見出し画像

(3)ベース入門に継続のコツとか難しく考えるより初心者・中学時代の実例を振り返ってみる。

【最初のベースから憧れのベースへチェンジ】


今でも記憶に残っている初ステージ、文化祭でのライブ。ベースを始めて1年半、その成果を発揮するチャンスとなればそりゃ気合も入る。

ベースを始めた当初から文化祭はやる気満々だったのもあるが、具体的に迫るとやはり意気込みが違ってくる。

それをキッカケにと言うか、ずっと音に悩んでたのを兄貴が察してくれてたのか、愛用していたベースを譲ってもらえる事になった。

【B.C.Rich】【Gunslinger】

憧れのベースを手に入れさらに火がついた。

当然、練習にもさらに熱が入っていく。


しかし、スムーズなパワーアップとはいかなかったのも事実だった。

最初のベースからの卒業、それが意味するものは、

・ミディアムスケールからロングスケールに

・超軽量小型から重量級ベースに

・張りっぱなしで死んだ弦から初めて新品弦に

正直、違和感バリバリ、当初は弾くのがかなり辛かった。

コピーばっかりやってた弊害、と言うのも言葉が悪いが、実際問題、運指練習や基礎練習などは全くやってなかった為、その意味でも辛くなる面が多くなったと思う。

アジャスト出来ない。あまりにも感覚が異なっている。これまでやってきた事が全然できない。しっかり気合入れて弾かないとロクな音が出てくれない。

対応するまでにかなり時間が掛かった。


加えて大問題だったのは、

【座ってしか練習してこなかった】

ライブやろうって意気込みがあるにもかかわらず、ストラップすら持ってないっていうクソなめた話。

一年以上、ず~っと座ってしか弾いてこなかった為、立奏のその弾きづらさに困惑したのをよく覚えている。

よりバキバキゴリゴリした音を出したいと志していた為、根拠も無くピックもやたらごっついのに変えたり、色々と変化が急すぎた気がする。

ニューベース、立奏、ピックチェンジ、馴染まない事が一気に押し寄せてきて上手くいかなかった。


ただ、変化が急だった分だけ、それまでとの音の違いも実感していた。

苦労に見合う甲斐があったと言うべきか、ニューベースのサウンドに心底感動。熱望していた金属感と強力なアタックが出せるのは本気で涙物。

ロングスケールの鳴りっぷりに痺れるのは勿論、アクティブによるハイパワーなサウンドにも驚愕。

使うベースによってこんな変わるのかっていう、それを芯から実感した。

「高い楽器はここまで別物なのか!?」

「これが本当のベースってやつなのか!?」

「今までのはお遊びだったのか!?」

あの衝撃は今でも忘れる事が出来ない。

で、ありがたい事に、父親がどこからともなく大きなスタックアンプを貰ってきてくれ、その容赦なくデカイ音にも痺れたのなんの。

「俺の音、完全に別物じゃん!」

「憧れてた音が出てくるぜ!」

「マジ、パワーアップやべぇ!」

更なる喜びと感動に燃えないわけがない。


システムの変更で困惑したのは間違いない事実。

機材が良くなったからと言って、自分が上手くなったわけじゃない。むしろ、それまで分からなかった部分を痛感する事になったのも確か。

だからこそ気合が入る。

これまでと比べ物にならないぐらい機材が充実、それで下手な音を出してたんじゃかっこ悪くてやってられない。

文化祭が控えてる事もあり、今までとは確実に異なるスイッチが入った。


ただまぁ、こうして振り返ると何と言うか、最初のベースの悪口を言ってる事になる気もしたり、ちょっと微妙な気持ちにもなるかもしれない。

実際、ガンスリンガーに持ち替える前は、

「こいつにも思い入れがあるから使い分けるぞ!」

なんて、両方弾いていくつもりだったし、どっちにも良さがあると考えていた。

しかし、現実ってのは残酷である。ああまで違ってしまう、一度贅沢を知ってしまうと、以前の自分には戻れない。

アンプにしても同様、良い物を手に入れると感覚から認識から何から、絶対変わる。ベースを弾く楽しさについても、天と地ほどの差が生まれる。

初心者には違いなんか分からないかって、自分は全くそうは思わない。講師でもある今、それをより強く実感している。

良い音に触れていれば、それだけ上達のスピードも上がる。

何より楽しい。


【文化祭へ向けてバンド作り その苦労と喜びと】


「さあ文化祭でライブだ!」となれば当然、メンバーを集めなければいけない。しかし、軽音楽部なんて洒落たものは無かったし、楽器人口もたかが知れていた。

こう言ってしまうと自惚れか嫌味なようだけど、自分と同じぐらい音楽にのめり込んる奴もほとんどいなかった。一人だけいるにはいたんだけど、そいつはもう違うバンドやってると来たもんだ。

その為、

「同じクラスだった」

「仲が良かったから」

「暇そうだったから」

こんな理由で寄せ集めたのが本当の話。


言うなれば、志も何もないテキトーな寄せ集め。

当然、楽器が上手いわけもなく、超絶ド素人軍団って感じ。

・ボーカル=歌ってるのなんか聴いた事もない近所の友達

・ギター2人=何となくギター始めてみたってぐらい

・ドラム=誘われたからちょっと真面目にやり始めた

誇張も冗談もなくこんなスタート。

正直、文化祭に向けたメンバー探しと選曲には、不安しかなかった事を覚えている。


この状況では当然、メタルやるなんてどころの話ではない。Xをやりたいとか思ったって絶対できるわけがない。

「バンドやるのに色々順番がおかしいだろ!」ってツッコミ全くもってその通り。計画性なんてものは一切存在しなかった。

でも本当、ありがちな見切り発車、計画性のないグダグダ具合、そのまとめ方など早くに知れた意味では、貴重な体験だったと言える。

超絶低レベルだろうが何だろうが実際に行動、一つのバンド、チームとして結果を出そうと活動した意味は計り知れない。

この時の経験が今でも糧になってるのは疑いようがない。


とは言えまぁ「さすがにこのままではどうにもならんぞ!」って流れになるのも当然で、お約束のように元プロだった兄貴に相談。

「バンド初めてやるならこの辺から試してみれば?」って感じのアドバイスを貰い、

【LADIES ROOM】【So Many So Sweet】

をやる事になった次第。

譜面もあったし、これなら何とかイケるんじゃないかと。


ただ、兄貴に選曲してもらったはいいが、

「知られてない曲は色々厳しいぞ~?」

「盛り上がらないだろうから覚悟しとけよ~?」

なんて忠告をされた。

その意味も現実も何となくイメージも出来るだけに確かに怖かった。

正直な話、大したバンドにもクオリティにもならない事を確信していた為、楽しみってよりは不安の方が大きかったのも本音。

「バンドだ!」「ライブだ!」「絶対やってやるぜ!」って気持ちで動いてた一方、実は冷めてた部分があったのも否定しきれない。

練習だって必死にやってたけれど「まぁ恥かいても仕方ないか….」なんて相応の覚悟もしていた。


で、不味い事に、練習場所としてアテにしていた所から断られてしまい、青くなったのもよく覚えている。

音楽室を使えないかって先生に相談したところで「駄目」って当然の答えが返ってきて終わり。

何の計画性もない無知そのものが引き起こした状況に頭を抱えたが、ドラムを頼んだS君の家で練習できる運びとなり、どうにか一安心できた。

いやほんと、生きた心地がしなかったとはあの事である。

時間も本当に限られていた為、覚えているのは忙しく焦ってた記憶ばかり。何と言うかこの頃からすでに、バンドの大変さってのを実感していたように思う。

・自分一人弾けてても大した力にならない

・多少上手なぐらいで物事が何とかなるほど甘くはない

・誰かの助けがなければとてもやりきれない

勉強になる事が沢山あったなと。

やる気だけはある自分の空回りっぷり、身勝手ぶり、世間知らずっぷりなど、今考えてみてもなかなか恥ずかしい事やってたなと痛感。

そのあまりの無知蒙昧っぷりに冷や汗が出る。


とは言え、多少の苦労も恥もなんのその。一人でコツコツ練習してるのと皆と合わせるのとではやはり、何もかもが全く違う。

特にベースって楽器はドラムと合わせると世界が変わる。

一気にバンドやってる感が出る、これまでの成果を実感できる、その気持ち良さと感動はちょっとした異次元。

この感覚と快感に人は魅せられるのだと確信した。

下手なメンバーがいようがなんだろうがそれは小さな事。初めてバンドとして音を出す衝撃、喜び、それは等しく共有できるし味わう事もできる。

実に貴重な時間、大切な瞬間だったと断言できる。


【出場審査の記憶は苦かった】


バンドを始めたのは本当に楽しい偉大なる一歩。上手い下手なんて価値観を超越した充実感を得ていたのは、すでに語った通り。

一方、所詮は超初心者の寄せ集めだったのも事実。 お世辞にもクオリティが高いとは言えないし、その自覚もあった。

本人達がどんなに気持ちよく酔いしれてようと現実は騒音、評価なんてされるわけがない、そういうものだ。


そして狙ったかのように追い打ちをかける話が浮上。

前年度の文化祭ライブがあまりにも低クオリティだった反省があったらしく、どうやらバンドを出す事そのものに抵抗があるみたいだぞと耳にする。

その為、ちょっとかじった経験を持つ先生の審査を通らなければならない、結果が酷ければ休憩時間の余興扱いにする、それか最悪は出れなくなってしまう、そんな話が噂ではなく決定した。


そこで困ったのはメンバーの性格。

問答無用で強引に行くとか、表舞台でいつも騒がしく場を盛り上げてるなど、そういうタイプの人間が全くいなかったのである。

楽しいのは確かなんだけど「よっしゃあ!いっちょやったるか!」なんて風になるわけでもなく、見るからに覇気や反骨心に満ち溢れてるわけでもない、そんな地味っぷり。

その為、オーディションがあると聞いたからと言って、劇的な変化が起こるなんて事は無かった。

当時はDTMなんて概念すら知らなかったし、MTRなんて物も持ってない。

誰かが持ってた小さなラジカセか何かでデモを録ったってのが、また何とも気合の皆無具合が分かるところ。

「普通に弾いて普通に録音してはいどうぞ」みたいな感じだったなって。


そんな力の入ってないデモテープだったが、提出しないわけにはいかない。それをやらない事には話が進まない。

担当の先生に聴かせる為、自分がリーダーとして職員室の方へ持っていった。そしてま~、あの瞬間は本当に忘れられない。

眉間にしわ寄せながら冷たく一言。

「….もっと練習するように…..」

明らかに不穏な空気になったのをよく覚えている。

一連の流れの通り、自分の中でも「あ、やっぱ駄目?」みたいなのがあったのも正直な話。「こりゃ不味いなぁ….」って背筋が凍った。

ここから先は

3,691字
この記事のみ ¥ 150
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

読んで頂きありがとうございます。サポートして頂けると今後の力になります。