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HALCA -星空のパラソル- #20

#20 「一年後」

※本作品は2008年に執筆、2009年に追加修正したものです。

   ‐Epilogue‐

  2010年4月10日

 外はよく晴れた晴天の日。いわゆる六畳一間の狭いアパートの室内に、携帯電話の着信音が鳴り響いた。着信に使っているのはJAXAの公式テーマソングである『Redio Emission』だ。
 今日は陽気だったので、窓は開けていた。アパートの前には車道があって、その車道とアパートの間にある歩道に沿って、桜が街路樹として植えられている。当然、今の季節には絶好の花見スポットと化し、でもいかんせん、ただの歩道である為にレジャーシートを敷く訳にもいかず、短時間の立ち見客が入れ替わり立ち替わりで出没する。まるで自分のアパートが不特定多数の人間から眺められているようで落ち着かない気もするが、二階の窓の目の前に桜があるというのは、住人としては実に贅沢な住居だ。これで家賃も学生にはお得な金額なのだから、まさに好物件。もちろんアパートの契約を狙う競争率は普通に比べて格段に高いはずだが、あまりにも偶然のタイミングで、一件契約解除で二階の角部屋が空いた直後に不動産屋を訪れる事ができた俺は、一体どれだけの幸運を使ってしまったのだろうかと、時たま心配になる事がある。
 開いた窓から、風に流された桜の花びらがいくつか部屋に舞い込んできている。実を言うと、後で掃除の手間が発生してしまう訳だけど、やはりそれでも、こういう暖かな日は、つい窓を開けてみたくなる。
 俺は机の上に置いてあった携帯電話を手に取った。画面に表示されている名前を確認する。少し久しぶりとなるその相手からの電話は、なんだか嬉しかった。
『入学おめでとう、明日人くん。メールでお祝いの言葉は送ったが、電話では遅くなってしまったね。どうだい? 航空宇宙学科の生活は』
「どうって、まだ大学始まったばかりですよ、比良橋先生」

 俺は苦笑しながら答えた。窓辺に寄って、フローリングの床に落ちている桜の花びらの一つをつまみ上げる。その花びらを何となしに眺めながら、俺は会話を続けた。
「やっぱりこれから覚える事が多そうで。自分なりに結構、知識はある方だと思ってはいたんですけど、専門的な事ってやっぱり表面上からだけじゃ知りえないもんですね。実際に仕事に就いたら、それこそ専門的な話になるでしょうし」
『だが一年前も、その半年前も、もし君がいなかったら人類は救われなかった。君の閃(ひらめ)きがあったからこそ、私たち地球の人間たちは今もこうして日常生活を送れているんだ。それも全て、君にある程度の知識があったからこそだ』
 指の先で桜の花びらを弄んでいた俺の指が止まった。少しだけ、感慨深いものが胸の中に蘇ってくる。そうか、もうあれから一年になるんだ。月日が経つのって随分と早いんだな。
『卒業後はJAXAを希望しているんだろう? 聞いたところによると宇宙飛行士を目指しているとか』
「はい。約束しましたから。例えそこに遥はいなくても、一度自分の目で人工衛星『はるか』を見てみたいんです」
 比良橋先生の口が一瞬、止まった。
『しかし仮に宇宙飛行士に選定されても「はるか」に会えるミッションは無さそうだが――』
 そこまで言って、比良橋先生はすぐに言い直す。
『いや、野暮な事だ。私が口を挟む事じゃないな。応援するよ』
「……比良橋先生」
『ん? 何だい』
「『はるか』に会えるミッションが、これから生まれる可能性は充分ありますよ」
 俺は窓の外に腕を伸ばし、つまんでいた桜の花びらをそよ風に乗せた。花びらは微風に流されながら、秒速五センチメートルのゆっくりとした速度で地面に向かって落ちてゆく。その落ちてゆく様を見届けながら、俺は電話口で続けた。
「人類の宇宙開発の歴史は長いですよね。後にV2ロケットと改名される、第二次世界大戦中のA‐4ロケットを皮切りに、アメリカと旧ソ連の宇宙開発競争を軸にして、人類の宇宙開発は発展していった」
『ああ。元々、当初の宇宙開発は兵器開発に直結していたものだったからね。宇宙の高さまで飛ばす事のできるロケット技術は、そのまま大陸間弾道ミサイルの技術に応用できる。だからこそアメリカと旧ソ連は争うように宇宙開発を競った。そしてそれは、冷戦時代に突入しても、ずっと続いた』
「アメリカ、旧ソ連にロシア、それに、後から続いて宇宙開発を始めた世界中の国々。日本だって例外じゃありません。まだまだ未知の部分が多い宇宙に対する人類の探究心は、知る事にばかり興味が集中していて、自らが生んだ現状の問題を先送りにしている部分がある」
 そこまで言うと、頭の回転が速い比良橋先生はすぐに勘づいた。
『……そうか、デブリか』
「はい」
 世界の宇宙開発によって人類がこれまでの長い宇宙開発の歴史の中で、宇宙に向けて打ち上げたロケットの数は四千以上。地球の周囲には膨大な数の人工衛星が存在する。
 そして、運用を終えて役目御免となった人工衛星の残骸。それらはやがて大気圏に突入して燃え尽きるが、それでも地球の周囲の宇宙には大量の人工衛星が漂ったままだ。人工衛星だけじゃない。多段ロケットの切り離しパーツや、小さい物で言えば、宇宙飛行士がEVAで使ってうっかり手放してしまった工具なども。これらは宇宙に漂う人工物の残骸、宇宙ゴミ(スペースデブリ)と呼ばれている。
 地球の周回軌道を漂い続けるデブリの問題は、本来はずっと前から問題視されてきた事でもある。秒速約八キロメートルという高速で地球の周回軌道を漂うデブリは、十センチ大ほどの大きさの物でも、衝突すれば宇宙船を破壊してしまう。そんな物が今、約四万個も地球の周りに存在しているのだ。実際に、ISSでEVAの最中だった宇宙飛行士らが、デブリ衝突の危険性により緊急退避したという例もある。
「デブリの問題はこれからさらに深刻化していきます。人工衛星同士が衝突する可能性だってある」
『確かに、そうだ。「はるか」だって例外ではない』
 比良橋先生はそこで何かに気づいたような声をもらした。
『明日人くん、君はもしかして、それで焦りを覚えているのかい』
「焦っていないと言えば、嘘になります。その感情は三年前からありました」
『三年前?』
「風雲(フェンユン)一号です」
 比良橋先生はその一言で分かったようだった。
 三年前の二〇〇七年一月。中国はミサイルによる人工衛星破壊実験を行った。この時に破壊されたのが気象衛星、風雲一号C。低軌道を漂うこの人工衛星を破壊した事により、地球の周囲に大量の破片が撒き散らされる事となった。この低軌道にはかなりの数の現役人工衛星が存在しており、加えてISSも軌道がかぶっている。この一件は史上最大規模のデブリ事件と呼ばれ、世界の国々から中国に批判が浴びせられた。
『あれは酷い話だった。当時私も、確かに焦りを覚えた。「はるか」のみならず、今の人類の生活には人工衛星は必要不可欠な物となっている。宇宙の探究だけではなく、日常生活に密着した人工衛星だって数多く存在する。それらがもしデブリによって破壊されてしまえば、人々の生活に大きな影響をもたらす事になる。宇宙に修理しに行く訳にもいかないしね』
「JAXAでは、デブリを捕獲して大気圏へ突入させる為のロボット衛星を開発中だという噂がありますけど」
『詳しくは言えないが、デブリ除去の研究をしているのは確かだよ』
「比良橋先生、これは俺の未来予想図なんですけど、見方によっては宇宙好きの妄想も入っているかもしれません。でも、笑わずに聞いてもらってもいいでしょうか」
 比良橋先生は「ああ」と答えてから、一言付け加えた。
『宇宙開発なんて、極端に言えば妄想の実現だからね』
 その言葉に、俺は少しだけ笑った。窓から空を仰ぎ見る。

 → Last# 未来へ

#小説 #連載 #SF #宇宙 #宇宙科学 #人工衛星 #はるか

※本作品に登場する地名、団体名、曲名、科学衛星名などは実在のものを使用しています。
また、実在のものは全て2008~2010年当時の状況を描いています。

※本作品は宇宙、宇宙科学について一から調べて書いたものですが、最終的に宇宙周りに詳しい方の監修等は受けていない為、ご指摘等あれば後学のためにも戴けると助かります。
また、仮に数学的、物理的な点での間違い等があれば、同様に後学のためにご指摘ください。

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