見出し画像

【長編小説】ノアと冬が来ない町 プロローグ

 つい先日の悪夢の騒動で都市の住人ほぼ全員が眠りに落ちていたとは思えないくらいに商業都市は元通りだ。ノアは気味が悪いくらいに何の変哲もない人ごみに流れながらギルドへたどり着く。ここも普段通り。依頼を探す同業者も、困った依頼主を懸命に説得する職員も。ただ、いつも受付に座っているシノの姿だけが見当たらなかった。
「すみません、シノさんは本日いらっしゃいますか?」
 手近な職員を捕まえて、ノアはさらりと問いを投げた。
「シノなら、今日はお休みですよ」
 職員はやや冷めた目をノアに投げながら答えた。「珍しいですよね」と言いながら去っていく彼女は、ノアがシノをナンパしに来たものだと思ったのだろう。魔物退治屋がギルド職員を口説くのは珍しい話ではない。事実、相方だって同じようなことをしたらしいから。
 外に出る。さて困った話になった。ラスターだったら自慢の情報網を用いて即座にシノの居場所(ついでにスリーサイズ)を暴くのだろうが、彼は今療養中だ。これはシノからの指示だった。ラスターの夢に巣食った魔物の影響で彼は今もひどく消耗している状態で、実際例の魔物を倒した後の仮眠は丸一日続いたらしい。これはラスターの夢に乗り込んだノアも同様だった。目が覚めたら地区の地面の上ではなくてアングイスのアパートだったのでノアもラスターも目を丸くした。眠っている間にコバルトとシノ(自分に幻覚をかけて、疑似的な身体強化魔術を展開したらしい)が運んでくれたようだ。それよりも丸一日眠っていたという事実にノアとラスターは驚いたのだ。
 それでも夢に囚われたままのアングイスを助ける手伝いをし、もう消耗も何もなくなったものだと思っていた。が、実際はそうではなかったようだ。
「ノアはもう大丈夫だと思うけど、ラスターは……もうしばらく家でおとなしくしていて。本を読むのもいいかもしれないわ」
「あ、それならノアの部屋にいれば余裕って感じ」
 という流れで、ラスターはのんびりとノアの蔵書を読んで過ごしている。
 ギルドを出て、地区の方へと向かう。この場所もいつも通りだ。子供たちがおもちゃの剣を振り回して遊んでいる。ノアはどうしたものかな、と思った。アングイスのアパートに行けばよいのだろうか。
 なんせ人探しならコバルトにちょっと聞くのが早い。という持論は間違っていないのだが、シノを見つけるためにコバルトを探すというのも本末転倒な気がする。素直にシノを探す方が……と、そわそわと通りを歩いていたノアが立ち止まった、そのときだった。
「そんなにキョロキョロしてどうしたんだ」
 あきれた声が、鼓膜を震わせる。
「コバルト!」
「おやまぁ、ずいぶんと嬉しそうな口ぶりで」
 コバルトは喉をぐう、と鳴らした。
「聞きたいことがあるんだ。シノがどこにいるか知らない?」
「あの女なら酒場にいる。最近は地区の廃アパートに入りびたりだ」
 それは意外だった。ノアはコバルトをまじまじと見つめてしまった。ノアの不躾な視線にコバルトも気づいているようで、彼は歯をカチカチ言わせた。
「別に好きで置いているわけじゃない。出てけといっても出ていかないから困っている」
「ギルドの仕事を休んででもやらなきゃならないことがあるのかな」
「知らん。ともかく、奴に会いたいならこっちだ」
 コバルトは冷たく言い放つと、ノアのことを気遣うそぶりすら見せずにツカツカと路地の方へ歩き始めた。慌ててノアも後を追う。
 酒場・髑髏の円舞ワルツ。テーブル席に広がっていたのはグラスばかりで料理はほとんどない。酒は美味いが飯は不味いのふれこみは疑いようがないのだが、すきっ腹に酒というのはあまり賢いとは思えなかった。
「あら、どうしたの?」
 シノは手元のサングリアをくるくるかき混ぜながら、ノアの登場に驚いている様子であった。コバルトが手を挙げて「茶」と言ったのがわかる。
 ノアは席に着いた。シノの真向かいだ。
「聞きたいことがあるんだ」
 あの夢の中で、ノアには一つ気になることがあった。
「俺があの魔物を倒すことができたのは、どうして?」
「どういうこと?」
 シノが手を止めた。サングリアの中のオレンジとミントは止まる気配がなかった。
「あの戦いのとき、魔物に攻撃を与えたのは俺だ。でも死ぬ気配はなかった。俺とラスターを障壁魔術らしきもので守ってくれた人がいたんだ」
 ラスターの中に巣食った魔物は、商業都市アルシュをも支配下に置こうとした。異変を察知したシノ――夢と熱の加護を受け、幻を司る精霊・シノノメ――は悪夢の難を逃れていたノアに魔物退治を依頼したのだ。ノアはシノの力でラスターの悪夢の中に入り込み、ラスターを捕えて商業都市を侵略しようとしている魔物を直接叩きに向かった。魔物はラスターにとって大事な人(だと思う。本人から直接聞いたわけではないが、ほぼ確実にそういう関係だろう)――リンに化けて、ラスターを悪夢に閉じ込めていた。
 夢の終わる間際に本性を現した魔物に対し、本物のリンはノアとラスターの前に現れた。彼女の魔術で魔物は消滅し、ノアとラスターは現実に戻ってくることができたのだ。
「そうね。実際そうだったわね」
「あれは、ラスターの夢が作り出したもの?」
「……何が聞きたいの?」
「一度も彼女と出会っていない俺が言うのもなんだけど、あまりにも本物みたいだったから」
 シノはため息をついた。
「夢と死後の世界って、繋がっているのよ。うまくその人の夢に出られるとは限らないけど。あなたの違和感は正しいわ。あれは本物のリンよ」
 ノアは目を白黒させた。マスターがノアに茶を持ってきたがそれどころではなかった。
 ――死後の世界?
「待って、」とノアが思考整理に言葉を紡いだその時だ。
「知らなかったのか。あの女はとっくに死んでるよ。暗殺者に殺されたのさ」
 いつの間にかノアの隣に座っていたコバルトが、喉をぐうぐう鳴らしながら笑った。
「あんたほんとに悪趣味」
 シノが露骨な嫌悪感を示した。サングリアの中身はもうすっかりおとなしくなっている。
「でも、実際そのとおりよ。あの子は死んでる。ラスターも夢の中でそう言ってたでしょ」
「比喩か何かだと思ったんだ。どんな事情があっても、ラスターがあの子を殺すようには思えなくて……」
 ラスターの言葉が浮かぶ。
 悪夢の花屋にとらわれていたラスターが、再度夢に引きずり込まれそうになったとき、彼はそれを自らの意思で拒絶した。
 ――あんたは誰だ? あいつの姿を借りて、俺に……。
 ――俺に、もう一度あいつを殺させたいのか?
 彼は確かにそう言った。ノアはそこに深くは踏み込まなかった。そうするべきではないと分かっていたからだ。
「まぁ、実際似たようなものさ」
 コバルトはウイスキーの水割りを飲んだ。
「見ただろ。あの人畜無害で暗殺者おれたちとは一切関係のなさそうな女。あれが暗殺者に殺されたんだぞ?」
「でもその暗殺者はラスターではないんだろ」
「だったら何故?」
 コバルトは意地の悪い笑みを浮かべた。ノアは言葉に詰まった。
「何故、暗殺者に狙われるような状況になったと思う?」
 答えたくはなかった。喉が渇いた。ノアは唾を飲む。あまり意味がない。グラスの氷がカランと落ちる音がした。
「分からないか」
「分からないんじゃない、言いたくないんだ」
 コバルトの笑みが深くなる。彼は座りなおしてから、喉をぐうぐう鳴らした。
「話を戻していいかしら?」
 高まった緊張感の中、シノが声を張った。
「夢と死後の世界は繋がってるの。死んだおばあさんが枕元にいたとか、夢の中で遺産の話をされたとか。聞いたことあるでしょ? あれは本物の場合があるわ。もっとも全部が全部そうとは限らないけどね。自分の妄想が死者の形をして夢に出ただけ、ってことの方が多いの」
 シノは一気に言い切ると、サングリアを飲み干した。「マスター、もう一杯サングリアをお願い!」という声だけがこの空間でむなしい明るさを放つ。
「それで、確認したいことってそれ? そのためだけにあたしを探し回ったの?」
「……いいや、違う」
 唇が震える。果たしてこれを言ってしまってよいものか、今になって迷いが生じる。しかしここで「なかったこと」にすれば、今日という一日をドブに捨てたのと同じだ。
「もしも、なんだけど」
 慎重に、言葉を繰り出す。喉を潤そうと茶に手を伸ばしたら器が熱かったのであきらめた。
「もしも……シノの力を借りれば、夢の中で亡くなった人に会える、ってこと?」
 視線が一斉にノアの顔に集中する。頬が熱くなるのが分かった。
「可能よ」
 シノは慎重に言葉を選んでいるようだった。
「誰に会いたいの?」
「父さんに。カルロス・ヴィダルに会いたい」
 コバルトが「賢者の剣か」と呟いたが、ノアはあえて無視した。
「自分と接点を持ったせいで暗殺者に殺されたリンのことを、ラスターは『俺が殺した』って表現するのなら、俺だって同じことが言える。『父さんを殺したのは俺だ』って」
「会いたいの?」
「うん」
「会って、何がしたいの?」
「……謝りたい。話さないとならないことがいっぱいある。そして賢者の剣のありかについて聞かないといけない」
「賢者の剣ねぇ」
 シノは腕を組んで、考え込んでしまった。
 賢者の剣。大賢者カルロス・ヴィダルが世に残した最高傑作の魔道具。本来は誕生日プレゼントとしてノアに贈られるはずだったそれは現在所在不明となっている。使用された材料や設計計画の図面からして相当な価値があると断定され、今ではトレジャーハンターが血眼で追い求める伝説のお宝となってしまった。
「本当なら、俺が探しに出なければならない代物なんだ。だけど俺は立場上上手く動けない」
「それもそうね。あたしがトレジャーハンターの立場なら、あんたの尻を追いかけまわしておいしいところだけいただくもの」
「だから、シノの力で父さんに会えるのなら、そうしたいと思った」
「…………」
「できないならいいんだ、不可能だったり、それがとてもよくないことだっていうなら……」
「いいわよ」
 コバルトがすさまじい勢いでシノの方を見た。シノがこちらに手を伸ばす。ノアの額に指先が触れたその時、体から力が抜ける。額を強かにぶつけたのが分かる。コバルトの声が遠のいていく。
「おやすみ、ノア」
 瞼が下りた先は暗闇だと相場が決まっている……。
「体の調子はどうかしら?」
 霧の中で、シノの声がした。
「最悪だよ。お前さんが雑にノアを寝かせるから。額に馬鹿でかいたんこぶができそうだ」
 代わりに答えたのは現実世界にいるコバルトだった。ノアは額に触れてみたが、コブらしきものは存在しなかった。
「外で吠えてる偏屈はほっといて、いきましょ」
 霧がさっと晴れて、シノの姿が見える。ノアはほっとした。ラスターの夢に入った時のように一人で行動することになるのかと思っていたが、今回はそうでもないらしい。
「ここがあなたの夢の入り口ね」
「君は……」
「あたしは正真正銘本物よ。夢の加護を受けた精霊だもの、人の夢に出入りするなんて造作もないわ」
「ラスターの夢にも?」
「勿論。でもあの魔物がいたから厳しかったのよ。入ろうとしたらたぶん追い出されるか、奴がラスターの精神を破壊して回ったでしょうね」
 シノはノアの手を取った。
「いい? 目を閉じて、会いたい人物……お父さんの姿を強く念じて。あたしが死者の世界に門をつないで引き寄せるから。思い出でもいいわ。できるだけ強くね。まつ毛の一本に至るまで可能な限り正確に描いてちょうだい」
「分かった」
 目を閉じる。可能な限り正確に……シノの言うとおりに……髪型、俺と同じ感じ。もっと癖が強くて、いつも自信に満ちた顔……度の強い眼鏡に……身長は……服装は……体格、声、匂い……。俺が王都騎士団に入隊すると決めた時の顔……「合わない! って思ったらいつでも帰ってきなさい」「私としてはさぁ、ノアをさぁ、あんな最悪クソゴミ詰め合わせワールドに送りたくないんだけどさあ」「ノアは言ったら聞かないから、まぁ行っておいでよ」「ともかく、何かあったらいつでも頼りなさい」「私は大賢者カルロス・ヴィダルである前に君の父親なのだから」……。
 雨が降っている。賢者の剣は父さんが生きている頃から話題に……探しているのはトレジャーハンターだけでは……。騎士団の一部の連中が……剣はどこだと……、もう完成していると分かっている、なぜなら、手紙に……ると言って、連中は、レオが俺に宛てて書いた手紙を…………。
 雨が降っている……ロゼッタが泣きながら俺の頬を張った。「どうして手紙を連中に渡したの! 兄さんは騎士団で出世できればあたしたちのことなんてどうだっていいんでしょ!」違う、渡してなんか……奴らが勝手に中身を……雨が降って……父さんは……家族を守るため、……結局俺のしようとしたことは……父さんは、俺が、俺のせいで…………。
「ノア!」
 肩を掴まれ、体を揺さぶられる。誰の声? シノ? 違う、シノの声じゃない。もっと外の方から……。手に力が入る。掴むことができる。何かを。体重を預けて……頭を撫でられる。
「…………父さん?」
 答えはない。代わりに強く抱きしめられる。意識が浮上する。
 ノアは目を覚ました。文字通り現実に引き戻された。人の体温を感じる。顔を動かす。
「あ、起きた?」
 その声にノアは飛び上がった。ばっと起き上がった際に彼は意図せず相手の顎下に頭突きをかましてしまった。幸い気絶に至るほどの威力はなかったが、事故につながる危うさはあった。
「元気なことで」
 顎下をさすりながら笑うラスターに、ノアは混乱が止まらない。思わずシノの方を見るが、あからさまにいら立っているコバルトがセットだった。シノは「終わった?」と聞いてきた。
「父さんは?」
「そこなんだけど、いなかったの。いた痕跡すらなかったわ。あなたのお父さんは死者の国に足を踏み入れてすらいない」
「詐欺師ならもっとまともな嘘をつくんだがな」
 コバルトが憎々しげに吐き捨てた。
「なんかずっと機嫌悪いじゃない、どうしたのよ」
 コバルトはそっぽを向いた。ノアはラスターの顎に簡易的な治癒の魔術を展開する。外傷はなかったが意識が揺れるくらいの被害はあっただろう。
「父さんがいないって、どういうこと?」
 治療を終えて、姿勢を正す。息が切れそうになっているのが分かった。周囲の様子は先ほどとほとんど変わらない。しいて言えば、シノはいつも通りだったがコバルトの機嫌は彼女の言う通り最悪だと分かる。
「ノアは悪くないの。むしろ完璧ね。まさか意識が死後の国に引っ張られるとは思わなかったけど」
「予測もつかなかったのか?」
 コバルトは鼻で笑った。
「夢だの幻だの語る割には、人間の感情についての知識に乏しいらしい」
「だって、あたし精霊だもん」
 コバルトの皮肉を正論でぶった切ったシノは、コバルトの反論を聞くつもりもなくノアに向き直る。イラついたコバルトがテーブルを指で数度叩いた。
「いい? あなたは完璧だった。カルロス・ヴィダルを呼ぶだけの条件はそろっていた。でもいなかったの」
「つまり? どういうこと? 父さんが生きてるっていいたいのか?」
「それ以外考えられない」
「バカな!」大声を張り上げたノアにラスターの視線が飛ぶ。
「そんなはずが、そんなはずは……だって父さんは死んで、俺の実家に墓が」
「でも死後の世界にいなかったのよ? 生きている以外に説明がつかないじゃない」
「違う、父さんは絶対に死後の世界にいる。俺がよくなかったんだ。思い出すべき箇所・・を間違えた。もっと昔のことを思い出すよ。そうすれば会えるはずだ。シノ、もう一度頼む。俺を父さんに会わせてくれ」
 ノアは一度頭を下げてから、シノのことを見た。「ちょっと、」とさすがのシノも狼狽える。
「あのね、思い出す場面は関係ないのよ。何度やっても同じだわ」
「それでも! 父さんは死んでるんだ。それは間違いないんだ、死後の世界にいないはずがない」
「いないものを探すのはあたしにはできないわ」
「それでもいる・・んだよ!」
 ノアがテーブルを叩く。グラスが少し飛び上がった。シノは目を見開き、まじまじとノアを見つめた。ラスターが少し身構えて、コバルトは呆れた視線をシノに投げた。
「君の言うことが事実だとすれば、俺たちの記憶は何になるんだ? 騎士の一部が俺の実家を奇襲したのも、レオが、俺の弟が父さんの遺体を焼いたのも、騎士団の追っ手をかわして家に戻った俺が見た墓も全部全部夢だって言いたいのか?」
「ノア、違うの。あたしは……」
「だったら――!」
「そこまでにしておきな」
 コバルトが喉をぐうぐう鳴らした。
「感情的になると視野が狭まるのはよくないと思わないか、ノア・ヴィダル」
 時々、コバルトの視線には何か魔術的なからくりがあるのではないかとノアは思うことがある。あのねっとりとした闇に似た色の瞳でじっと見つめられると、心が強制的に穏やかになる。それは決して人に安心感を与える類のものではなく、どちらかというと恐怖心に近しいなにかだが。
「でも、父さんは……」
 冷えた頭がようやくそれだけを吐き出す。コバルトは手のひらをノアに向けて、少し軽く空気を押した。「分かった、分かった」という意思表示だ。
「俺は魔術に関しては詳しくないがね、カルロス・ヴィダルほどの実力者なら死後も自分の魂をこの世に留めておくくらい造作もないんじゃないか?」
「……何のために?」
「さあね。誰かに何か渡しそびれたものがあるんじゃないか? 誕生日プレゼントとか」
 コバルトはニヤリと笑った。ノアの体から力が抜ける。ラスターが肩を叩いてきた。馬をなだめるときのそれに近しいやり方だな、とノアは思った。
「シノ、ごめん。少し言い過ぎた」
「気にしてないわ。幻を見た人間って多かれ少なかれああなるから」
「俺はお前さんも謝るべきだと思うんだがね」
「どうして? ノアのお願いには協力したじゃない」
「これだから精霊族は!」今度はコバルトが声を張り上げた。「頭が固い連中ばっかりだ、そんなんだからアマテラスの奇襲で滅亡するんだよ!」
「ちょっと、それは聞き捨てならないんだけど?」
「二人とも落ち着け。喧嘩するなら俺は帰るぞ」
 ラスターがテーブルにあったチーズ盛り合わせ(例にもれず不味い)を手に取り、二人に向かって構えながら牽制をかます。シノもコバルトもおとなしくなった。
「そうだ!」チーズを構えるラスターの肩を掴み、ノアは自分の方に向き直させる。
「どうしてラスターがここにいるの? 君は療養中だろ?」
「え、もしかしなくても怒ってらっしゃる?」
 ラスターはチーズをテーブルに置いた。皿の上に置かなかった辺り、彼がこのチーズを食い物として認めていないというのが分かる。
「怒ってはいないよ。驚いただけ」
「よかった。口調がマジで怒ってるときのやつだから焦ったぜ」
 ノアは自分の唇に手を添えた。そういうつもりではなかったのだが、どうやら「父の魂が未だにこの世にある」という可能性は、自分のことを思っている以上に消耗させているらしい。
「で、怒らない?」
「怒らないよ。療養も七日目だし。風邪になった子供だって熱が下がれば咳が出ていても駆け回るだろ」
「俺は風邪っぴきの子供と同列ってことで?」
「怒った?」
「怒らないよ」
 ラスターは一枚の紙きれを取り出した。中身を見ずともわかる。こういった連絡手段を用いるのはコバルトしかいない。中には「至急ドクロに」と書かれている。ドクロというのはこの酒場のことだ。
「到着してみたらあんたが半分死んでるし、コバルトは今にもシノを撃ち殺しそうになってるし、もう心臓が冷えたぜ」
 ラスターはそう言ってけらけら笑った。少し酒が入っているらしい。
「そんなに俺、死にそうになっていたの?」
「呼びかけに答えなかったからマジで焦った。まぁ結果的に起きてくれたから問題なしってことで」
「……そうか」
 シノはサングリアを飲んでいる。相当気に入ったらしい。コバルトはもう彼女の方を見ようともしない。
「シノ、ありがとう。ちょっと希望が持てたかもしれない」
「それなら何よりだわ」
「シノも困ったことがあったら、俺たちに頼っていいからね」
 手が、止まる。その違和感をこの場にいた全員が見逃さなかった。コバルトが意地の悪い笑みを浮かべて、ゆっくりと口を開く。それをシノは見逃さなかった。コバルトに先を越されるくらいなら、という意識が彼女の中に生じていたのだろう。
「それって、人探しでもいいの?」
「人探し? うん。魔物退治屋の仕事の中にもあるからね」
「そう……」
 シノがため息をついた。サングリアのグラスは空になっている。
「あのね、」
 ノアの隣で、ラスターが姿勢を正した。シノも姿勢を正す。その際に、彼女の手の中で小さな紙切れが握りつぶされるのを、コバルトだけが見ていた。
 シノが、小さく息を吸う。そして、告げた。
「弟を、探してほしいの」



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)