見出し画像

【長編小説】ノアと冬が来ない町 第五話 暗闇の淵


 ノアの予想は当たっていた。山を登っていると小さな小屋が目に付いた。屋根のところに「ナボッケ霊山プログラム」という看板が取り付けられている。ノアとシノがほっと息をつく中、ラスターは二人を制した。
「何、どうしたの?」
 今すぐにでも小屋に突撃したいといわんばかりのシノが怪訝そうな顔をしたが、ラスターは声を潜めた。
「先客がいる」
「どうして分かるの?」
 ラスターは無言で地面を指さした。一人分の足跡が小屋の方に続いている。
「出た形跡がないってことは、おそらく今も小屋の中に滞在中だ」
「どうするの?」
「ひとまず俺が扉を開けてくる。一人相手なら何とかなるだろうし」
 ラスターはそう言って、足音を立てずに扉の傍に来た。
「…………!」
 気配が一つ多い。どうやら二人いるようだ。しかも扉のすぐ近くに。これは扉を開けた瞬間に先手を取るつもりでいるパターンのやつだ。ラスターは扉に手をかけて、ノアとシノに指で「二」と示した。ノアが頷く。それを合図に、ラスターは扉を思いっきり引いた。
「っ!」
 その瞬間、猛烈な勢いで空気が凍りだす。生き物のように現れた氷塊は明らかにこちらを攻撃しにかかっている。ノアは即座に障壁魔術を展開したが、違和感がある。どうにも術式が安定しない。本来ならラスターを守る分の術も展開できているはずなのだが、それが上手くいっていない。ラスターにもその状況が伝わっていた。体をひねり、なんとか障壁魔術なしでも直撃を避ける。が、外套の裾は氷に巻き込まれた。このまま追撃がくれば氷に閉じ込められる。
 とんでもない小屋を引いたものだ。ラスターはペンダントをつついて、影の魔物であるフォンを呼んだ。
「シノ! ノア! 無事か!」
「こっちは大丈夫、ラスターは?」
「おおむね無事!」
 フォンの本質は炎。氷を溶かし、巻き込まれた外套を救出。その矢先、小屋から飛び出た影が接近する。武器の軌道が見える。ラスターは愛用の短剣を取り出し、その一撃を受け止めた。攻撃の主の顔を見て、ラスターは思わず吹き出す。新年に酒を飲み交わした相手が殺気を携えてこちらの首を狙ってきたのだ。この状況が面白くなければ何が面白いというのやら。
「おいおい、俺のツラ忘れちゃった?」
 初撃を防がれた相手が即座に次の攻撃に移ろうとする、そのギリギリにラスターは声を張った。刀を持った相手も、ようやっと自分が斬ろうとしている相手の姿を認識したようだ。
「……ラスター殿?」
 襲い掛かってきた相手――コガラシマルの顔を見たとき、ラスターは少し違和感を覚えた。熱っぽく見える。見れば持っている刀もいつもと違う。コガラシマルは即座に構えを解いた。腰に鞘がない。ラスターは確信した。熱っぽく見えるのではなく、熱が出ている……体調不良なのだと。
「失礼した。こちらも少し切羽詰まった状況故、まさかそなたとは……」
 今の動きだけで息が切れている。相当弱っている、とラスターは思った。
「ノアもいるぜ。挨拶してく?」
「是非とも。……その前に」
 コガラシマルはヒョウガが向かった方に目をやった。ラスターもつられてそちらを向く。
 コガラシマルがラスターに不意打ちを仕掛けたようにして、ヒョウガはノアに不意打ちを仕掛けたのだろう。当然、その相手がノアであるとは知らずに。
「ほんとごめん! 本当にごめんなさい!」
 頭が地面にめり込むのではないかと言わんばかりの土下座を繰り出しているヒョウガを、慌てつつ起こそうとするノアの奮闘が見えた。ナボッケの町を歩くために帽子を着用しているせいで、パッと見ノアとは分かりづらくなっているのもポイントが高い、とラスターは思った。
「あれを如何するかを考える」
「なるほどなぁ」
 ラスターは笑った。
「案外簡単だと思うけどな。あんたが声を掛けたら一発だよ」
 ラスターはノアに手を振った。が、手を振り返してきたのはシノだった。ノアはヒョウガをなだめるのに手いっぱいで、ラスターに応える余裕がなかったのだ。

 小屋の中は五人入るとさすがに少々狭かった。戸棚にはよくわからない怪しい石が置いてあったり、プログラム用の経文が壁に飾られていたりと屋根の看板通りの室内といったところか。が、とりわけ目を引いたのは片隅に布団らしき布、そこに置かれたコガラシマルの刀。これを見てさすがのノアも事情をある程度察知したらしい。コガラシマルは布団の上に座る。自然とそこを起点にノアたちも輪になって座る。
「いったい何があったの?」
 ノアが口を開くと、コガラシマルはあからさまに驚いた様子だった。
「……ノア殿、そなたは気づいていないのか?」
 コガラシマルの表情が暗くなる。ノアはわずかに首を傾げた。
「あの町に満ちる魔力に違和感はなかったか?」
「違和感?」
 シノが首をかしげる。コガラシマルは何も言わず、ノアの頬に触れた。
「!」
 その瞬間、ノアはコガラシマルの言っていた意味を理解する。体の熱が急速に下がる。が、これは正常範囲に戻るという意味だ。あの町に満ちていた魔力を、ノアは知らないうちに体の中に取り込んでいたらしい。
「っ、」
 息を詰まらせたコガラシマルは、そっとノアの頬から手を離す。同時に、ふらふらと布団に倒れこんでしまった。ヒョウガが顔を青くしてコガラシマルの傍にすっ飛んでいく。
「コガラシマル、お前!」
 ヒョウガの魔力がコガラシマルの方へ回る。先ほどノアから吸い取った魔力が相殺されていく。
「某は、問題ない。むしろ、これだけの魔力に入り込まれた状態で、ノア殿が無事なのが奇跡だ」
「どういうこと? これは俺だけの話?」
 コガラシマルは首を縦に振りかけて、そのまま動かなくなる。想像以上にしんどいらしい。シノが彼の傍によって、耳元で何かをささやいた。
「……!」
 先ほどの衰弱ぶりが嘘のように、コガラシマルは寝床から飛び起きた。
「少しだけよ。今あなたに幻術をかけたの。体の危険っていうサインを感じられないようになってる。少し情報をしゃべる分にはいいかと思うけど」
「恩に着る」
「お礼はいいから早く喋って。あなたの体にも負担だから」
 シノはひらひらと手を振った。コガラシマルは小さく頷いて、早速話を切り出す。
「あの町の魔力は、大本の何かを変換して疑似的に夏を、作物が最も育ち生命が活動的になる時間を伸ばしているものだ。故に元の魔力と別物。大本は火の魔力ではあるが、随分と悪い変質を受けている。その証拠に火の魔力と相性が悪いものが立ち入ると症状が出る。だが、相性が悪くなければ体の中に火の魔力が溜まっていくだけで済む。もともと火の魔力を持つ者であったり、そもそも魔力を持たぬ者ならさほど問題なかろう。が、魔術の発動には影響が出るはずだ」
 なるほど。ラスターは納得した。それだけ危険な魔力を展開していて町の人々が無事なのは、彼らの大半がアンヒュームで魔力をもともと持っていないからだ。
「全然気づかなかった……。あれは魔力で作られた熱だと……」
「大抵の者はそう感じるであろうな。実態は熱ではなく、肉体を蝕む類の魔力だ」
 ノアは感心して息をついた。試しに手のひらに障壁魔術を展開すると、無事にいつも通りの壁が現れた。問題なく安定している。
「だから障壁魔術の術式が安定しなかったんだ。火の魔力が過剰になっていたから」
「うむ。だがノア殿に宿っていた余計な魔力は某が吸収した。今なら問題なく術を扱うことができるはずだ。尤も、町に戻ればまた元の木阿弥」
「コガラシマルは大丈夫なの? 君は火に弱いって……」
「あまり大丈夫じゃないから、ここで療養してたんだ。……勝手に入ったんだけど」
 ヒョウガはそのままそっぽを向いた。ラスターが「やるじゃん」とほめなくていいところをほめた。
「あの環境下で無事でいられるのは、もともと火の魔力を持つ者か、そもそも魔力を持たぬ者だけ……火の魔力の適性が低ければ低いほど、あの環境は地獄になる」
「そう考えると、どんな魔力を持っていても普通に活動できていたコガラシマルの冬って正しい冬だったんだね……」
 変な方向にノアが感心した。コガラシマルとヒョウガがそろって自慢げな顔を見せたので、ラスターが笑いそうになっていた。
「ところで、そなたらはなぜこのような場所に?」
「えーっと……」
 ノアはちらりとシノの方を見た。シノもその視線の意味するところを察したらしい。
「弟を探しているの。この町が明らかに異常って話を聞いて、もしかしたらって」
 シノはさらりと答えた。
「そうであったか。確かにこの町の状況は、某がプレメ村を冬に閉ざしたときのものと状況が似ている。精霊族が絡んでいてもなんら不思議ではない。もっとも、春や夏に関係する精霊であれば、もっと上手に作り上げるとは思うが」
「それに、誰かさんからもらったメモのこともあったから」
 ふ、とコガラシマルは笑った。その様子を見たラスターが目を丸くした。
「ちょっと待ってくれ。コガラシマル、あんたシノが精霊だってこと知ってたのか?」
「知るもなにも、見ればわからぬか?」
「え!? シノって精霊なのか!?」
 隣でヒョウガが素っ頓狂な声を上げる。どうやらヒョウガは気づいていなかったらしい。
「あたしはシノ。本当の名前はシノノメ。夢と熱の加護を受け、幻を司る精霊よ。よろしくね」
「知らなかった……」
 シノがコガラシマルに一瞬視線を投げると、彼の体がへにゃりと布団に崩れる。熱の感覚を遮断する幻術を解いたらしい。
「なるほど、」コガラシマルは苦笑した。「確かにこれは、体に応える」
 ラスターは窓の外を見た。今のところ誰かがやってくる気配はない。これから夕方になって日が暮れることを考えると、まず登山者は出てこないだろう。仮にやってきたとしても、事故で死んでしまう可能性が高い。しかもわずかに雪がちらついている。晩秋によくみられる光景だ。
「ていうか、霊山の異変ってもしかしなくてもあんたらの影響?」
 ふもとの町のことを思い出して、ラスターが呟く。近くで何かが飛び起きるのが分かった。
「それは聞き捨てならぬぞ!」
「そうだよ。外見ろよ。世間は冬だぞ。異変が起きてるのは山じゃなくて町!」
 コガラシマルの代わりにヒョウガが食って掛かる。今日のヒョウガはコガラシマルが弱っているせいかやや強気らしい。
「現状においては異変だと言わざるを得ないけれどね……冬を無理やり夏に書き換えたナボッケの霊山を冬に書き換えているわけだから」
 ノアが恐る恐る口を開くと、ヒョウガとコガラシマルは同時に視線をそらした。よく似た二人である。

 夕食は携帯食料で凌いだ。モサモサのビスケットはお世辞にも美味いとは言えない代物だったが、空腹が続くよりマシである。必要最低限の明かりをともして、五人は方針について話し合う。コガラシマルも随分と回復したようだ。なんせ外はわりと本格的な雪になっている。
「明日はどうする?」
 声を潜めてラスターが問いかける。
「さっきはあえて言わなかったんだが、町長の反応からして、おそらく町か森か山か、どこかにシノの弟がいる。確信はないが……妙に嘘をついている感じがある」
 ラスターは懐から写真を取り出した。シノの弟だ。裏面には「アカツキ」と彼の名前が記載されている。
「ちょっと、どうしてそれを教えてくれなかったのよ」
「あんたのことだから、町長に幻術使って拷問して全部ゲロるまで粘りそうだと思って」
 シノは何も言い返さなかった。反論の余地がなかったらしい。
「それに、この町が精霊族に何かしらやらかしているってのも分かってる」
「どういうこと?」
「……露店にこんなものが売っていた。用途はあくまで『護身用』ってことらしい」
 ラスターはポケットから何かを取り出して、それを皆が見える場所に置いた。ノアは眉をひそめた。ラスターがとりだしたのは小さな黒い玉だ。中央に何かスイッチのようなものがあり、固い材質でできているらしい。ノアにはこの正体が分からなかったが、血相を変えて飛び上がった者がいた。
 ラスターは小さくうめいた。強烈な力で胸倉を掴まれる。少し息がしづらいな、と思った。
「お、おま……お前ッ! これがなんだか分かって、これが……!」
 怒りのあまり顔色が青白くなっている。今にもこちらをぶん殴ってきそうなヒョウガに、ラスターはかすれた声で燃料を追加投入した。
「銀貨三百枚のところを百枚で買った」
「ッ!」
「ヒョウガ殿!」
 コガラシマルがヒョウガに飛びつく。従者に落ち着くよう促されたヒョウガだが、手を放す気配がない。
「だって、だってこれ……! これは……!」
「分かっている。が、何よりラスター殿にその気はない」
 ヒョウガは雑にラスターの体を押しやると、そのままコガラシマルのすぐ隣に座りこんだ。
「あたし、現物は初めて見たわ」
 シノはそう言って、忌々し気に黒い玉を見つめた。
「これは?」
 ノアは慎重に黒い玉を手に取った。こちらに有害な魔力の気配は感じられない。
「首輪よ」
「首輪?」
「精霊族を従えるために、アマテラスが開発したの。これをつけられると魔力が吸い取られて、体の自由が利かなくなる。首元めがけて投げれば自動的に発動して、紐みたいなのが出てきて首に無理やり、って感じだけど……やらないでね? 外し方分からないし、もしそれをされたらあたしは一生あなたのこと恨むわ」
「勿論、実践はしないよ」
 ノアは黒い玉……首輪をまじまじと見つめた。所持しているだけで非人道的といえるものなのだろう。これが露店で売られているとなればとんでもない話である。
「首輪をつけられた精霊族の末路なんて悲惨なものだから、ヒョウガが怒るのも無理はないわ。あなた、島でそれを見た・・んでしょ」
 ヒョウガは小さく頷いた。コガラシマルと契約している身であるヒョウガは、尚更その機会に恵まれていたのだろう。
「それにしても、驚いた」
 ラスターが襟元を正しながら、茫然と呟いた。
「まさか胸倉掴まれるとは思わなかった」
「首輪を知らないで買ったの?」
 シノから冷ややかな声が飛んだ。ラスターは首を横に振った。
「知ってたから買ったんだよ。露店でこれが売られてたんだぜ? しかも護身用って名目で。ヤバいだろ? って話のために」
 シノはため息をついた。
「それは同意。最悪だから、この道具。ほんと反吐が出る。つけたことはないけど、見るだけでこんなに嫌悪感が湧き出てくるものなのね」
 シノが首輪から顔をそむけた。
「ごめん、しまってくれない? もう見るのも嫌」
 ノアは素直にシノの言葉に従った。ラスターが手を差し出してきたので、そこに首輪を置いた。ヒョウガは随分と落ち着いたようだ。シノはちらりとコガラシマルの方を見た。
「冷静ね」
「一度装着経験があれば、肝も据わる」
「そう。……ちっとも羨ましいと思えないのがすごいところだわ」
「あんなもの、経験せずに済むのならその方がいい」
「それもそうね」
 ノアはラスターが首輪をポケットにしまったのを見てから、改めて話を切り出した。
「それで、露店に護身用っていう名目で首輪が売っていて、町長はアカツキを知っているかのような素振りを見せたってこと?」
「町人はなんも知らない感じだったけどな。ま、大抵そんなもんだ」
「……とりあえず、山頂を確認したらもう一度町に向かおう」
「大丈夫なの?」
 シノが眉をひそめた。ノアはその意味が分からずきょとんとしたので、シノも呆れたらしい。ふう、とため息をついてゆっくりと、それこそ子供に何かを言い聞かせるような口調で告げた。
「あなたは火の魔力と相性がよくないって、コガラシマルに言われたでしょう」
「そうも言ってられないし、俺はぶっ倒れないから大丈夫」
「障壁魔術を展開できなかったのに?」
 ノアは何も言えなくなった。代わりに少し目をそらした。シノが呆れる。
「ちょっとラスター、あなたも何か言ってやって――」
 ラスターに説得を頼もうとしたシノだが、言葉が途中で途切れる。彼は今、ヒョウガと謝罪合戦で忙しかった。「首輪を軽く見ていた」VS「胸倉掴んだのはやりすぎだった」の戦いは、コガラシマルの「双方面を上げよ」で引き分けとなった。
 ノアは咳払いをした。ようやっと小屋が静かになった。
「ここまでのことをまとめるよ、いい?」
 四人が頷いたのを見て、ノアは情報をまとめる。

 一つ目。ナボッケの町には有害な火の魔力が満ちている。
 二つ目。その魔力によって疑似的な夏を展開しているが、霊山だけはヒョウガたちの影響で冬が強い。
 三つ目。シノの弟・アカツキは火の魔力持ちのため、ナボッケの町の魔力の影響はない。
 四つ目。ナボッケ町長はアカツキのことを知っている可能性がある。
 五つ目。ナボッケの町には護身用の目的で「首輪」が売っている。

「なんだか嫌な予感がするなぁ」
 ラスターが窓の外を見ながら、誰にも聞こえないように呟いた。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)