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誰もいなくなった飛行船の惨劇に挑め。『ジェリーフィッシュは凍らない』読書感想

(A)はじめに:21世紀の『そして誰もいなくなった』

本作は2016年に発売された、市川 憂人さんのデビュー作で、第26回鮎川哲也賞を受賞したミステリー作品だ。本作は発売来、「21世紀の『そして誰もいなくなった』」と触れ込みされる。「そして誰もいなくなった」といえば、アガサ・クリスティーの代表作で、最も売れたミステリー作品として有名だ。関係者が皆死んでしまう形式が当時斬新で、今ではミステリーの一ジャンルとして「そして誰もいなくなった」形式とすら呼ばれる。当然、その影響を受ける作品も数多く存在し、様々なエッセンスが加えられ続けてきたジャンルでもある。本作はそれらを巧みに昇華し、またSFの要素も取り込んだ、正に「21世紀の『そして誰もいなくなった』」といえる。

(B)あらすじ

悲惨な事故以来、人々から目を背けられてきた飛行船は、特殊技術の開発により、再び陽の目を浴びることになった。航空機の歴史を変えた小型飛行船の名は〈ジェリーフィッシュ〉。大空を泳ぐ球体上のボディからクラゲの名を冠することになった。ジェリーフィッシュの発明者であるファイファー教授と、技術開発メンバー6人は、今まさに新型ジェリーフィッシュの長距離航行性能の最終確認試験に臨んでいた。順調かと思われていた航行試験だが、閉鎖状況の艇内でファイファー教授が遺体となって発見される。パニックと疑心暗鬼に陥るメンバーを更なる不運が襲う。自動航行システムが暴走し、本来の航路を外れ、人気のない雪山への向かっていたのだ。

刑事のマリア・ソールズベリーの朝は、異邦人で部下の九条漣に起こされることから始まる。今回はジェリーフィッシュの墜落事故に駆り出されることとなる。本来、ただの墜落事故であれば、運輸局の管轄である。不平を漏らすマリアに対し九条は、複数の遺体の内複数に、明らかに他殺と認められる痕跡があったと伝える。ジェリーフィッシュ内部で殺人があったのだ。マリア達が現場に到着するや否や、当該のジェリーフィッシュは空軍に有無も言わさず回収されてしまう。また現場の様子から、どう見ても墜落の形跡は認められない。

一体ジェリーフィッシュ内部で何が起こっていたのか。
誰もいなくなったジェリーフィッシュでの事件にマリア・漣が挑む。

(C)感想:王道×王道×王道

冒頭でも記した通り、本作は「そして誰もいなくなった」形式のミステリー作品である。ジェリーフィッシュ試験運行に乗り合わせていた6名は全て他殺体として発見され、犯人は見当たらない。また、飛行船内→雪山とシチュエーションを変えながらも、一貫してクローズド・サークルとなっている。事件に関する証言・証拠が碌に集められない中、マリア・漣とその協力者たちがどのように真実へとたどり着くのかが本作の見どころの一つだ。

本作は、ジェリーフィッシュ内部で起こった事件の概要パートと、マリア・漣による推理パート、そして合間に犯人による独白パートの3パートで構成されている。それぞれのパート毎に時系列順に進んでいくので、その点では読者を混乱させるような仕掛けは多くはない。また、登場人物の設定や犯人の独白パートから、犯人が誰なのかを推理すること自体はそこまで難しくはないだろう。(私は全体の約6割で予想した人物が的中した)それらの点で、「そして誰もいなくなった」形式よろしく、読者に推理のヒントが一番集まるような構成になっている。マリア・漣たちは真実に辿り着くまでに、地道な捜査と大幅な寄り道を避けられないが何とももどかしい。
一方で、多くの情報が読者に集まるというのはつまり、それだけミスリードに触れる機会も多いということだ。叙述トリックを中心に、一つ一つは派手な仕掛けではないものの、いくつもの王道トリックを緻密に織り交ぜられることで、徐々に読者の認知が乱されていく。

作品の舞台が現代の世界とは少しずれている点も面白い要素だ。時代設定も80年代に設定されているため、現代の頭を持ち込むことで認知のバイアスがかかってしまう。特に科学の進歩は違う軸を進んでいるため、現代では考えられない科学技術も出てくるが、推理の根幹には関わらないような配慮もなされている。

本作は、複雑なシチュエーションによって混乱させられる、というよりは、シンプルが故に間違った認識を続けてしまい、最後の種明かしでそうだったのかと驚かされる。ひた隠しにされた挙句の大どんでん返し、とは異なり、無理のない範囲でトリックが仕組まれているため、一から読み直す面白さが残っている。「確かに言われてみれば」、を見つける再読が出来るのは、まさに良作ミステリーの醍醐味であろう。

(D)素敵な一節

「私自身を、この雪の牢獄から消し去るだけだ」

この形式のミステリーおなじみの展開。消し去るとは一体どんな方法でどのように行われるのか。

「たとえ凍ってしまっても、温かくなればまた生き返るんだって」

クラゲの性質を説明した言葉だが、重要な伏線になっている。

「返事はない。ウィリアムの存在などまるで無視したように、…」

クローズド・サークルでの惨劇というのは、やはりとてもスリリングだ。トリックという点でも面白い本作だが、船内での惨劇も読みごたえ抜群だ。

(E)まとめ:誰もいなくなった飛行船の惨劇に挑め。

本作は読み進めるうえで難解な場面は少なく、むしろ犯人の目星を付けるという点では適度に難易度が下げられている。一方で、その下げられた難易度にまんまと嵌められる快感を味わうこともできる。ミステリーの一ジャンルとしての「そして誰もいなくなった」形式を楽しむことが出来る現代小説として打ってつけの本作で、是非とも謎解きに挑戦し、私と同様に悔しがる読者が増えてほしい。


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