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パキスタン人とはけっこう縁がある。

昔の職場ではパキスタンの人が何人かドライバーとして働いていて、お互いに出会うといつも大声で会話しているのが常だった。そこに「アッサラーム・アレイコム」とベンガル人のシェフが加わると、全員でぺちゃくちゃとと井戸端会議が始まる。最初はその会話を聞いていて、「全員がウルドゥー語達者なんだなぁ」と思っていた。

あるときパキスタン人の人たちに勉強したウルドゥー語で話しかけると、びっくりして「どこで勉強したの?」と質問された。ウルドゥー語でなんと答えていいか頭の中がぐちゃぐちゃになっていると、他のパキスタン人も会話の輪に入ってきて話し始めた。

しかし、ウルドゥー語を勉強した後でわかった。どう聞いても彼らが話している言葉はウルドゥー語ではなかったのだ。「君たちは何語を話しているの?」と尋ねると、彼らは「パンジャービーだよ」と答えてくれた。

そう。パキスタンにはいくつかの言語的な事実がある:

①パキスタンは多言語国家
②パキスタン語という言葉は存在しない
③パキスタンで最も多い話者が多い言語はパンジャービー語
④でも公用語はウルドゥー語

...なのである。

世界には民族名や国名が冠された言語がほとんどを占める。しかし、そのためウルドゥーという名前を聞いて、「パキスタン!」と当てられる人はそんな簡単に見つからないのではないか。

では、ウルドゥー語の「ウルドゥー」とはどういう意味なのだろうか。

ウルドゥーの意味

「ウルドゥー」という意味の裏には中央アジアの遊牧民族のユーラシア台等が関係しているようだ。

「ウルドゥー」はAyres(2009)によれば“Zabān-e-Urdū-e-Mu'alla'"という言葉を略したものであるらしい。この名前は中央アジアから進出してきたテュルク系、あるいはペルシャ語を話す軍隊と現地のインド人兵士の交流に起源があると考えられているようだ(1)。

どうも、このウルドゥーはペルシャ文化圏の言葉で使われる"ordu"という言葉と語源的に関係しているようだ。例えば現代のトルコ語でもアゼルバイジャン語でもペルシャ語でも"ordu"といえば「軍隊」だ。そして、歴史が好きな人は「ジョチ・ウルス」という遊牧政権の名前を聞いたことがあると思う。それは「黄金のオルド」という名前で呼ばれることがある。それは英語で"Golden Horde"、ロシア語では"Золотая Орда"など言われる。この"Horde"も"Орда"も"ordu"と語源的に関係があるとされる。ちなみに、" орда"でタタール語の"урда"を思い出す人もいるかもしれない。

ウルドゥー語

ウルドゥー語はいわゆるインド・アーリア語派のうちのインド語に属する言葉で、英語と遠い親戚関係にある言語だ。話者は主に南アジアに集中し、インド、パキスタン、バングラデシュなどに集中している。

あまり日本では知名度が高い言語ではないかもしれない。だが、Ethologueによるとウルドゥー語は世界の話者数が多い言語のうち、1億7千万で11番目にランクインする大言語だ。日本語は1億2千万超の話者数と考えられており、13位にランクイン。実はウルドゥー語は日本語よりも話者人口が多い言語なのだ(2)。

ウルドゥー語はアラビア文字を改良したペルシャ文字、をさらに改良した独自の文字を使う。ペルシャ文字をベースに、さらにペルシャ語にないウルドゥー語の音を表すために独自のアルファベットを加えた文字で書く。あまり次のような呼び方を聞かないが、ここでは仮に「ウルドゥー文字」と呼んでおこう。

例えばインド系の言語で特徴的なのが「そり舌音」と「帯気音」だと思う。このような音を書き表すための文字がアラビア語にもペルシャ語にもない。そのため、ウルドゥー文字で"t"を表す文字を改良し、"ٹ"のように文字の中に「アイロン」を付け足して、そり舌であることを表している。また発音する際に息を伴って発音する音である場合、"h"を書き足して帯気音であることを表現する。

さらに日本語の崩し字のような、全般的にナスタアリーク体という流し字を使って書くことが特徴だ。そのため、アラビア語やペルシャ語からウルドゥー語に入ってきた学習者はウルドゥー文字を習得することにとなり、かつナスタアリーク体にも慣れないといけなくなる。

ウルドゥーとヒンディー語の違い

さて、しばしばウルドゥー語について言及されることといえばヒンドゥー語との近さだろう。

ウルドゥー語はヒンドゥー語は違う言語、というか、一つの言語の異なる発展形と考えられる。私のパキスタン人の知り合いに言わせれば「ウルドゥー語がわかれば、ヒンドゥー語は99%理解できる」とのことだった。パキスタン人の彼は新聞やテレビに出てくる字幕などはわからないが、会話であれば意思疎通にほとんど問題を感じない、と主張する。

しかし、はたしてどうだろうか。多かれ少なかれ私もウルドゥー語もヒンディー語も勉強したことがあるが、根本的な文法に違いは感じられなかった。ただし、ウルドゥー語の観点から言えば、ウルドゥー語にはヒンドゥー語と異なり、アラビア語やペルシャ語の文法が混在している。その特徴が顕著に見られるのが名詞だ。

例えば「辞書」という単語を見て比較してみよう。ウルドゥー語もヒンドゥー語も基本的な名詞の複数形の作り方は同じだが、借用語の中には借用元の言葉が違うため、単語そのものが異なる場合や借用元の言語の複数形のルールを採用しているものもある。

शब्दकोश
上記の「shabdokosh」はサンスクリット語からの借用語で、単複同形の単語だったと思う。

لغات
上記の「lughāt」は「lughat」という単語の複数形だ。これはウルドゥー語のインド系の複数形の作り方をしておらず、アラビア語の複数形の作り方も単語もろとも借用している。

このような微妙な違いが積み重なれば、どう見ても異なる言語のように見えるときもある。極め付けは「世界人権宣言」だ。日本語を含めた三つの言語を比べてみるとウルドゥー語とヒンドゥー語は同じ言語には見えない。

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このように専門領域の言葉や高級語彙が集まるような文章では両言語の違いが顕著になる。

そのため、お互いに共通する単語でやりくりできる日常会話ではほとんど苦労はしないだろうが、おそらく、やや専門的な会話になった場合、ヒンドゥー語の話者の人とウルドゥー語の話者の人では意思の疎通が難しくなるだろう。

辺境の英語世界

パキスタンはもともとインドの一部であり、英国の植民地だったため、ウルドゥー語も英語の影響を受けている。

そのため、アラビア語の勉強をした後にウルドゥー語を勉強するとカルチャーショックを受けることがある。何故なら、アラビア文字で英語の単語をつづることがあるからだ。

これは面白い。アラビア語は外来語を自前の単語に置き換えて翻訳する保守的な傾向があるため、あまり方言や会話ではともかく、英語の知識が役立たないことが多い。だが、そのような保守的な環境からウルドゥー語のような、外来語は翻訳せずにそのまま借用し、アラビア文字で書くという環境になると、アラビア文字で英単語が書かれるようになる。

①ステーション
اسٹیشن
②チケット
ٹکٹ
③チョコレート
چاکلیٹ
④ユニヴァーシティー
یونیورسٹی

日本語のカナ英語や和製英語と同様だと思うのだが、こういったものは西南アジアと英語世界の接触の末に生まれた、狭間の産物と言える。

グローバル vs マージナル

日本は良くも悪くも「グローバル化」をこよなく愛し、そして中身がよくわからない「グローバル化」のために迷走しがちだ。その迷走劇は時として「英語以外の言語の勉強は不要」「グローバル人材=英語力」という根拠不明の言説になって現れる。

しかし、よく見てみればわかる。街の工場やコンビニで働いているグローバルな人々ははたして英語を母語としてしゃべる人たちなのだろうか?私の身近なところではそのような人たちは全て中国人、ベトナム人、ネパール人、それからパキスタン人である。特に中古車販売や車の修理工、ディーラーはパキスタン人が多い。

ウルドゥー語は英語の遠い親戚だが、日本語の語順とマッチする。それはつまり、勉強しやすい、話しやすいということだ。

英語力だけを追求するグローバル化や教育では、このようなマージナルな人たちは全て社会のはざまに全て置いていかれてしまう。そのような人たちも社会の一部として感じることが重要だ。まずはパキスタンの人が働いていたら次のように声をかけて見たらいい。それだけでもより開かれたグローバル化に近づけるはずだ。

「アッサラーム・アレイコム、キャー・ハール・へー?(貴方に平穏がありますように。お元気ですか?)」

オススメ

ウルドゥー語の教科書は話者数で言えば大言語だが、教科書は多くない。実際、手に入りやすさを考えると白水社の二冊かTEach Yourseklfシリーズのウルドゥー語しか思いつかない。あとは雰囲気を楽しみたいだけであれば指さし会話帳も興味深くていいと思う。

#とは

参考

(1)Ayres, Alyssa (2009). Speaking Like a State Language and Nationalism in Pakistan. Cambridge University Press. PP.19

(2) https://www.ethnologue.com/guides/ethnologue200

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