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【一本目:私と奴と浅草の怪しきこと】『いま、なんどきだい』【第一回】

 はじめましての方、ようこそいらっしゃいました。
 二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
 虎徹書林ぷれぜんつ、木曜日のチョイと怖いお話――略称『虎徹書林のチョイ怖』をお届けします。

 今回の第六話、紙又は電子書籍に収録することが前提の短編小説の三本立て構成です。週に一度の連載で、完結まで五カ月ほどかかります(2024年7月ごろに完結予定)。一回分のボリュームは約5000文字ほどです。
 収録する書籍の出版予定は未定ですが、書籍化するにあたり加筆・修正がされます。また書籍化の規約上、noteでの公開が中止になることもありますのでご了承ください。
※無料公開中は虎徹書林作品のご紹介が含まれます。


<一>

 俺ァ天涯孤独の根無し草サ――と嘯いていた、私の数少ない友人の一人が死んで、もうすぐ一年が経つ。
 彼には生前と死後の境なく、随分と振り回された。

 友人は今どき流行らない無頼を気取り、それがどうにも肌になじまない男で、ぷかぷか浮いたシャツの襟元から過度な優しさと潔癖に則した自己愛が常に漏れ出ているような奴だった。
 つまり、奴は傍から見ていて時に危なっかしく時にどうしようもなくて、だから私は奴と何十年も『腐れ縁』という、有難味が皆無な関係ではあったが、そのつかず離れずのぬるい距離感でもって楽しくやっていたのだった――はずだが。
 楽しくやってると思っていたのは、私の一方的な思い込みだったかもしれない。
 見栄でも照れ隠しでもなく、正真正銘身寄りがなかった奴の葬式は、放っておいたら自治体の定める通り、宗教儀式のひとつもない、いわゆる直葬というやつになりそうだったので、私が少々費用を立ててどうにかこうにか火葬前に坊さんに読経を頼んでやることができた。
 すっかり小さくなったわりには図々しいくらいに重たい奴の骨を合同墓に入れた時、私はようやく、奴の死に我を忘れていた事に思い至り、同時に互いの死の後始末などという大事なことを話し合おうとしなかった己を悔み、まさか私を脇へ置いて似合わぬ無頼を貫く道を死に際に見出したのではあるまいなと、生前の奴の女々しい笑顔を思い浮かべ、甚だ恨んだ。

 あれは、着た切り雀の藍染木綿の長着の下、襦袢は綿麻と絹、どちらにしようか思案して天気予報の「秋の足音はまだ遠いみたい」の言葉を信じ、綿麻を選んだ日だった。
 何回目かの奴の月命日に墓参りに行くと、それはもう寂しい有り様だった。坊さんに経を頼むやつもいなけりゃ、私以外に花を手向けに来る奴も、当たり前のように居ない。それはそれで良いのだ。良いのだが、合同墓というものの前で手を合わせていると、なんとも言いようのない虚無感に襲われた。私は何に手を合わせ、祈っているのか?大勢の魂が供養されている墓の中に、勿論、奴も縁づいて居るのではなかったか?掌と掌の間の、僅かな隙間に本来備わっているはずの何物かの手応えが無く、足元の地面が今にも抜けて半透明になった奴と共に果ての無い闇を落ちていく羽目になっても、なんら不思議なことではないのだろうと、ただただ縁起でもない空想を脈絡もなく繰り返していた。
 この虚しさこそが、腐れ縁が切れた証ではないか。と、空元気も元気のうちとばかり、何故きっぱりと帰路につかなかったのか……私はふらふらと本堂へ顔を出し、丁度茶を入れたばかりだと言う坊さんと話し込んで、その流れでなんとなく経を読んでもらった。
――こんな味気ない経よりも、カラッとした落語を聞きにいこうぜ、兄弟。
 右の肩口に、既に懐かしいと思える吐息を感じたような気がした。いや、違う。もしそうならば多少は愉快じゃないか、と後先も考えず、軽口を叩くように縋ってしまったのかもしれない。
 そうだ、そうだよなあ。ていうか、私が景気直しに聞きたいやィ。古典も良いが、今の気分はちょっと頓智が効いてる新作で、何も考えずに笑い続けたい。
 読経でも拭えぬ身と心の齟齬のような感覚は、言葉での説明がつかないものであり、説明のつかないことはどうにも仕方がない。であれば、毒を以て毒を制すという喩えが正しいかはわからないが、清濁併せ呑むような笑い、それこそ落語がもつ不可思議な荒技の可能性にかけるのはあながち馬鹿にできないのではないだろうか。

 坊さんに丁寧に礼を述べて、私はいそいそと浅草演芸ホールへ向かった。

 生前、奴は事あるごとに浅草で生まれ育ったのだ、と殊更に強調していた。真意のほどは定かではないが、本籍地が浅草寺になっていたあたり、奴が根っから浅草という街を愛していたのは疑いようがない。
――まァ、あれよ。国の内も外も、散々渡り歩いて見聞きした上での話でよ、結局最期はこの街に戻るように、俺という男の魂は出来てんのサ。
 そう口癖のように言っていた奴は、本当に浅草で死んだ。ため息をつくのもつらい体で病院を抜け出し、私ではなくどこぞの女友達をデートに誘って、ちょっと疲れたなと駒形橋近くの川っぺりのベンチに座り、会話の途切れ目にフワっと笑うとそのまま眠るように逝ったのだと聞いている。
 だから。この街の雑踏の中をぶらつくのは、坊さんの読経よりも墓参りよりも、奴を偲ぶという点では正解なのだろう。
 が、しかし。歩けば歩くほどに、袋小路に誘いこまれているにも似た疑心に駆られる。


 チケットを購入して七割がた埋まっている客席に入り、米つきバッタのように先客に頭を下げてようやく空席に体をねじ込みハットを脱ぐと、その名を聞けば誰もが期待の面持ちで耳をそばだてずには居れぬ名人が「エー、平日から寄席に入り浸りとは、今日の御客さんは老後の資金なんて心配いらない御大尽揃いでらっしゃるんですな」とまくらを演りはじめたところだった。
 ンなわけあるか、何かっちゃあ税だ税だとむしり取られて、毎日かつかつだぞ……と、まんまと苦笑いを誘われたところで、私は昼飯を食べ忘れていたことにやっと気づいた。
 間の悪い事に、今日に限ってまくらは短め、よりにもよって『時そば』なんぞをかけやがって……腹の虫が騒がしい時に聞く『時そば』くらい、五臓六腑に沁みる名作は無いぜ。と奴が得意げに一説打っている顔が脳裏に浮かび、忌々しい気分が更に加速した。
 何かの折にいちいち奴の事を思い出す度、死して肉体の枷から解き放たれた奴はこれ幸いと私を思うままに操ろうとしているのではないかとの考えに囚われる。いい加減のこと、私の人生を私の自由にさせてくれと思えば思うほどに、奴の影は色濃く寄り添って来、私の肩に顎を乗せんばかりに距離を詰める。

「連れないこと言いっこ無しだぜ、こっからが俺たちの『おたのしみ』ってやつだ」

 狭いシートの中で体が硬直した。
 名人の声を押しのけるように、鼓膜を直に叩くように、声がした。
 奴の囁き、だった。聞き間違えなら、誰の声だというのだ。
 周囲を確かめることなど、できなかった。
 後ろの席への配慮をしたのではない。そんな他人様への迷惑など考える余裕もない。ただただ、首を回して視線を走らせ、本当に奴が居たらと思うとそれが怖かった。と、同時に、名人が身振り手振りで面白いように笑いをとってるのはわかるが、舞台も音もひといきれも私から遠ざかっていくような錯覚が始まった。なんだ、いったい何なんだ、この薄ら寒さは何なのだ?奴の気配に似ても似つかぬ、それなのに、どうしたって奴でなくては説明が付かない、この引き剥がすに惜しいモノは何モノだ?
 いま、何時なんどきだい……名人の『時そば』は今まさに、前半の見せ場だった。
 奴の気に入りの場面で平凡ながらもしみじみと、それでいて大いに笑い飛ばして、故人を偲ぶという気分に浸るはずではなかったか。
 ただの腐れ縁、そこまで律儀に覚えておいてやらずともいいではないか、確かにそうも思う。けれど、紙の煙草のニオイが沁みついた、枯草色の眼をした「奴」の影法師は私にそれを許さないだろうとも思う。自分から私を蚊帳の外に放り出すように死んでおいて、今さらに何の未練だと、腹も立つけれど。だが、だからこそ。
――未練、ねえ。そうさナ、美味いものが食える手前ェが羨ましい。
 そう言えば。
 奴は贔屓の噺家のライブ録音された『時そば』を、柔らかい陽の光が差し込む病室で、うつらうつらしながらも繰り返し聞いていた。
「そばが喰いてえなあ、俺ぁそばなんてこれっぽちも好きじゃねえんだけど……今、なんどき?てやつ。あれをサ、いっぺん大真面目に、どっかの蕎麦屋にかましてやりてぇ」
 あの時の、くそったれな弱弱しいへらへら笑いを思い出した途端、腹の虫がキューッと鳴って、私はいつの間にか強く閉じていた両眼をカッと開けた。
 腹の虫と聞くと、得てして人体の健康に害をなし、虫下しを飲まれたが最期、悶絶しながら体外へと駆逐されるところを想像する。が、空腹を知らせる虫となると話は別らしい。なんとなれば、死者の幻影に惑わされた宿主を現実へと引っ張り戻す益をもたらしたのだから。

 ガハハ……と笑う大声が殊更に私の耳に刺さり、脳髄にキィィィンという残響がへばりつく。
 笑い声のした隣の席をチラリと盗み見ると、下手糞な塗り絵の如き配色の化粧を施した見るからに威勢と愛嬌を武器に世を渡っているであろうババァが、金のネックレスと両手に付けた複数の指輪に舞台照明をゆらゆら反射させながら、美味そうに助六なんぞを頬張っていた。
 元々は稲荷寿司とかんぴょう巻きが行儀よく並んでいたのだろうが、彼女の育ちがそうさせるのか、並んだ順番を無視して虫食い穴を作るようにパクパクと摘まんでいる。私はその手癖に山椒の葉を食い散らかす青虫の如き図々しさを見出し、弁当箱の中に無残な穴ぼこを拵えても全く気にしない彼女の無神経さに腹を立てた。迂闊に招いた空腹と、死者の気配への恐れ、そしてそれらを御することの叶わぬ己の無力さと。密かに八つ当たりする対象が現れて、これ幸いと思わなかったと言えば嘘になろうが……次の瞬間。
 ババァの首がぐるん!と此方に向いて、洞穴のように真っ暗で焦点の合わぬ瞳が私の情けない顔を写した。
「ほほぅ赤の他人に八つ当たりとは、手前如きが無頼な男の端くれ気取りかい?」
 ババァの口から漏れ出たのは、まさしく奴の声だった。
 ヒッと音を立てて息を吸い、ギュッと両の瞼をつぶって、数秒?或いは数十分か?
 如何ばかりの時間がたったかわからないが、そっと目を開けた時にはすっかり客電が点き緞帳も降りて、隣のババァどころか客は私一人しか残っていなかった。

 いつの間にか終わっていた名人の『時そば』に、過ぎ去ってしまった空腹感を重ねつつ、私はハットを殊更に目深にかぶって演芸ホールを出た。
 見上げた空は既に鉄紺に染まっており、通りに沿って徐々に視線を水平に戻していくと、その色は江戸紫、薄紅色を経て藍色へと変化していた。
 真っ直ぐ家に帰りたくない気分にぴったりの、ほどよい夕暮れだった。
 浅草の街はほろ酔いの客とこれから一杯やる店を探す客で、昼とは違った賑わいを見せる頃合いだ。どこの通りも、死者が食いたくても食えない、ありとあらゆる美味いものの匂いで溢れかえる。誰そ?彼?なんぞと訊ね合う暇はない。
 例えばもつ煮の、脂がたっぷり溶けだした味噌。胡麻にピーナッツを少し混ぜたみたいな、カラッと揚がってるところが容易に想像できる天ぷら油。そして……あったかい湯気が見えそうな蕎麦屋の、かえしと出汁が合わさった甘じょっぱい瞬間!そういう匂いを一つ一つ吸い込んで、吟味し、戸を潜って席に通され、冷えたビールのジョッキを呷らねばならない。
 私は奴の代わりに生きているのではない。
 奴は草葉の陰で臍を噛まねばならない。
 一刻も早く、それを自らに証明せねばならない。
 でなければ、私は、

 奴の居る「あちら側」の気配に飲み込まれてしまうかもしれない。

 顔の皮がパキッと固まっている私の背を、隅田川から吹いてきたであろう風がやんわりと押した。川由来の、柔らかな湿り気が乗ってる風だ。が、枯れた草の揺れる音の気配もあった。
 私は両手を強く頬に押し当て、ぐりぐりとマッサージをした。じわじわと血行が戻ってくる感覚に、なんだか無性に笑いたくなって、人目を憚らずに大笑いをした。本当なら落語を聞いている時に吐き出すべき感情が、詰まっていたものを取り除いてやったら一気に噴出したかのようだった。
 気象がおかしい、夏が長すぎる等と世間は何かと不安がるが、日が暮れるときちんと肌寒くて、ちゃんと季節は移ろっている。ひと時として、同じ時刻が二度打刻されることが無い。それは時の流れに支配されている私たちも同じだ。
 時は流れ続ける。止まることが叶わなければ、巻き戻ることもない。
 私は私の命を生きていて、時の流れから下車した奴とは、二度と歩みを並べられない。死者と対話することは出来なくとも、あの世に籍を移した奴もそれをわかっているはず……と信じていたのだが、サテ、人の心情というものはそうそう四角四面にはいかぬらしい。また奴に「この頭でっかちが」と嫌味を言われても仕方がないな。


【第二回へ続く】


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