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信じる、こと。『星の子』読書感想

(A)はじめに:宗教の中で生きる。

皆さんは、何かを信仰しているだろうか。何を信仰しているだろうか。
宗教とは、一般的に人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり[、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである、らしい。(wikipedia調べ)

私はこれといって何かを信仰しているわけではない。信仰したいものはないし、かといって信仰しないことに決めている強い理由も持っていない。一般的に信仰されている事物が本当に存在するのかどうかはさておいて、宗教というものは確実に存在する。

本書は、そんな宗教と生まれたときから接してきた主人公を通じて、「信じる」とは何なのかを描いた作品だと思っている。

(B)あらすじ

主人公の林ちひろは、生まれた頃から病気がちで、両親はその対応で途方に暮れていた。娘の為に何でも試していた父は、会社の同僚から万病に効くという水を紹介してもらう。飲料水としてはもちろん、身体を清めることにも使える水だという。ちひろの疾病は水のお陰で日ごとに良くなっていき、数か月後にはすっかり健康になった。以来、両親は水だけでなく、会員向けカタログから様々なものを取り寄せるようになり、ちひろも当然のごとくそれらを使って生活していた。

ちひろには、姉のまーちゃんがいた。普段は引っ込み思案で、両親の進めるありがたい品々を使うことはほとんどなかった。母方の叔父である雄三によって引き起こされた「お水入れかえ事件」も、裏で協力していたのはまーちゃんであった。「お水入れかえ事件」によってもたらされたのは、両親の改心ではなく、雄三をはじめとする親戚との溝だけだった。そんなまーちゃんは、高校生の頃に家出をしたっきり、戻ってくることはなかった。

教会通いが原因だったかは分からないが、ちひろは友達の多い子供ではなかった。転校してきたなべちゃんとは、憎まれ口を叩きあい、時に喧嘩をして仲たがいをしながらも、友達と呼べる関係になっていった。
一方で、会員たちの集いでは、ちひろが一人で浮くということはなかった。実質的にリーダーであった海路や昇子らと楽しく過ごしていた。

中学3年生のころ、南先生が赴任してきた。スポーツ万能で、女子に人気のある整った顔立ちに、ちひろは当時好きだったターミネーター2の青年であるエドワード・ファーロングを重ね、恋をする。南先生の似顔絵を描きながら気持ちを重ねていたある日、なべちゃんらと共に、南先生の車で家まで送ってもらう機会があった。近所の公園近くでの下車時、南先生がちひろを制止する。南先生の目線の先には、公園のベンチで奇行に走っている、近頃近隣で話題となっている二人の不審者がいた。南先生はちひろに気を付けて帰るように伝える。しかしその人物こそ、ちひろの両親であり、神聖な水とタオルを使った行水は、ちひろの家での日常の光景であった。

(C)感想:少女は思っているよりもずっと大人。

本書は、思春期の少女が様々な経験をしながら大人になっていくという、オーソドックスな本筋で描かれている。そこに特異性を持たせているのは、幼い頃から寄り添い続けてきている宗教の存在だ。病弱だったちひろを救ったのは、ご利益のある宗教グッズと両親の愛だった。以来、両親は宗教に傾倒し、親族をはじめとする周囲とひずみを生んでいく。妄想だと暴かれ、愛する娘が家出をしてしまってもなお、両親は宗教から離れることはない。そしてそんな家族を冷静に俯瞰しているのが、主人公のちひろなのだ。

ちひろの生活の中にも宗教は根付いているし、特段の反発を抱いてもいない。それは彼女にとって、宗教が生まれたときから傍らにあったものだからだ。そして彼女は、その他の子ども達と同様に、周囲と関わりあって成長していく。その過程の中で、周囲との違いを自覚し、自分の世界を作り始めていく。

思春期を通して自分の世界を作り上げる過程で、大きな影響を与えるのはやはり恋だといえる。ちひろもご多分に漏れず、色々な相手に恋をする。特に、新しく赴任してきた若い男性教師の南への恋は、彼女にとって大きなターニングポイントだろう。自分から深く関わりたいと思う他者との間に、これまで寄り添ってきた宗教が壁になる場合がある…、何となく感じていた事実をはっきりと目の当たりにし、傷ついていく。それでも、ちひろの世界は少しづつ、しかし確実に広がっていく。そして自分が身を置いていた宗教との違いも確実に認識し始める。そのことを冷静に、俯瞰して捉えることが出来ている点で、彼女はとても大人だと感じる。

なぜ彼女がそんな振る舞いを出来るのか。それは、彼女が信じているものが、宗教ではなく、愛している両親だからだ。確かにその宗教は、周囲から白い目で見られ、上層部には悪い噂も絶えない。きっかけはちひろの病気とはいえ、戻ることもできず戻る気もなく宗教にはまっていく両親。ちひろはそれらが異端であることを認識し始めている。自分は違う世界に飛び込んだ方がいいのではないかと考え始めてもいる。それでも、両親がちひろに向けている愛は本物で、ちひろはそれを理解しているのだ。だから彼女は、強くいることが出来る。

(D)素敵な一節

「気づく時がくるの。気づいた人から変わってゆくの」

気がつく、というのは、そこに確実に存在して、それが正解であることを前提とした考え方である。宗教の根底であると、個人的に感じる。

「ベンチにはふたつの人影があった。そこにいるのはわたしの父と母だった」

残酷な形で、世界との溝を感じる。

「ぼくは、ぼく戸倉りゅういちは、ぼくの好きな人が信じているものが一体なんなのか知りたくて、今日ここにきました」

誰かが何かを信じている。不可侵領域な気もするし、だからこそ立ち入ってみたいと思うのかもしれない。

(E)まとめ:信じる、こと。

ちひろは両親を信じている。どこまでも彼らを信じている。
ラストの先、今後どのような選択をしようとも、それだけは変わらないのではないかと思わされる。
信じることの持つ正負の力を目の当たりにできる作品。


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