一人一人にそれぞれの世界がある

人はみな自分の人生しか生きることができず、他人の人生を生きることはできない。そのため、自分の身近な人や環境以外について考えを巡らせることは難しい。例えば、歴史書に書かれた「〇〇の戦い」を読んでも自分にとっては事実以上のものはない。しかし、その「戦い」は一人一人がそれぞれに思いを抱え、その集積として行われるものである。

アレクサンドロスによるイッソスの戦いも、ローマ帝国とカルタゴのポエニ戦争も、関ヶ原の戦いも、WWⅡも、全てはこの事実に基づいて行われている。昨晩、南北戦争時のアメリカを描くマーガレット・ミッシェルの『風と共に去りぬ』を観ていたら、戦いで傷を負った患者を旦那と同じように丁寧に扱う女性がいて、まさに患者一人一人の人生があることを我々に伝えてくれる。

いつものごとく小林秀雄の話をするが、彼は歴史と「かむかふ」ことを重要性を説いている。(「かむかふ」は「考える」の語源で「か」は接頭語なので意味はない、「む」は身、「かふ」は交わること。つまり何か「考える」ことはその対象と身を交えるようにしなければならないと言っている)

歴史家は歴史をただ事実として眺めるだけではなくて、そこに自分の身を投じるつもりで「かむか」へと。上に僕が書いたことはまさに歴史を「かむかふ」一つの例だが、とにかく何でもない事実の中にも一人一人の人生があることは忘れてはならない。

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