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追悼・瀬川昌久さん

polyfar

2021年12月29日夜、瀬川昌久さんの訃報が伝えられました。
追悼と言うのは範囲を広げてしまうととめどなくなってしまうので、原則しないことにしているのですが、僕の人生の活動範囲の中で多大なる影響とお世話になった方ですので追悼文を寄せたいと思います。

戦前のジャズ音楽を愛好したり検証または顕彰する活動をしている「ぐらもくらぶ」としては、瀬川昌久さんを抜きに語れない部分があります。
まず、偉大なる先行研究者としての存在として敬意を表したいと思います。そして折ある毎にお声をかけていただいたと言う事がとても有り難かったです。
瀬川さんの人生は、もう皆様も著書などで御存じと思いますので大きく触れませんが、長い人生の中で多彩な方と触れあわれた方ですので、「僕の瀬川さん」と言う触れ込みよりも、瀬川さんの晩年の人脈のほんの一握りの断片として僕とのかかわりを綴った方がリアルな気がします。
何しろとても気さくな方で、誰にでも優しく声を掛けたり、話に耳を傾けたりする姿を何度も目撃してきました。人生における先輩としてもとても人格者で、さらにスマートな人生は我々の憧れだったのです。

瀬川さんと僕のかかわりをなるべく詳しく綴ってみたいと思います。追悼文は滅多に書かないので長くなりますがお許しを。
一番最初に「瀬川昌久」さんを認識したのは僕がSPレコードを集め始めてしばらくした高校3年の頃、1990年放送の『NHKセミナー 現代ジャーナル 日本喜劇人伝 エノケンとその仲間たち』に、寄贈されたエノケン一座の音楽担当である栗原重一の残した楽譜を前に評論する姿だと思います。これは偶然にも戦前のジャズ音楽研究家の毛利眞人さんと同じ体験のようです。
その後にレコードに関する見識を広めるにつれ『レコード・コレクターズ』誌などでお名前を見掛けるようになりました。
更に時代は下り、瀬川さんとの邂逅は2003年に行われた浅草・東洋館の『エノケン生誕100年祭』の前日リハーサルの際でした。その時は確か戦前のエノケンの劇団「ピエル・ブリヤント」に出入りをしていた吉村平吉さんの姿も。

それから、瀬川さんの御宅へ様々な企画が持ち上がってはお邪魔する機会が増えましたが、毛利眞人さんが2010年11月に『ニッポン・スウィングタイム』と言う戦前ジャズの本を出版された際に発売記念トークを開催した頃からが一番お世話になったのではないでしょうか。

この本よりも前に瀬川昌久さんは『舶来音楽芸能史―ジャズで踊って』を出版されていました。(2005年改訂版発売)

冒頭の画像はCREEPS青山にて2010年11月26日開催の『「ニッポン・スウィングタイム」瀬川昌久×毛利眞人・対談と音源であゆむ戦前ジャズ史』にご登壇いただいた時の画像です。
もう、12年前なのでお二方の本は品切れだし、みんな若いな。でもその当時でも瀬川昌久さんは86歳!本当にレジェンドをお迎えして行ったイベントでした。
イベントが終わり、後片付けも済んでから瀬川さんが「毛利さんとお話がもっとしたい」との事で、3人でクルマ移動したのですが夜も遅いので入る店に困っていたら「今はマクドナルドが24時間やってて便利ですから、そこにしましょう」と仰られたのでマクドナルドへ。確か0時過ぎまでお話をした記憶があります。

ここで「そんな時間まで!」とお思いになるかもしれませんが、この頃の瀬川さんの生活リズムは完全に夜型で、お休みになるのが明け方近くで起きるのはお昼少し前ぐらいでしょうか。大概お昼にはどこかへ出かけてしまって、帰ってくるのは0時近いことが多かったかな。正午ごろを狙って電話すると既にいない、または出かける寸前で、お留守の際は電話があったことを奥様に伝言していただくとだいたい夜0時前後に折り返し電話をいただくことが多かった、つまり夜はライブを観に行かれていたのですね。

以後「らくごカフェ」や「アディロンダック・カフェ」などでのイベントにもご登壇いただいた事も多々ありました。暫くして、『戦前ジャズ・コレクション テイチクインスト篇 1934~1944』を制作する際にライナーをお願いしました。まだぐらもくらぶレーベルが2012年に発足してすぐなので僕の手際の悪さもあったのですが、一気呵成に書き上げますとの事で肉筆原稿をいただいたのが思い出です。

しかし、ある時からご高齢の瀬川さんに「おんぶにだっこ」と言う、悪く言えば権威を利用する姿勢に疑問を抱きはじめました。
きっと僕以外にも幅広い皆さんと同じようなやりとりをされていた瀬川さんも、中にはごくごく一部の人間に権威を利用されたりと言う事もあって、ある一件で「誰某にだまされた」とのぼやきを方々でされているのを耳にしたこともあり、余計に権威を利用して「おんぶにだっこ」は心苦しいなと思うようになったのです。
ウチのイベントに登壇いただく回数は次第に少なくなりましたが、新譜を発売するごとに丁寧なご批評のお葉書をいただいたり、また何かにつけお互いのご相談や研究のやり取りをしていただきました。

ぐらもくらぶでは、両国の江戸東京博物館で定期的にイベントを開催していましたが、2017年9月から2019年まで改修工事で使えなくなり、再開してから新たに設置された小ホールにて2019年9月1日、『復活ぐらもくらぶ祭り カツベン!戦前ジャズ!昭和歌謡!』を開催しました。
その際、久しぶりに瀨川昌久さんと毛利眞人さんとのトークをセッティングしました。この時既に御年95歳!送迎は毛利さんとメタカンパニーの社長にお願いし、どちらもタクシーで往復していただきました。
当時を生きてこられた戦前のジャズ音楽評論家と現代に活躍する戦前のジャズ音楽評論家の交流は、ぐらもくらぶとしてはこれが最後となりました。

2021年7月、戦前の歌謡曲を戦前のアレンジと演奏で、戦前の録音方法で制作したCD、山田参助とG.C.R.管絃楽団による『大土蔵録音2020』の感想をわざわざお電話でいただき、とても褒めてくださいました。「演奏も凄いけど、この山田参助さんと言う人はただものではありませんね!」と仰られたのが忘れられません。「次は是非、女性ボーカルも聴きたい」と仰られ、僕も俄然やる気が出て第二弾を山田参助さんの他に木村美保さんにもボーカルとしてお願いし、既に秋口に収録まで済ませたのですが遂に聴いていただく事はかないませんでした。気は焦っていたのですがこのタイミングでお亡くなりになるとは。お年に不足は無いと言い聞かせてもやはり悲しいですね。

思い出を全部語るとキリもないし、瀬川さんの戦争体験をインタビューした文字起こしも出てきたので、また別項を仕立てて語りたいと思います。
人生の中のほんの少しだったかもですが、瀨川昌久さん本当にありがとうございました。





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