見出し画像

【短編小説】趣味で塔を造る人 -3話-

こちらの続きです

 たはは、と無理に笑うトルンの視線が、遠くに向けられた。ラスターは彼が見ようとしているものをすぐに理解した。だから、トルンの言葉にそれが混ざっていても、特に驚かなかった。
「実は……シノートの友人が、灯台守をやらないかって誘ってくれているんだ」
「シノートの……」
 海洋都市シノート。島国アマテラスからの貿易船が発着する港を中心に発展した都市だ。海洋都市の名前にふさわしく、多くの灯台が海岸をにぎわせている。確かに灯台守なら、トルンの望む生活に近しい暮らしができるだろう。しかし……。
「でも、君の夢はここに塔を作って、森で暮らすことじゃ……」
「誰かを傷つけてまで、叶えたい夢じゃないからなぁ」
「…………」
「あんたたちの前に頼んだ人たちもさ、すごく頑張ってくれたんだ。だけど採石場の奴らから嫌がらせを受けてね……勿論、その気になれば採石場の鉱夫を打ち負かすことだってできただろうけど……結局、大けがをして……」
 ノアは唇を噛んだ。採石場の人々がギルドの人間にした仕打ちが許せなかったのもあるが、トルンが申し訳なさそうな顔で笑うのをやめさせたかった。だが、そんなことをしてもトルンに無理をさせるだけだ。
「だから……次に頼んだ人たちが、おんなじような目に遭ったら……俺はこの塔を諦めるって決めてたんだ」
「そんな――!」
「分かってる」ノアのセリフを、トルンは無理やり封じ込めた。
「ギルドの人たちはみんな同じことを言う。『トルンは悪くない』って。でも……採石場の奴らにとっては、この地域に暮らしている奴らにとっては、そうじゃないんだ」
 風が静かに森をなでた。木の葉がこすれる音が、森の奥へ奥へと伝わっていく。波音のような響きに潮の香りはなかった。
「……最後に、鹿肉でも食べようかな!」
 トルンは気丈に元気そうな声を上げて、ノアとラスターに背を向けた。道具を探すそぶりを見せていたが、袋の中を意味もなくかき混ぜているだけだった。
 ――俺が採石場の人を説得する、という一言をノアは言えなかった。トルンはもう、シノートへの移住を決意していたのだろう。採石場の人々を説得しに行ったところで、得られるものはトルンの決意に対する傷だけだ。
 ラスターがノアの背をポンとたたいた。
「……無力だね、俺」
 ノアの震える声に、ラスターは小さく囁いた。
「鹿を狩りに行こう。俺とあんたにできることは……もう、そのくらいしかないさ」
 ノアは無言で頷いた。

 その日、ノアとラスターはとびっきり大きな鹿を一頭、仕留めた。
「美味いなぁ、美味いなぁ!」
 ガツガツと肉に食らいつきながら泣いているトルンの顔をノアは見ることができなかった。頭の中でぐるぐると考えが巡る。採石場の人たちを説得できないだろうか。なんとかしてトルンの夢を叶えてやれないだろうか。シノートの灯台に暮らす選択肢ではなくて……もっと……。
「星が綺麗だな」
 ラスターの言葉に、トルンが「はは、」と笑った。
「そうなんだ、ここは本当に星が綺麗なんだ」
 ほら、とトルンは上を向いた。
「真上で一番輝いてるのが旅人の星……って、知ってるか」
「でも、こんなに綺麗なのは初めて見た」
「そうなのか? じゃあ折角だしいっぱい見てってくれよ」
 トルンは「たはは」と笑って、泣いた。残った肉を保存用に加工する間も、トルンは静かに涙を流していた。


 明け方の森の、湿り気のある冷たさに思わず手を握りしめる。ノアは吐く息を白く染めながら、荷物をまとめたトルンを見つめた。
「シノートについたら、手紙を出すよ」
 トルンはニカッと笑った。前歯が一本なかった。
「分かった。住所は分かる?」
「ギルドの住所に個人名に充てて出せば届くって聞いたけど、それじゃあダメ?」
「問題ないよ」
 男は視線を下に向けた。もう、塔はなかった。トルンが去ると聞いた人々が片っ端から石材を持って行ってしまったのだ。彼らの粗暴な振る舞いにノアは腹を立てたが、トルンは何も言わなかった。こんなところで朽ち果てるくらいなら、どこかで役に立ってくれた方がいい――そんなトルンの主張を、ノアもラスターも、嘘だと容易に見抜いていた。
「なんか、見苦しいところをみせちゃったな」
 トルンは「たはは」と笑って頬を掻いた。
「そんなことないよ」
 ノアは優しく否定した。意図して穏やかな声を出さないと、壊れてしまうのはこちらの方だ。
 ――彼の後ろにいつもそびえていたあの塔の壁がない。もうどこにもない。どこにも、ない。
「ありがとう、二人とも」
 トルンが手を差し出す。
「お礼なんて……」
 謙遜するノアの脇腹を、ラスターが肘で小突いた。
 ノアは、トルンの力強い手を握った。
「どうか、元気で」
「ああ。二人もな」
 薄い霧で視界が悪くなっている道をトルンは歩いて行った。彼の姿が見えなくなった頃、ラスターがぽつりとつぶやいた。
「完成した塔、見たかったな」
 その声があまりにも悲し気だったので、ノアは耐えきれず息をついた。
「もっと上手く動けていたら、こんなことにはならなかったかもしれないね」
「手遅れだったさ」足下の石をつま先でつつきながら、ラスターは言った。
「俺たちが来たときには、もうどうしようもなかったんだ」
「本当にそう思う?」
 ラスターが勢いよくノアの方を見た。
「本当にどうしようもなかったって、思ってる?」
「…………」
 ノアが続けて口を開く、が、結局そこから言葉は零れなかった。呆気にとられたラスターは森の冷気が喉の奥を抉ろうとするのを押さえながら、どうすれば上手く動ける・・・・・・のかを考えた。嘘は無限に思いつく。ヘラヘラと笑いながら道化を演じるのもたやすい。しかし、そんな気分になれなかった。半ば八つ当たりのような心持ちで、ラスターは腹の底から本音を吐いた。
「そう思い込まなきゃ、壊れちまうだろ」
 ノアの目尻が僅かに下がる。彼が笑っているのか、泣きたいのか、ラスターには分からなかった。
「そうだね……、そうだよね」
「……ああ」
 沈黙に木々がざわついた。指先の感覚が既にない。ひどく冷えているようだ。
「……行こうか」
 ノアがぽつんと問いかけた。ラスターは無言で頷いた。声を出す気力が、もう残っていなかった。


To be continued


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)