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私じゃない

辛いこと、苦しいこと、痛いこと、色んな不義を私は押し付けてしまったんだ。彼女一人に。たった一人に。
だからきっと彼女は怒っている。永遠に私を許すことなどないだろう。


何か最近おかしいのだ。
まずは記憶。最近記憶が不連続なのだ。確かに私はアルバイトに行って学校に行っているはずなのに、アルバイトの時何をしていたのか覚えていない。学校の授業も確かに私が受けているはずなのに何をやったか覚えていない。

記憶が不連続になってしまう時、大抵私の体が私の物ではなくなっているかのような感覚に襲われる。私という存在は確かに意識として矮小な頭の中の隅に存在しているのだけれど、気を抜いたらその意識すらどこかにいってしまいそうになる感覚。手足は体にただ付いているだけの重い物体で動かしているのは私ではない誰かという感覚。言い換えれば少し自我のある人形になっている感覚。
矮小な頭の中の隅にいる私は自分に何も命令することができない。まるで誰かが私の中にいてそいつに体を乗っ取られている感覚。
それらが起き始めると大抵記憶がおぼろげになってしまう。

私をこんなにしているのは一体誰なのか。私の大切な大切な日々を邪魔するのは誰なのか。知らない。知らない、知らない、知らない。そう答えたいところだが、当てがあるのだ。悲しいことに。

私は虐待を受けていた。家には毎日怒号が響いていた。目を付けられたら母の気が済むまで永遠にいたぶられ続ける。何時間も正座をさせられ殴られること、太陽がぎらぎらと照り付ける真夏の昼間、狭くて暑い倉庫に監禁されたこともあった。泣いても泣いても謝っても謝っても出してもらえない。そんな時に彼女に出会った。彼女は「全部私が引き受けてあげる、だから泣かないで」そう言った。「苦しい事悲しい事、身体の痛みも心の痛みも引き受けてあげるから、もう大丈夫。泣かないで」何度も言った。彼女は女神様のようだった。だから私は彼女に全ての苦しみを託したのだ。
母親に叩かれ殴られ家の隅に追い詰められた時、彼女はいつも現れた。そして私の代わりに不義を受けてくれた。私は意識の隅に隠れて傍観しているだけで良かった。私は何も痛くない、何も怖くない。私の体に痣ができても何も問題ない。私は知らないのだから。
浅ましいことに私は私が受け入れなければならない不義から逃げたのだ。

冒頭に述べたように彼女はきっと怒っているのだ。苦痛から逃げた私を恨んで。私は自らが歯を食いしばって受け入れればならない不義を彼女だけに押し付けた。だから彼女は今、彼女にとっての”普通”を手に入れるべく私の体を使って生きようとしているのだろう。

これは私の十字架なのだ。一生背負っていかなければならない重い重い十字架なのだ。苦痛から逃げようとした罰なのだ。

きっとこの贖罪は一生かけても終わらない、そう思いながら私は再び彼女に体を渡す。

私の文章、朗読、なにか響くものがございましたらよろしくお願いします。