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人生最大の危機から3年後の変化

私にとって人生最大の危機と言えるのは
忘れもしない3年前の冬のこと。
3年前の2月上旬に発覚したがんの治療。
当時は、自分の病気について
家族以外の人に話すことができなかった。
それはなぜか。
まだ若くて、今後も仕事をしていく人として
がんを患ったことが
デメリットになるような気がしていたから。
3年経った今、転移も再発もなく、元気に過ごせている。
フリーランスで働く道を選ぶ動機にもなった。


🔸がん告知された時の心境

自分の想定する悪い結果が最後まで続いていく経験って
初めてのことだった。
どこかで、良かったって思える結末になるのが常だった。
最後の最後で聞けたポジティブな言葉
「早期発見」っていう言葉。
自分から主治医に聞いた。いや、言わせたかな?
「早期ってことなんですか?」

私の場合はがん告知って言っても、
最初のクリニックでかなり脅されていたから、
その時が一番、怖かったし、辛かった。
目の前が真っ暗だった。
正確な診断がされる前が一番、死を覚悟した。

全く想定せずに近所のクリニックに行って、
急に「がん」をチラつかされて、奈落の底に突き落とされた。
よく病院から家まで、1人で帰って来れたと感心する。

最初の病院での対応は、今考えると、いかがなもんかと思う。
もうちょっと、伝え方ってもんがあるだろう。
狼狽える患者を前に、
「最近の抗がん剤はいいのがあるから!」
と励ますくらいが最大限。
いやいや、そういう話じゃないのよ。

🔹がん治療は選択の連続

目の前真っ暗の人に対して、
自分の手術をしてもらう病院を自力で探せと言われる。
そうなん? マジで? 
この病院に行ってとか言われないの?
正直、そう思った。
東京に住んでいるということは、
それだけ選択肢があるということか。

とにかく、PCに向かっていろんなキーワードで検索。
そして最悪のこと、がんであることを想定して、病院を選んだ。
手術する病院を選ぶ基準も、初めての経験すぎて
あまりにも分かっていなかった。
今になって考えると、自分らしい選択ができたなと思っている。

がん治療というのは、
いろんなことを自分で選択する、その連続だ。
拒否することも選択の1つ。
病院探しは、その1歩。

💡 病院選びのポイントは……

  • 婦人科系のがんだったから、総合病院だと出産の人と同室になる可能性もある。みんなが同じ「がん」の治療をしているがん専門病院がいい

  • 自分と同じ臓器のがん手術を数多く行っている病院

  • 多少の距離はあっても家から通える病院

  • 初診から手術までの期間も、一応は検討材料に(参考程度)

  • がん専門病院は医療面だけでなく、サポート面も安心感があると思った

当時、大学広報の仕事をしていて
心理系・看護系の領域を扱っていたので、
がん専門のカウンセラーさんや看護師さんがいることを
知識として持っていたのもあった。
ソーシャルワーカーの方からもサポートしていただいた。
あと、医師はがん患者に対するコミュニケーションも
勉強しているのかなと感じられる。
最初に診察を受けたクリニックとは、エラい違い。

🔸私はがんになった人だけじゃない

仕事をしている年代でがんに罹患して良かった。
病気のことだけに向き合うのは、とてもしんどい
仕事のことも考えるが、病気のことも考えている。
それくらいの距離感がちょうど良かった。

働きながらのがん治療で、
周りの人から大病の人、がんの人って
思われながら仕事をすることは、本当に嫌だった。
気の毒に思われるのが、嫌だったのだ。

その気持ちは入院中もそうだった。
手術をして入院してるくせに、
病人になりたくないと思う私。
入院着は借りずに、新しく購入したパジャマ
ユニクロで買った動きやすいズボン。
ロンT、ブラウス、パーカーで過ごした。

人生初の入院生活を楽しむくらいの気持ちだ。
仕事と家事から解放されて自分と向き合う時間ができる。
そんな気持ちもあった。
入院中はもちろん、入院前後の休みは
たっぷり残していた有給を使った
金銭的にも困ることはなくて、ラッキーだった

自分の意外ポジティブな性格に驚いた。
根はネガティブ気質を自称していたから。
私は危機的状況など、土壇場に何かとパワーを発揮できるタイプ。
過去にもそういう経験が幾度もあって、夫も同感している。
がんになって、正確な診断が出る前はだいぶ狼狽えたけど、
診断を受けてからは、意外に冷静に立ち回れたのも、
私にとって土壇場の巻き返しパワー、
火事場の馬鹿力
だったのかもしれない。
入院前にはやることがいっぱいあって、
検査や職場の対応など、粛々とこなしていくうち、
冷静になれていったように思う。

🔹3年が経って何を思うか

働きながらの抗がん剤治療も体験した。
それなりに、しんどい思いもした。
悔しい思いもした。
でも耐えられないほどではなかった

髪の毛も全部抜けたし、眉毛もまつ毛も皆無になった。
それはそれで、楽しめた。
ウィッグライフを経験できたし、
今後もウィッグを楽しむのもありかなと思う。
それまでに培ったメイクスキルをフル活用して
さらに研究もして、ない眉毛やまつ毛を偽装した。
チャレンジ精神でワクワクさえした。
そして、人の見た目は社会性を担っていると感じ、
アピアランスケアの重要性に気づいた。

3年経った今、転移も再発もない。
体調も病気をする前からそれほど変わったこともない。
変わったことと言えば……

体の臓器の一部がなくなったこと。
仕事を辞めてフリーランスになったこと。
我慢をしないようにしていること。
食べるものを意識するようになったこと。
やっと自分から病気のことを話してもいいかなと
思えるようになったこと。

2ヶ月に一度の診療が、3ヶ月に1度となり、
去年からは半年に1度になった。
素直に嬉しい。

後悔ないように生きたいと心底思う。
やりたいことは全部やる。
嫌いな人や嫌いなことは避ける。
そしてチャレンジする。


私の身の回りの人には、がん検診に行ってほしい。
少しでも体の不安を感じたら、病院に行ってほしい。
不調の原因がわからず、「ストレスが原因」で終わらせないでほしい。

このようなことを伝えることが、
私の役目かなと最近は感じている。
みんなより一足先にがんを経験したのは、
そんな意味があるのかなと。

いい区切りが見つからず、長文になってしまった……
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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