旅から学んだこと

お久しぶりです。
日々の刺激に情報過多になって頭が疲弊してしまい、投稿をお休みしておりました。(他の都市について投稿するかは現段階では未定です。)

本日2019/12/12をもって、僕の70日間のヨーロッパ旅は終わります。遺書ではないですが、帰国して心が変わらないうちに、旅の最終日に僕が70日間「何を学んだか」を中心に綴っていこうと思います。

※あくまで社会的意義を何も為していない一学生が感じて思ったことなので悪しからず。

〜目次〜
① 旅って何?
② 知識と経験の結びつき、その意義
③ 語学
④ 旅のすゝめ

①旅って何?

これを定義づけるのは極めて難しい。旅は「誰と行くか」「国内が国外か」など形は千差万別。ただ形は何であれ、僕は「刺激に満ちた非日常に日々もまれ、物事を考えること」は一つの大きな意義だと思う。

今回僕は「世界史を現実に感じる」という目的をもって旅を始めた。それを実現するには、必然的に初上陸のヨーロッパで刺激にもまれて生活することになる。刺激にもまれていると、予想外の出来事に何度も直面する。その度に「なぜ?」を考える。

この繰り返しを70日間していたことで、些細なことでも何でも考える癖がついた。時にそれが思わぬ発見をもたらすこともある。

一例を挙げる。「日本の紙幣は綺麗なのに欧州はなんでボロボロなんだろう?」という疑問から、日本人のモノを大切に扱い、捨てることを忌み嫌う文化が世界共通語のmottainai(勿体ない)を生み、その背景から要らないものが誰かの役に立つメルカリというフリマアプリが日本で流行り、その考えがまだ浸透し切っていないアメリカでは流行らないのでは?という仮説を立てるに至った。

この真偽は分からないが、考えることは楽しいし面白い発見に繋がることもある。

僕は一人旅をしたために四六時中こんなことを考えていたが、誰かと旅をすれば自分の考えを発して、相手の考えも取り入れながら議論ができる。どちらにも良さがある。

他にも意義は数多あるが、挙げきれないので省略…。

②知識と経験の結びつき、その意義

知識と経験が結びついた時に初めて、知識の価値が現れる。

僕はお恥ずかしながら、高校3年間は第一志望の大学に受かるためだけに勉強してきた。世界史はその手段に過ぎなかった。しかし、4年後の今、世界史を学んできて良かったと心底思う。

それは学んだ知識が実際に目の前に広がり、経験と結びつき、歴史との一体感を感じるから。

世界史に限らず、読書や人との会話から得た知識が、実際に日常に役立つ瞬間は、誰もが喜びを感じるはず。誇張して言えば、「知識は世界を賢く楽しくするツール」だと僕は考えている。

そもそも、教育において「なぜ○○を学ぶのか?」について、あまりにも教えられなさすぎる気がしている。

高校時代に勉強が好きだった僕は当時学者になろうと考えたこともあった。しかし、大学入学後には学ぶ意義を教えられないまま、会計学・経済学・統計学etc…を強制され、いつの日か勉強することの楽しさを忘れていた。

読書もしなければ、語学すら勉強しない怠惰で何の価値もない文系学生。暗黒時代以外の何物でもない。少なからず、こんな大学生は数多く存在するだろう。

まとめると、「勉強においてその意義を徹底的に教えた上で、それが活きることを実感する仕組み」が必要だと思う。

それがひいては人々の知的好奇心を促し、彼らが賢く楽しく生きられるのではないか?と本気で考えている。

③語学

勉強の大切さについては触れたが、中でも英語は特に大切だと感じた。その理由は3つ。

①圧倒的話者数
英語を習得すると、日本語が通じる1億人から、英語が使える20億人と意思疎通が可能になると言われている。ヨーロッパを旅して驚いたのは、一部を除き、どの国の人も基本英語を流暢に話す。

20億人という数よりも、この実感が英語の必要性をより強く感じさせてくれる。

英語を習得するだけで、単純計算で20倍の人の考え方や情報などにアクセスできる。
例えば、海外で話題の書籍も日本語訳が出版される数年前に読むことも可能になる。

②世界を細分化して分析できる
言語学者にソシュールによるシニフィアンというものがある。僕なりに咀嚼して説明すると、例えば英語話者は日本語の「趣深い」のニュアンスを表現できないので、日本人の世界観を感じることは出来ない。しかし、日本語を習得すれば、それだけ英語にはない、豊かな表現を手に入れられ、世界を豊かに分析して把握することができる。

これは我々日本人が英語・スペイン語・中国語etc…など多くの言語に触れる意義をも提示してくれる。

④旅のすゝめ

勿論、今まで書いてきたことは僕が感じた一部に過ぎない。それだけの学びをこの70日間で得ることができた。去年何も考えずインドに赴き、何も得ず帰国し、父親に叱責を受けた苦い経験があり、「今回は絶対に意味ある旅にしよう!」という強い思いがあったからこそ、学びのある有意義なものにできたと思う。

1番大切なことはこの得たことや熱意を一時的なものでなく、継続的なものにすることだ。死ぬまでこの精神を持ち続けられたら、こんな幸せなことはない。

太宰治の『正義と微笑』からの引用になるが、「真にカルチベートされた人間になれ!」と旅に言われたような気がしている。
(詳しくはこちら↓)

https://note.mu/pompompompeii/n/n2f0ec07bb41a

生涯学び続けなければならない。なぜなら僕は世界を賢く楽しく生きたいから。

悔しくも、この本を紹介してくれたゼミの先生は僕が旅している間に亡くなった。不謹慎ではあるが、勉強の大切さをより一層強く感じさせてくれた出来事でもあった。また生ある時間は有限で、日々を有意義に過ごさなければならないことも痛感した。

旅はその原動力を与えてくれる体験を絶えず与えてくれる。人との出会い・観光・トラブル等々、何もかもが強い原体験となって、モチベーションに繋がる。

旅を全肯定するわけではないが、何かのヒントをくれるかも知れない。目的によるが、全然国内でもいいと思う。むしろ海外を神格化する日本人の感覚は良くないともあると思っている。

旅路で出会った日本人は、坂本龍馬脱藩の道を5泊6日で歩き切って、色々なことを考えて、今の自分があると言っていた。

どんな形であれ、何か必要性を感じたら旅に出てみるのも一つの選択肢ではないだろうか?

最後までお読みいただき、ありがとうございました。語りたいことは他にも山ほどありますが、一つの節目としてこれくらいに留めておきます。
この記事が誰かの、何かのお役に立てたらこれ以上幸せなことはありません。





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