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余計なことは、言うな

筆者の好きなことわざがある。それが『沈黙は金、雄弁は銀』というものだ。

雄弁であることは大切であるが、沈黙すべきところを心得ていることはそれ以上に大切である、という意味だ。

世の中、言わない方が良いことで溢れている。

夫婦喧嘩や友人同士のトラブルの多くは余計な一言がきっかけでゴングが鳴ることが多い。ど派手に揉めた後に『どうしてあんなこと言っちゃったんだろう…』と後悔したことは誰しもがあるのではないだろうか。友人関係、夫婦関係、親子関係、何を言うべきかより何を言わざるべきかの方が重要な場面は多い。

人は深く他者と付き合えば付き合うほどに自分の内面を吐露したくなってしまう生き物である。人間の多くは『自分の全てを理解して受け入れて欲しい』という気持ちを持っている。

浅い関係の知り合いが相手なら『俺/私の気持ちなんて興味ないよな』と理性が働いてお気持ち表明にストップがかかるが、夫婦や親友など深い間柄の相手となると、つい開けなくていい本音のドアを開けたくなり『少しぐらいなら言っちゃってもいいか』とついつい腹の底にある本音をうっかり話してしまう。これが良くない。なぜなら人の心の”はらわた”は他者から見るとグロテスクなものである場合が多いからだ。

自分の腹の内を話すことはとても気持ちがいい。誰しもが他人様にはとても言えない薄暗い過去や浅ましい欲望、引きずり続けている夢などを腹に抱えて生きている。職場の友人や彼氏彼女にはとても恥ずかしくて口に出来ないが、もしチャンスがあれば誰かに聞いてほしい。そして理解して欲しい。腹の中にうごめく彼らはいつも外へ出るチャンスをうかがっている。

親しき中にも礼儀ありという言葉があるが、人は相手と親しくなるほどに甘えてしまう性質がある。甘えは心の奥にある本音のドアを開く鍵だ。この人にならこのぐらい言ってもいいよな、受け止めてくれるよね、といった甘えが余計な一言を発するスイッチになってしまう。

断言するが人はお互いの気持ちを完璧に分かりあうことはできない。同性の親友ですら分かりあうことはできない。せいぜい何となく相手の立場や気持ちを想像してわかった気になる程度が限界だ。

いわんや全く異質な思考回路の異性相手となると、ほとんど理解し合えないと思って間違いない。女性に男のロマンは馬鹿げたものに映るだろうし、男性に女のお気持ち理論は納得しがたいものだろう。何年連れ添った夫婦であったとしてもそれは変わらない。

大切なことは『人は分かりあえなくても楽しく暮らしていける』ということを知っておくことである。世の中には『本音を開示しあえる関係こそが最高の関係だ』『ありのままの自分を受け入れてくれる相手と結婚すべきだ』という誤った価値観が流布されている。これを真に受けてしまった人は他者と心地よい関係を築くことがとても困難になってしまう。まさに悪魔のささやきである

人間の本音とはつまるところ本人の欲望である。欲望をバンバン表に出して来る人間は世間から”なんて我儘な奴なんだ”と嫌がられ遠ざけられてしまう。ありのままの自分を受け入れて欲しいという考えが許されるのは小中学生までだ。

むしろ分かりあうことを諦めた方が上手くいくのが深い人間関係だ。夫婦や親友といった深い信頼関係を維持して育んでいくためには、相手を個として尊重する気持ちを持つことが大切である相手の気持ちが100%わからないからこそ、決めつけずに柔軟にお互いの意見を確認し、尊重し合うことが大切なのだ。そこにありのままの自分は必要ないのである。むしろ邪魔になると言っても良い。言わなくても良いことはもちろん言ってはならない。

嘘をつけと言っているわけではない。筆者はみんなが幸せになる嘘はどんどんつけばいいと思っているが、嘘は言いたくないという人は無理におべんちゃらをいう必要もない。ただ余計なことを言わないだけでいいのだ。それだけでも人間関係はかなり円滑に回るようになる。これは夫婦関係のみならず、職場の人間関係などにも当てはまることだ。職場でもいらない一言が多いせいで嫌われている同僚や上司、後輩の顔が1人は思い浮かんでくるのではないだろうか?

もちろん毎日共同生活を送る中で、どうしても虫の居所が悪い日などもあるだろう。そういったときにすべきことは、他者から距離を取って自分で自分の機嫌を取ることである決して相手に自分のご機嫌取りを求めてはならない。相手に機嫌取りをさせようと考えれば必ず夫婦関係は破綻する。メンヘラ嫁パワハラ夫がまさしくそれにあたる。

自分の機嫌の取り方は自由だ。趣味に時間を取るのもいいし気の合う友人と飲みに行き愚痴るのもいいし、ツイッターという令和日本の叫びの壺へ不満を叫ぶのもいい。ただしその場合は配偶者の知らないアカウントでやるようにしよう。

趣味の話題が出たので書くが、よく趣味や男のロマンを理解してくれない妻がツイッターに登場しそのたびに賛否両論を巻き起こす。残念ながら男の趣味を妻に理解して貰おうというのは不可能だ。女心を男が理解できないように、男のロマンを女も理解できない。気持ちはわかるし応援してくれる妻もいないとは言わないが、受け入れてもらえないことの方が圧倒的に多い。

鉄道やプラモデルなどのオタク趣味、アウトドアやスポーツなどの運動、音楽や絵画などの芸術、どれも金にならなければ頭がオカンモードに切り替わっている妻から見るとすべて時間の無駄に感じるだろう。ではどうすればいいのか?答えは簡単である。

夫はいちいち妻に理解を求めず黙々と趣味に打ち込めばいいのである。わかって貰おうとするのは傲慢なのだ。俺は趣味を嫁に受け入れてもらえなかったとしてもやるんだ。家族との時間を削ってでもやるんだ。という強い気持ちがないのであれば、最初からやるべきではない。人はどうしても譲らない人間に対しては諦めるもので、強い意志を妻も感じ取ればある一定の期間を過ぎれば何も言われなくなる。

マーブル VS DCコミックを今すぐに開始できるほどのアメコミフィギュアを収集する友人や自宅に200kg以上の筋トレグッズを揃える友人、みんな頑なに趣味を貫いた結果、子供が産まれた今も趣味を継続している。

もちろん彼らは家族を養うに十分な給与を稼ぎ、共働きであれば育児や家事もしっかり分担したうえで趣味の時間を作っている。やることをやったうえで、空いた時間を趣味を当てるのであれば何の問題もない。ただし、いちいち妻の顔色を伺うことは絶対にしてはならない。胸を張ってやるべきだ。お伺いを立てるから話が拗れるのである。

『来月出るアメコミフィギュアのこれ、買ってもいいかな?』 『もうすぐ大阪マラソンがあるから朝のランの時間を1時間に増やしたいんだけど大丈夫?』 『新しいダンベル買っていい?』『通勤時間に小説書いてるんだけどこれ続けてもいいかな?』などと聞かれても嫁からすればイライラするだけである。

嫁が本音で答えるなら『勝手にしろよ、金にもならんことに時間使いやがって』となるであろう。妻に趣味のことでお伺いを立てた結果、機嫌を損ねて趣味をやめろ!と攻められて困ってしまう夫が世の中には溢れている。そのたびに余計なことを言わなければいいのに、と思ってしまう。

しかし、これだけツイッターなどに夫の趣味に不快感を示す妻の話が溢れているにもかかわらず、どうして妻に趣味についてお伺いを立ててしまう夫が絶えないのであろうか?

それは趣味に時間を割くことに彼らが罪悪感を感じるからだ。彼らは夫婦、家族との時間を削って自分のために時間を使うことが後ろめたいのである。それを少しでも和らげるために”妻からの許し”を求めてしまう。無言で趣味に打ち込むには心の胆力が必要なのだ。

とはいえ、覚悟を決めて趣味に打ち込もうとしてもストップをかけてくる妻も世の中には存在する。過去に筆者の匿名質問箱に届いた『趣味の英会話とジム通いを結婚後に嫁に禁止され辛い。どうすればいいの?』という質問に答えたことがある。

このように妻に先手を打たれてしまったこういった場合はどうすればいいのか?ツイッターで今話題の『妻に趣味を打ち明けたらやめろと一喝された』パターンと併せて、解決策について書いていこう。

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