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#17.ウクライナ語

最近のことだが、意外とウクライナがキーになることが多い。

二〇一四年のクリミア併合もそうだが、イランの飛行機撃墜の時もウクライナがキーだった。日本ではアメリカとイランが戦争に突入するのではないかとざわざわしていたが、ウクライナメディアでは飛行機に乗っていた乗客の遺族のインビューや、飛行機は事故なのか人災なのか分析検証されるなど、連日細かい情報アップデートがされていた。

足りないのは鳥語力?

日本に欠けているのは「ウクライナ(烏克蘭)語力」だと思う。情報戦でウクライナ語ができないと情報ソースに偏りが出ないか気になったことがあるからだ。

それは例えば、二〇一四年にクリミアがロシアに併合された時の話までさかのぼる。その翌年の二〇一五年、日本の鳩山元総理が「クリミアの実態を見てくる」と言って、世間を困惑させたことを覚えている方も多いはず。

そのとき、「お、珍しくクリミア・タタール語の新聞に日本が出るかな?」と思い、クリミアタタール人のオンライン新聞を少しこまめに眺めていたが、鳩山さんへの言及は出てこなかった。キエフのオンライン新聞でも、見たところが悪かったのか、特に記事が出なかった。

その代わりではないが、クリミアのロシア語のオンライン新聞に「日本の元総理がクリミアを訪問」のような記事が躍り出ていた。

例えば下記は"РИА Новость"と言う「ロシア国営」の報道局のものである。「きっと帰ってきたら、『クリミアの併合は何も問題ない』とか言うんだろうな」と思っていたら、案の定予想通りだった。「やった、当たった!」と私は宝くじに当たったときのように喜んだ。

個人的に「この訪問は明らかな失敗」だったと思っている。その理由はメディアの反応から、次のような姿勢に問題があると思うからだ。

1.聞いた意見が偏っていないか。
 ①ロシア側の意見だけ聞いた可能性高い。クリミアの先住民のタタール人やウクライナ人の意見は参考にしたのか不明だ。

 ②クリミアの一般の住民の意見も聞いたのかもしれないが、鳩山おそらくロシア政府の息がかかった人間にエスコートされていた可能性が高い。あるいはロシア寄りの支持者から話を聞かされたか。
2.確認する方法が元総理側から出ていないのではないか。
 元総理は一体いつ誰と出会って、その人物がどのような立場の人間なのかが不明だ。

もし上記の情報が細かに公開されていたら、逆に私に教えて欲しい。

そして、「日本はウクライナと外交的パイプが深くない」ということを暗示させたことも、外交的に最も重いことだと思う。

ロシアの意見をまっすぐに聞きに行ったと言うことは、「ウクライナの意見を聞いて、日本が併合を認めないことを支持しているわけではない」と言うことがほのめかされていると思う。直接的ではなく、第三者から聞いて、日本はウクライナを支持していることが連想できる。

ならば、「その第三者からの影響を弱めれば、日本を簡単に露側に傾けることもできるかもしれない」と思う。РИА Новостьでは一応、「鳩山元総理が日本の意思でクリミアに来たわけではない」と言う記事も後日掲載されたが、いずれにせよロシア・ウクライナ関係で日本とウクライナの外交パイプはないことが明らかになったといえるだろう。

こういったことを防ぐためにもロシア語もウクライナ語もこなせる外交官がいると安心だ。だって、「君たちが公共でしゃべっていることは全部筒抜けです」と言い切れるからだ。そのためにもウクライナ語力を鍛えた東欧の専門家がいることが望ましいだろう。このような時に、日本には語学に長けた外交官が少ないように思うのだ。

ウクライナ人

とは言え、ウクライナ語のイメージはすぐにわかない。日本ではウクライナ語に触れることは非常に稀だ。ウクライナのイメージですら一般的につかめないのが普通でもある。

かくいう私もウクライナに行ったことはない。ポーランドのグダンスクにいたとき、ポーランド人の友達が「夏はウクライナのリヴィヴに避暑に行く」と行っていた程度のイメージしかない。そのため、語学面からウクライナ人について語ってみる。

ウクライナ語はロシア語とベラルーシ語と同様、スラブ語派という大きなグループのさらに下位の、西スラブ語という言葉に属している。ウクライナ語はウクライナの外でも聞かれることがある。ウクライナ人はかつ同郷意識、民族意識の強い民族で、そのため、例えば海外でウクライナ人コミュニティーがある。そこでウクライナ語がしゃべられていることもある。例えばオーストラリアなどにウクライナ人団体がある。

そして、相当な数のウクライナ人がロシア国内にも暮らしている。CIAのワールドファクトブックによれば、二〇二〇年、ロシアの人口はおよそ一億四千二〇〇万人程度であるが、そのうち、1.4%がウクライナ人だとのこと。従って、二〇〇万人に近い数のウクライナ人がロシアだけで暮らしていることになる(1)。

そして、日本でもウクライナ人が暮らしていないわけではない。昔はヴァシリー・エロシェンコというエスペラント語をしゃべるウクライナ人が日本で盲学校について学びに来ていたりした。現在ではバンドゥーラ奏者の歌手ナターシャ・グジーやモデルの滝沢カレンの、確かお父さんはウクライナ人だったはずである。

ウクライナ人自体が大概、ロシア語とのバイリンガルである場合も多い。ウクライナ語はロシア語に最も近い言語の一つであるため、ウクライナ人にとってロシア語の習得は簡単だと思う。そして、ソビエト時代は連邦内であれば自由に移動できたこともウクライナ人がロシア国内に散っている理由として大きいだろう。現在では樺太にすらウクライナ人たちが住んでいる。

ウクライナ語とロシア語

ロシア語を知っている人にとって、ウクライナ語はそんなに難しい言語であるとは思わない。むしろ、ロシア語ではアクセントがない"О"は「ア」と発音する、というなスペリングに対して不規則な面があるが、ウクライナ語の正書法にはそのような規則はないため、難易度はロシア語よりも低く感じる。

その上、ロシア語とほぼ同じような単語も多いため、ロシア語をある程度知っている人にとって、ウクライナ語の主熟度の伸びは早いと思う。

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例えばロシア語のりんご、"Яблоко"。

知らない文字が出て来ても怯えなくていい。戦闘の3文字は読めないかもしれないけれど、後半を見て欲しい。英語のアルファベットと同じではないか?実は英語のアルファベットと見た目が同じだけでなく、発音も本来は同じだ。

しかし、先ほど言及したルールがあるため、ロシア語では「オー」はそのまま「オ」と読まない。この単語はアクセントが先頭の"Я"にあるため、後半の「オー」は全て「ア」と読む。従って、下記のようになる。

🇷🇺ロシア語:Яблоко 「ヤーブラカ」

しかし、そのような発音のルールはウクライナ語にはない。ウクライナ語ではりんごは"Яблуко"という。読み方は下記のようになる。

🇺🇦ウクライナ語:Яблуко「ヤーブルコ」

後半の"O"が「ア」と発音されないのが特徴だ。

未来形の謎

これ以外にもウクライナ語を勉強して「あれっ」と思うことはいくつかある。まず勉強したはじめはロシア語と似ているという印象が強かったのだが、部分的に「ポーランド語に似ている」という印象がある要素も発見した。

例えば男性名詞単数の与格の語尾が"-ові"で終わる点はロシア語ではなく、ポーランド語("-owi")と共通する点で、ウクライナ語はポーランド語寄りといえる。

もっというと、ウクライナ人には怒られそうだけれども、この言語はロシア語とポーランド語の間の子、という印象が個人的に強い。

その特徴はウクライナ語の最大の特徴とされる未来形の作り方にも見られる。他のスラブ語にはない特徴として、ウクライナ語には未来形が二種類あるのだが、どちらの未来形も形が違うだけで、意味としては同じであるとされる(2)。どちらを使っても構わないとのことだ。

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まず未来を表す助動詞と組み合わせて表現するタイプの未来形がある。これは英語でいう"Be"動詞を人称変化させたものに対し、動詞の不定詞を並べて未来形にするものだ。英語の"will do","will be"のようなイメージを持ってもらうとわかりやすい。ベラルーシ語とロシア語もこのタイプの未来形を使う。

一方で、動詞の不定詞に未来を表すパーツを人称変化させたものをくっつけるタイプの未来も存在する。これはポーランド語と同じシステムだ。ウクライナ語ではロシア語タイプとポーランドタイプが同居しているのである。

未来形からみる言葉の根源

この点から少し印欧語の深淵が覗けるかもしれない。

前者はともかく、後者のようなタイプの未来形は逆に英語では発達しなかった。そもそも、印欧語全体的として、動詞を複数組み合わせて未来を表現するタイプの言語が多いような気がする。逆に動詞自体が変化して未来形という形を持つ言語には少ないのではないだろうか。

例えば、ラテン語系の言葉の文法カテゴリーには「未来形」が存在しているが、語形をみるに、「不定詞+habere」の組み合わせから派生していると考えられる。そのため、現在のロマンス諸語が成立する前、ラテン語系の未来形は本当は複合的だったのではないかと推測している。

印欧語でなぜ未来形の発達が乏しかったのかは謎だ。そして、なぜウクライナ語やポーランド語では未来形が存在するようになり、一方でロマンス諸語は未来形を派生させざるをえなかったのか?そして人間はどのような必要に迫られると「未来形」というカテゴリーを認知に用いるようになるのだろうか?ウクライナ語の未来形から考えると、このような根源的な疑問にたどり着くのである。

ウクライナ語は日本に欠けているウクライナ感を研ぎ澄ましてくれる、実用的な語学でもあるし、言語の発達ということを考えるにあたり、興味深い指標を提供してくれる言葉でもある。もし書店でウクライナ語の本を見かけたら、試しに手にとってみてはいかがだろうか。

#とは

オススメ

今回の記事の中でも使用した『初級ウクライナ語文法』で全体的なイメージはつかめると思う。そして、会話などを含めて進みたいのであれば、『ニューエクスプレス ウクライナ語』の最新版、『ニューエクスプレス+ ウクライナ語』が出版されているので、そちらを使ってみるのがいいだろう。


参考

(1)CIA The World Fact Book https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/rs.html (2020年3月4日閲覧)
(2)黒田龍之介『初級ウクライナ文法』2017. 三修社. PP.96.

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