ひとつのことに打ち込めるって尊いなと改めて思った話
ネットニュースでたまたま徳永義昭さんについて書かれてある記事を見かけた。
パチンコばかりしていたある日、テレビを観ていたらフジコ・ヘミングさんがラ・カンパネラを演奏する姿が放送されており、釘付けになって自分もピアノで弾いてみたい!と思うようになったそう。
それからはとてつもない練習をこなして、遂にはきっかけとなったフジコ・ヘミングさんの前でラ・カンパネラを演奏するまでに至ったというのだ。
周囲を見渡してみると、案外自分の近くにもひとつのことに熱中している人がいることに気づく。
現在、ゲーム開発を一緒にしている人もずっとプログラマでご飯を食べてきている。完全に下地ができていて、どんなに新しい開発環境に身をおいてもインプットとアウトプットを的確にこなす構造が自身の中にできあがっている。
高校もろくにいかずにずーっと塗装のお仕事を続けてきた先輩も、今では由緒あるお寺の改修にご指名で携わるようになっている。
何かひとつのことに打ち込んで継続して続けるということは、生きていく上でもお仕事をしていく上でもとても有意義なのだと改めて考えさせられた。
でも。。
これがなかなかどうしてそう簡単にできるものではない。
これが自分にとって天職だ!とか、この趣味を一生続けていこう!と思っても、結局続かなくて他のことを始めた、なんてことはざらにある。
やりたいことが見つからない、なんてよくある悩みもこれに類似しているかと思うが、解決方法は30年生きてきてもぽんこつである僕にはちっともわからない。
今のところはそれと出会うか出会わないかの運でしかないと思うので、常にアンテナを張って生活するしか術はない。徳永義昭さんがたまたまテレビでフジコ・ヘミングさんのラ・カンパネラ演奏を観て心が燃えたように、その時がきたらしっかりと掴めるようにアンテナを張っておくこと。
ぼくは今はWebコンテンツを制作することに楽しみを見出している。ブログテーマを作ったりゲーム開発をしてみたりがそれにあたる。そんな中「その時」がきたらしっかりと掴んで、年齢に関係なく何かひとつに熱中して打ち込めるようになれればいいなと思っている。もしかするとそれは無意識のうちに始まっているのかもしれないなあ。
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