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【長編小説】ノアと冬が来ない町 第一話 情報

 暖炉に炎がはじける。ノアとラスターはテーブルの上であれこれ資料を広げてにらめっこをしていた。地図、書類、ノートの切れ端……そのすべてが一つの依頼のために集められている。シノからの依頼――「弟を探してほしい」という単純なそれは、二人の想像以上に手を焼くものであった。

 なんせ情報が驚くほどない。これにはラスターも困惑していた。精霊族の密輸入は一般人の視点からすれば見つかりにくいものではあるが、ラスターのように裏社会に出入りしている人間からしてみれば筒抜けの事実である(シノからは「知ってたの?」という威圧がすっ飛んできたが)。が、その密輸入された精霊族がどうなっているかという情報の中で、シノの弟の記述だけがない。
「でも大体予測はついた。大っぴらに精霊族を買ったと言い出せないやつが買ったんだ」
「例えば?」
「有名貴族。町長。村長。騎士団長……ほかにもいろいろ」
 ラスターはそう言って肩をすくめた。
「売られた精霊族って何をされるの?」
「まぁ大半が奴隷だな。魔術師連中を尻に敷きたいアホ魔力ナシアンヒュームが買ったりとか、魔術で名を上げたい魔術師が無理やり契約を迫るとか」
「そうか……」
 ノアが黙り込む。こんなことならコガラシマルとヒョウガにもう少し長居してもらえばよかった。精霊族とその契約者という当事者の二人なら、もう少しこの問題に対する良質な情報をくれたかもしれない。が、いないものを嘆いても仕方がない。ノアは頭をかいた。ラスターの言葉を反芻する。有名貴族、村長、町長、騎士団長。そういった立場にいる彼らが「魔術師連中を尻に敷きたい」とか「魔術で名を上げたい」と考えるだろうか。魔術で名を上げるにしても、魔法の研究を生業にしている魔術師たちは精霊との契約をしない選択を取ることが多い。精霊と契約すると、使える魔術の幅が狭くなるからだ。ではノアのように戦闘に魔術を扱う人はどうだ? こちらは強くなればなるほど有名になる。そうなればノアの視界にも入る。何より、弟の情報収集のためにギルドで働いているシノの方がアンテナは高い。こちらに依頼が回ってくることすらないだろう。
「それと、肝心の目撃情報もまったくない」
 ラスターが写真を取り出した。燃えるような朱色の髪に、日輪島文化の伝統衣装。右頬に傷のような赤いペイント。確かにこの外見は目立つ。裏面にはシノの文字でこう書かれている。
 ――アカツキ。
 写真の人物、つまりシノの弟の名だ。
「お手上げ一歩手前まで来ている気がするよ」
「いいや、そうでもないさ。目撃情報がないってことは、こいつが直接顧客のもとに届いた、ってわけ。梱包されたまま」
「……死なないの? その間飲まず食わずってことになるし」
「精霊族は食事や睡眠を必要としないやつもいるだろ。コガラシマルがそうだし」
 言われてノアは思い出した。コガラシマルは食事と睡眠を必要としない。いつもヒョウガの料理を美味いと言って完食し、酒もグビグビ飲む姿が焼き付いているのですっかり忘れていた。
「アカツキもそうなのかな?」
「分からん。ただ可能性は高いうえに、一日かからない距離なら人間だって余裕だぞ」
「…………」
 ふう、とノアは息をついた。ラスターがコンパスで海洋都市シノートを中心に円を描く。一日で移動できる距離の最大到達点の目安だ。
「アルシュにはギリギリ足りないか」
「馬車を無理して動かせばワンチャンって感じ?」
「うーん……」
 その時だった。何かが窓ガラスをつつく。黒い塊が窓の外でちょこんと座っている。ノアが窓を開けるのと同時に、その黒い塊はすっと室内に入り込んできた。カラスの魔物だ。シアンの瞳が三つ、きらきらと輝いている。間違いない、ネロだ。コバルトの飼っている魔物だ。
 ネロはノアに「かぁ」と鳴いて、これ見よがしに足を示した。手紙が括り付けてある。ノアが手紙をほどこうとすると、ネロは足をすっとひっこめる。
「ナッツが欲しいらしい」
 ラスターがネロ語を通訳する。ノアは目を丸くした。
「コバルトに、『ネロにナッツを与えすぎないでくれ』って言われてるんだけど」
 ネロがたしたしと足を踏み鳴らした。ご不満らしい。ノアは頑張ってネロの手紙を受取ろうとするも、ネロは器用にノアの攻撃を回避する。ラスターはそれを面白そうに眺めていた。
「……一粒くらいならバレないんじゃないか?」
 ネロが「そうだそうだ」と言わんばかりに「かあー、かあー」と鳴いた。
「ここまで来るのも寒かっただろうしね」
 ノアは窓を閉めてから、戸棚にナッツを取りに行った。様々な種類のナッツが詰め合わせになっているそれはノアとラスターのおやつや酒のつまみにもなるが、最近はネロへのご褒美専用になりつつある。ノアはアーモンドを二粒手に取って、すぐにネロのもとへと戻った。ネロはノアの手にアーモンドを見つけると、少し嬉しそうに足踏みをした。待ちきれないらしい。ナッツをネロのそばに置くと、ネロはそれをくちばしで器用に摘まみ上げた。ノアはその隙にネロの足につけられていた手紙をほどいた。

「いい情報がある。ドクロで待つ」

 コバルトからの手紙はシンプルな用件で終わっていた。ノアとラスターは顔を見合わせて、頷く。行くしかない。外套を着た二人に対し、ネロがかあ、と鳴く。ノアが窓を開けると、ネロはわき目も降らずに冬のアルシュに向かって飛び立っていった。
「コバルトの情報って何だろう」
「さあ? 期待できるとは思うけどな。あいつの方が闇にどっぷり浸かってるし」
「闇に?」
「そ。俺はまだそこそこだと思ってるんだけど、コバルトは全然そうじゃないから」
 ラスターはそう言って玄関へ歩いて行った。ノアも窓を閉めてから、ラスターの後を追う。うっすらと雪の積もった街道を行き、そのまま商業都市アルシュの街中へと入る。道中、雪だるまを作る子供たちを何度も見かけた。
「いいね、俺も後で作ろうかな」
 ラスターはご機嫌に口笛を吹く。二人は足早に地区の方へと向かった。
 コバルトの指定した「ドクロ」というのは「酒場・髑髏の円舞ワルツ」のことである。ノアとラスターは「酒は美味いが飯は不味い」で有名なそこの扉をくぐった。酒場のマスターがボックス席を示す。そこにコバルトとシノがいた。
「気になる場所がある」
 挨拶もなしに、コバルトは話を切り出した。
「プレメ村は分かるな? 少し前に冬に閉ざされてすったもんだした村だ」
「分かるよ。その依頼を解決したのは俺たちだから」
「そのすぐ近くにクローヌの町があって、そこから少ししたところにナボッケの町って場所がある。今、そのナボッケの町ってのが話題なんだ」
「話題?」ラスターが眉をひそめた。
「ああ」コバルトはにやりと笑った。
「“冬が来ない町”ってね。その町だけ、ぽっかりとくりぬかれたようにして温かいらしい」
「それって――!」
 思わず声を上げたノアに、コバルトは満足そうに頷いた。
 魔力をうまく扱えなかったヒョウガのせいで、暴走状態に陥ったコガラシマル。彼が冬に閉ざしてしまったプレメ村を助けたのはほかでもないノアとラスターだ。ヒョウガに魔力の扱いを教えた結果、コガラシマルの暴走は見事に終わった。冬の力で抑えられていたグランドサーペントが起きるというハプニングもあったが、結果を見れば魔物退治も終わり、冬も終わり、ヒョウガとコガラシマルの関係も修復。二人はナナシノ魔物退治屋所属の手続きを踏んで、ソリトスを見て回る旅に出た。旅先から時々ノア宛に手紙が来ることもあるし、なんならわざわざこちらに顔を出しに来てくれることだってある。
「なるほどな。プレメ村と似たようなことが起きている町になら、炎の魔力を持つ精霊が同じようなことになっている可能性があるってことか」
「あくまで可能性で、もしかすれば他の精霊が犠牲になっている可能性だってある。そもそもその、アカツキってやつは誰かと契約を結んでないらしい。精霊一匹で特定の区画の天候を長時間変えられるとは思えん」
「可能性があるなら行くしかないわ」
 シノが口を開いた。四人の間に沈黙が下りる。空気が変な歪み方をした。何よ、と言わんばかりのシノに対し、基本的に他人に対して容赦の無いコバルトが咳払いをした。
「……お前さん、まさかついていく気か?」
 コバルトが恐る恐る口を開いた。シノは目をしぱしぱさせて、コバルトの言葉の真意を理解できていないようだった。
「当たり前でしょ?」
「ついて行って何になるんだ?」
「あら、あたしこれでも精霊族だもの。精霊族の知識は精霊族が一番詳しいし、最低限の腕っぷしはあるし……わりと役に立つ自信はあるわよ?」
「だそうです」
 ラスターがそう言うと、コバルトは手をひらひらとさせた。「好きにしてくれ」という意味だ。
「一応ナボッケの地理だけ確認しておこうか」
 ノアが持ってきていた地図を開く。ナボッケの町の位置はラスターが作画した円の内側だ。
 ナボッケの町は山と森に囲まれてはいるが、街道の途中にあるのでアクセスはプレメ村よりもいい。すぐそばにあるナボッケ霊山はナボッケの町においては信仰対象になっているらしく、人の立ち入りは禁止されている。その近くにあるのがナボッケの森で、こちらは特筆すべきことは特にない、普通の森である。
「誰も何も言わなかったのかな。ここだけ温かいってことに」
「気が付いてはいたのかもしれないけど、言わなかったんだろうなぁ。雪道よりも歩くのが楽だから行商人にとってはありがたい話だし」
「ともかく現地に行ってみよう」
「そうね」
 ノアとシノが立ち上がる。その様子を、ラスターとコバルトはアホ面で見ていた。
「今から?」
 ラスターが恐る恐るといった様子で口を開いた。
「え?」
「そうよ」
 お互い全く一致しないアンサーを繰り出すノアとシノ。コバルトは盛大なため息をついた。それにちょっと不服そうな態度を示したシノは、唇を尖らせながら告げた。
「早い方がいいでしょ」
「今から行ったら到着が遅くなる。お二人の気持ちはわかるけど荷物の準備も必要だし、ちょっと時間をくれないか」
 ノアは懐中時計を引っ張り出した。今から向かえば到着は夕方より少し前くらいだろうか。もっとも、交通事情がよくて、何のトラブルにも巻き込まれなければ、という前提だが。
「……分かったわ」
「明日の朝六時に出発ってことで、どう?」
 ラスターの申し出に、シノはしぶしぶ頷いた。コバルトが再度盛大なため息をついたが、誰も何も言わなかった。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)