庇護されて生くるはたのし ーかつてバリキャリであった私へのYELLー

配偶者は今日も深夜までExcelを睨んでいる。
某外資系戦略コンサルに最近転職した彼は、半年後の昇進を狙って、日夜仕事に励んでいる。

その傍らで、19時前後に仕事を終えた私は、皿を洗い、名も無き家事をこなし、その間に沸かした浴槽へと浸かる。もし子供を授かったら、このたっぷりとした入浴時間を削って子の言動に目を光らせることになるのだろうな、と思いながらだ。

そしてふと思う。もし私が結婚・出産という予定を持たなかったら、いま夜遅くまでPCの画面と向き合っているのは私も同じかもしれない。“女性は家庭を優先する”という無意識の刷り込みを回避していれば、結婚の有無に関わらず、よりハードな仕事にチャレンジしていたかもしれない。

なぜなら、私も3ヶ月前まではコンサルタントとして少なくない時間を仕事に投下していたからだ。クライアントの変革に貢献しているという自負を少なからず持って業務にあたっていた私は、しかし、結局のところ結婚を機にWLBを改善できる事業会社に転職した。

私は既に“家庭”という概念を、最優先事項として自己に内包してしまっているのだ。そして、夫の仕事が忙しさを増していくにつれ、自身の選択が間違っていなかったことを実感している。
ただしそれは、“家庭を守る”という実にステレオタイプな役割と照らし合わせたときに、である。

***

仕事に精を出す彼は、私の数倍高い年収を得、それを家庭に還元してくれている。今後、私が産育休で収入を失った際には、彼の存在の有難みがさらに増すだろう。

かつてバリキャリ路線を突き進んでいた私が、“庇護される立場”となることに対し、そこはかとない諦念を感じてしまうことには目を背けよう(と言うか、夫の年収を超えられていない時点で上記の役割分担は正しそうに見える)
そして、夫婦で互いに役割を担いつつ、家庭の中に存在意義を発見できればいい。

“平穏”という命題の下で、1字1句違わずに複製されていく家庭の日々に、どうか幸せを見いだせることを願っている。

庇護されて 生くるはたのし
笹の葉に魚のかたちの短冊むすぶ

栗木京子『中庭』


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