。ヒビが大きくなっていく。まるでガラスの人形のようにして、胸から始まった崩壊は徐々に全身に広がっていく。
「外から魔力を防げても、内側に直接注がれたら……さすがに守るすべなんてないもんな」
 そのまま男は粉々に砕けてしまった。当然右腕も自由になる。が、あの暴力的な魔力の中で無防備に晒された右腕が、無事で済むわけがなかった。
「ってぇ……」
 焼け爛れ、体液が滲む。ヒョウガはグロテスクな右腕をそれとなく隠しながらコガラシマルのもとに急いだ。
「コガラシマル、大丈夫か?」
 氷を解除しながら、ヒョウガが問いかける。傷の痛みが顔を歪ませにかかるが、コガラシマルの視点からはこれが不安の表れに見えたらしい。コガラシマルは随分と回復していたようだったが、やはり本調子ではなさそうだった。まだわずかに熱を持っている。
「某は問題ない。そなたのおかげだ、が……ヒョウガ殿、あれはいったい何だったのだ?」
「わ、分からない。いきなり首掴まれて、絞められて……なんかオレたちがナボッケの町の魔力を吸ったってことは知ってたみたいだけど……」
「好きで吸ったわけではないというのに、全く迷惑な話だ」
 がさがさと、藪が動く。コガラシマルが警戒するのも無理はないが、今回は大丈夫だったようだ。ノアとシノだった。二人とも切羽詰まった表情をしていた。相当急いできたのだろう。
「ヒョウガくん、右腕を見せて」
 開口一番核心をついてきたノアに、ヒョウガはちょっと呻いた。コガラシマルの眉間に皺が寄っている。「えっと、」「ちょっと席を外して……」などと宣うヒョウガにしびれを切らしたノアは、身体拘束魔術をちゃっちゃと展開してヒョウガの腕を全員に晒してしまった。
 見れば見るほどひどいと分かる怪我に、コガラシマルの魔力がざわつくのが分かった。
「…………」
「あの、えーっと、コガラシマル? ほら、無事だったし……?」
 しどろもどろのヒョウガに対し、コガラシマルはあえて自分は冷静です、と言わんばかりにゆっくりと口を開いた。
「ノア殿、この火傷は治るのか? 痕も残さずきれいに治るのか? もし某の力不足でヒョウガ殿にこのような怪我の痕が残るとなれば某はどうすれば」
 その割にはやたら早口だったが。
「……頑張る」
 ノアが術を展開すると、ヒョウガが「ひゃっ、」と悲鳴を上げた。どうやら術がしみるらしい。
「ちょっと我慢してね……」
 術がしみるということは、治癒力が追い付いていないということだ。ノアの実力では傷をふさぐことはできても痕になってしまうかもしれない。皮膚はゆっくりと再生を始め、失われた組織を再構築している。しかしまだまだ序の口だ。このクオリティの展開をしばらく続ける必要がある。集中力でどうにかなるのであればよいのだが、そうとは限らない。
 その時だ。シノがノアの耳元に唇を寄せて、囁いた。
 ふわり、とノアの意識が一瞬飛ぶ。その直後、治癒の魔術の展開が明らかに安定する。コガラシマルが息を呑んだ。シノの声には魔力が含まれていた。幻術をノアにかけることにより、疑似的な魔術強化を施したのだ。
「あ、すごい。しみない」
 ヒョウガもとぼけた声でそんなことを言った。
「治るように見せかけるのではなく、本人の潜在能力を引き出すのか」
 コガラシマルが感心する。明らかに魔力の動きが効率化されている。
「体にはよくないのよ。負担になってしまうから。でも、きっとノアならそうするわ」
「……そなたらには頭が上がらぬ」
「あたしは特に何も。……むしろもう少し冷静だったらよかった」
 シノは少し目をそらした。山は静かなものだ。
「ラスター殿から何か聞いたか?」
「いいえ。あなたが血相変えて飛び出していったからそれどころじゃなかったわ。すぐに変な結界まで出てきたし。……何かあったの?」
「その辺りも情報共有の必要がある」
 ふわり、と穏やかに魔術の光が消えた。シノがノアの背中をわずかにつつく。術を解除したのだ。
 その直後、ノアはへなへなと座り込んでしまった。
「なるほど、」息を切らしながらも、どこか楽しそうにノアは呟く。
「これは確かに、体にはよくないね」
「大丈夫か?」と不安げにするヒョウガの頭を撫でて、ノアはコガラシマルの方を見た。コガラシマルもその後ろを見た。まるで地面から突如生えてきたかのようにして姿を現したラスターに驚いたのはヒョウガだけだった。
「今のところ近くに何かがいる気配はなさそうだが、困ったことになった」
「困ったこと?」
 ラスターはペンダントをつついた。いつもならこれでペンダントからフォンが現れる。が、ラスターがいくらペンダントをつついてもフォンが出てくる気配がない。
「おそらくなんだが、町の魔力には浄化の要素が組み込まれているんじゃないか? まぁ、ともかくフォンがひっこんだままってことは、あまり広い範囲の索敵はできないってことだ。霊山で一度こいつを出せていたのは、ヒョウガたちの魔力の影響が強かったからなんだろうな」
 フォンは影の幽霊。浄化の魔力には耐性がなく、炎という性質からも聖水にめっぽう弱い。
「それができなくなったのは、誰かが魔力を撒いたから……」
「絶対あいつだろ、あの変な奴」
「そういえば、結局何だったの? いきなり襲われるなんて」
「うーん、……人じゃないってのは分かるけど」
「バッジをつけていた」
 コガラシマルが口を開く。「ナボッケの名が記載されていた」
 その一言にラスターがひょいひょい動いて、地面を探し始めた。案外すぐに見つかったそれを掲げると、コガラシマルが「間違いない」と答え合わせをする。ラスターは満足げに頷きながら、それをポケットにしまった。そのついでに、彼は一枚の紙きれを取り出す。
「そうそう。俺も見せたいものがあるんだ。……こちらの地図ぅー」
 ラスターが妙なイントネーションで取り出したのは地図だった。一見するとこの周辺を記載したものに見えるが、皆の目は下山ルートではなくその下にあった。
「どこにあったの、この地図」
「小屋の傍にあった木箱の隙間に刺さってた」
 普通、地図といえば空から見下ろした視点で描かれることが多い。山がどこにあって、町がどう広がっているのかを視覚的に表したものだ。が、ラスターが取り出したのは山――ナボッケ霊山を真っ二つに割った状態で書かれているものだった。
「地下ですって!?」
 シノが素っ頓狂な声を上げた。ラスターの指が、そっと動く。皆の視線が集まった指は、地下の構造を辿りながら一つの場所に到着する。地下最深部。

 魔力炉(メイン)。

 機械のイラストの中には、なぜか人の影が描かれている。
 魔力炉。本来は魔法薬の材料となる草木を育てる際に必要となる魔力を放出するための機械だ。最近では魔術の研究目的で稼働させたり、自分にとって心地よい空間を演出するためのものもある。中にはこれを冷暖房の代わりに使うやつも居る(魔力効率が悪いのであまりお勧めできないというのは、ノアの見解だ)。
「それで、シノちゃん」
 ラスターはそこで、数珠を取り出した。燃えるような朱色の珠が連なった、首に下げるタイプのものである。シノは目を見開いた。
「これ、どこで?」
「例の小屋だ」
 震える手で数珠を手に取ったシノの目から、ジワリと涙が浮かんでくる。何も言わずとも分かった。これは間違いなくアカツキが身に着けていたものだ。
「予想だけどな。おそらくアカツキは生きている。魔力炉の中に放り込まれて、あの町に魔力をばらまいている」
「どうして、魔力炉の中に居るって分かるの?」
「あの町の魔力は火の性質なんだよな? それに加えて、浄化の要素もあるときた。シノちゃんが言ってた。弟の魔力の本質は火。そして、浄化寄りって」
「……つまり、ここに行けば」
 ラスターは頷いた。そうしてもう一度地図上で指を動かす。魔力炉と繋がる道を辿る。徐々に地表に近づいた辺りで、家のマークがある。ラスターの指が止まる。近くにはこの家の名前があった。

 町長の家。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)