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【長編小説】ノアと冬が来ない町 第二話 ナボッケの町


 異常という言葉はこの状況のためにあるのだろう。ノアは外套を脱ぎながらそんなことを思った。ナボッケの町に近づけば近づくほど上昇する気温は、もはや初夏に等しい熱になっていた。
「シノちゃん、どう? この暑さから何か感じる?」
 ラスターはスキットルを開けながら問いかける。当然、中身は水だ。
「分からないけど、こんなのどう考えても異常じゃない」
「コバルトだってここまでとは言っていなかった、おそらくこの状態になったのはつい最近の出来事のはずだ」
 ノアはそう言って、外套を丸めた。
 出発はまだ日が昇り切っていない時間だった。朝の六時と約束していた三人だったが、結局集合は数時間早まった。偶然だった。ラスターがノアを誘って朝食に、と明け方四時に声をかけ、そのまま近くの食堂に足を運んだらそこにシノがいたのだ。三人は軽く食事を済ませ、そのままナボッケの町へと出発した。朝イチの馬車である。まだ外は暗く、夜明けの気配もない。
「この時間帯が一番動きやすいんだよな」
「真っ暗なのに?」
「真っ暗だからだよ」
 ラスターとノアはぽつぽつと会話をしていたが、シノは黙ったままだった。魔力の気配を探るに、彼女は周辺の魔力を自力で解析しているようだった。
 ほどなくして、空が白ばんでくる。地平線の向こう側がうっすらと明るくなる。
「夜明けだな」
 ラスターが伸びをした。
東雲シノノメって今ぐらいの時間のことを言うんだっけ?」
「そうよ」
 シノは少しぶっきらぼうに答えた。彼女の視線は行方不明の弟に向けられている。
「いい名前だ」
 ラスターはそう言って、ノアの方を見た。ノアの薄紫の髪は夜明けの光を受けて白く輝いている。
「町に着いたら、少し様子を見て回ろう。町長つつくのはそのあとだ」
「観光客が多いといいんだけど」
「……どうして観光客の数を気にするの?」
 シノが口を開いた。その問いに答えようとしたノアを制して、ラスターが答える。
「目立たなくなる。見慣れない輩が市場をうろうろしてる、とか変な言いがかりつけられずに済むから」
「そう」
 シノはそう言って、黙ってしまった。
「緊張してる?」
 今度はノアが口を開いた。
「どうしてそう思うの?」
「随分と静かだから」
 ノアの言葉に、シノは少し首を傾げた。
「あたしは、普段と変わらないつもりだけど」
「別に、普段通りじゃなくてもいいんだよ」
「どういう意味?」
「俺がシノの立場だったら、きっとそわそわする」
「あなたも上の立場だったわね」
 シノが息をつきながら笑った。
「五人もいるよ」
 ノアも笑った。馬車がかくん、と揺れた。段差を降りたらしい。
「二人とも、見てみろ」
 ラスターが道路を示す。雪が解けている。その時だった。御者が足元の暖房のスイッチを切ったのだ。
「なるほどね」
 その理由はすぐに分かった。少し走ると気温がぐんと上がったのだ。そして現在に至る。三人はすでに外套を脱ぎ、中に来ていた上着の袖をまくっている始末。
「これは、なんというかすさまじいね」
 ノアは息をついた。雪と寒さを防ぐためについていた窓は、今や室内の冷気を逃さないために躍起になっている。熱気で外の空気が揺れている。相当な暑さらしい。正直馬車から出たくなかったがそうも言ってられない。馬車が緩やかに止まり、ノアたちはそこで降りた。目的のナボッケの町はすぐそこだった。森の木陰でこの熱気が和らぐかと思いきや、全くそんなことはなかった。コガラシマルの事例とは逆だ。日差しは冬だが空間が夏なのだ。しかもこの暑さも夏のものとは違う。ただただ熱。純粋な熱。まるで炎の上を歩いているかのような感覚に、体調が狂いそうになる。
「ノア、どう思う?」
 ラスターが周囲の様子をうかがいながら、ノアに話題を振った。ノアは簡単な魔力探知を敷いたが、特に何も感じられなかった。
「気になるのはこの熱の正体かな……」
「魔術か何かで地面を直接温めてるってことか?」
「地面を温めるだけで、こんなに天候を変えるくらいの力が出るとは思えないけど……」
「コガラシマルだって似たようなことしてたじゃないか」
「いや、コガラシマルは空間そのものに冬を呼んでいたんだ。だからプレメ村は冬そのものだった。ここはそうじゃない。やたら暑いだけで夏ではない」
「……あたしも弟も、魔力の本質は火よ。アタシは幻術寄り、弟は浄化寄りね」
 シノはそう言って、額の汗をぬぐった。
「あたしも弟も、地面を温めるくらいのことならできるわ。でも夏の加護を受けてるわけではないから、天候を変えるなんてことは……それに、ここの魔力は弟のものとは違う感じがする」
「感じ?」
「上手く言えないんだけど、なんだか気持ち悪いの」
 シノはそう言って口元を押さえた。
「ともかく町に入ってみよう。下手な動きはするなよ」
「どうして?」
「……俺も最近知ったんだけど」
 ラスターはそう言って、ノアの頭に帽子を乗せた。
「ここ、あんまり魔術師に対して好意的な町じゃないらしいから」

 ノアとシノはラスターを中心にナボッケの町を見た。観光に来るほど面白味のある場所ではないが、冬が来ていないという噂はちょっとずつ広まっているらしい。
「最高よ。冬がないおかげで農業も好調だもの」
「物珍しさから観光客が増えてウハウハだぜ、ガハハ!」
「治安が最高に良いの。町長さんの私兵が本当に強いからねー。これもこの暑さのおかげらしいわよ」
 住民はある程度この状況をありがたがっているらしい。が、ところどころでトラブルを見かける。町の土産屋が無知な観光客をぼったくろうとしてそれがばれた、というのが大半だが、中には暑さにやられた者が担がれていく……というパターンもあった。
「観光特需も長くは続かなさそうだな」
 ラスターはそう言って、あったかイチゴあめを舐めていた。近くの屋台で買ったのだ。舐める端から蜜が垂れていく様子を、シノは冷たい視線で見つめていた。
「それで、どこに行こうとしてるの?」
「ひとまずぐるっと様子見してから町長のところだな」
 イチゴあめの蜜を舐め終えたラスターは、棒に刺さったイチゴを興味深そうに眺めた。
「様子見って……」
 シノが呆れたように息をついた。
「意味があるの? あたしたちここまで見て回ってなんの情報も得てないじゃない」
「いいや? そうでもない。メインの広場から少し離れると人がほとんどいなくなる」
「それがどうしたのよ」
 ラスターがシノと距離を詰めた。とっさにシノが平手打ちの構えをするので、慌ててノアが止めに入った。ラスターはよけるそぶりすら見せず、けろっと理由を口にした。
「すぐそこが霊山の入り口だ。覚えておいて損はないんじゃないか?」
「そんなの、堂々と正面から入れば……」
「よく見ろ」
 ラスターはそれとなく、霊山の方を指さした。立ち入り禁止の表示も兼ねているらしい縄はアマテラスの文化を感じるが、問題はそこではない。縄の上側にかかっている飾り紐の一部がちぎれている。
「もしも正面から入れなかったら、ここから入ればいい。なんせ、誰かさんもここから入ってるみたいだからな」
「いったい誰が?」
「それは知らん。正面から入れなかった誰かさんだよ」
 ラスターはそう言って、来た道を戻り始めた。あまり長居すると怪しまれるという理由だった。
「でも、不思議だね」
 ノアは息をついた。そろそろ冷たい飲み物がほしくなる。
「どうして上から入ったんだろう。下から潜り込む方が入山しやすいだろうに」
「そこは俺も知らん」
 ノアは近くの屋台で飲み物の値段を見た。頭の上に「!?」の記号が浮かぶ。それもそのはず。ただの水が銀貨十五枚である。アルシュで同じものを買うなら銀貨二枚で済むだろう。さすがにためらいが生じる。屋台の店主はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。
「お客さん、水は命の源だよ。銀貨十五枚でも安いものだと思わないか?」
「銀貨十枚にまけていただくことは?」
 すかさずラスターが口を挟んできた。店主は即座に笑顔をひっこめ、むっとした顔をする。
「十五枚だよ」
「十二枚」
「十五枚だ」
「ラスター、いいよ。十五枚払うよ」
 ノアが財布を取り出そうとしたとき、シノがそっと店主の方を見た。
「お水、いくらかしら?」
 そのとき、ノアの背筋を嫌なものが駆け上っていった。シノの目が輝いている。魔術が発動している。彼女お得意の瞳術に水売りの男はまんまとひっかかっている。
「どうぞ、持って行ってください」
 シノと同じ色に瞳を光らせながら、店主は茫然とそう告げた。
「ありがとう。あなたは今すぐにこのことを忘れる。あたしがあなたの視界から消えると、あなたは目を覚ます。目が覚めた時、あなたは水のボトルが一本欠けていることに気が付く。それはあなたが水のボトルを一本用意しそびれたから」
「はい」
「さ、行きましょ」
 ぼんやりとしている店主にさっさと背を向けて、シノはノアの手に水のボトルを押し付けた。ノアはボトルを開けて中身を確認した。特に変なところはない。一口飲んでみようとすると、ラスターがボトルを奪って先に口をつけた。
「毒はない。ただの水だな。銀貨十五枚はぼったくりもいいところだ」
 問題がないことを確認したラスターは、ノアにボトルを返却した。ノアも水を飲んでみる。ラスターの言う通りただの水だった。
「確かにぼったくりだけど……。シノ、次からは店主に幻術かけるの禁止ね」
「どうして?」
「他の客に見られていたらあまりよくない」
「そんなの、ほかの客たちにも同じようなことをすればいいだけじゃない」
「シノ」
 ノアの語気が強くなる。その意味が分からないシノではない。彼女は肩をすくめて、少し首を横に振った。
「分かったわ。あなたがそこまで言うのなら」
「ありがとう。でも正直、ただの水に銀貨十五枚も支払わずに済んだのは助かったよ」
 ノアは後ろを向いた。水売りの男はボトルを一本追加している。シノの幻術はばっちり効いていたようだ。
「ところで、ラスターのあったかイチゴあめはいくらだったの?」
「銀貨一枚。ほんとは五枚のところゴネた」
「…………」
 ノアは絶句した。シノはしばし沈黙を作ってから、ノアとラスターに聞こえるように声を張った。
「あたしの幻術を禁止するなら、こいつのおしゃべりも封じるべきだと思うのだけど」
 シノの正論に、ノアは首がもげるほど頷きそうになった。ギリギリなんとかこらえた。
「他に見るところはある?」
 ノアはラスターの方を見て尋ねた。ラスターは「んー、」と声を伸ばした。
「ちょっとあの雑貨屋だけ見てもいいか?」
 ラスターが示したのは露店エリアの端にちょこんと開店していた雑貨屋だった。三人で雁首揃えるだけの広さはなく、ノアとシノはラスターの後姿を見送るしかなかった。
「ノアの弟って、どんな子?」
 おもむろにシノが口を開いた。
「二人いるけど、性格は正反対かな。レオは火の魔術の才能があるんだ。本を読んだりお話を作ったりするのが好きで、この前は学校の作文コンテストで賞をもらったんだって。オリバーはやんちゃで、魔術はあまり好きじゃなくて、もう遊びたい盛り。ロゼッタが……俺のすぐ下の妹が、すごく手を焼いてるって言ってた」
「そう。……あたしの弟はオリバー似かしら」
「やんちゃ?」
「ええ。図体はデカいくせに後先考えずに飛び出していくから、こんなことになっちゃったんでしょうね」
「でも、憎めないんだよね」
「ほんとそう。困ったものよ」
 シノのかんざしがキラキラと輝く。夜明けを思わせる色の石が連なった飾りがわずかな風に揺れる。
「このかんざし、弟がくれたの。夜明けみたいって言って。いいでしょ?」
「うん、すごく似合ってる」
「……ありがと」
 ラスターはあの小さな店でまだ何かを探しているらしい。いったい何を見つけたのだろうか。


 銀貨百枚きっちり支払い、ラスターは商品を受け取った。店主は笑う。
「お客さんも悪趣味ですよね」
「現物を見たのは初めてだった、ってだけさ。それに、これを買った俺が悪趣味なら、これを売ってるあんたも同じじゃないか?」
「あくまで、護身用ですから」
「護身用、ねぇ。ここは精霊族に襲われる街なのか?」
「ははは。まぁ似たようなもんです。それに、貴方の方が悪趣味ですよ」
 店主は再度、ゲラゲラ笑った。
「銀貨三百枚のコレ・・を、銀貨百枚に値切るところが」
 ラスターは笑った。値札には「護身用」とある。そして、買ったばかりのものをポケットに押し込んだ。



気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)