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少年少女の、恋の物語。『小説 君の名は。』読書感想

(A)はじめに:興行収入ランキングへ殴り込み

「君の名は。」といえば、2016年に公開された新海誠監督のアニメーション映画である。公開当時、日本の興行収入ランキングにおいて、ディズニーとジブリを除くアニメーションが食い込むことは異例だった。劇場版鬼滅の刃が今年大ブレイクし、あっという間に興行収入ランキングの一位に上り詰めたことは記憶に新しいが、ディズニー・ジブリ以外のアニメーション映画の勢いを作ったのは「君の名は。」といっても過言はないだろう。(意外にも、コナンやポケモンといったシリーズ物は、興行収入の点では鳴りを潜めている)

そんな「君の名は。」の小説版は、実は映画と同時に執筆され、更には映画よりも先に書きあがっている。映画と小説は相互に影響しあい、どちらを原作としない(新海監督曰く、基本的には映画が核となる位置づけのようだが)スタイルもまた異例だろう。映画の人気に影を落とされがちだが、小説もミリオンセラーとなっている。
今回はそんな小説版から、「君の名は。」の感想をまとめたい。

そして今回は、間髪を入れずに「君の名は。」と「天気の子」の小説版の読書感想をまとめることで、新海監督の直近の作品の魅力を考えてみたいと思う。

(B)あらすじ

東京に住む二人の男女。かつて大切なものがあったかのような、暖かな一体感に包まれたような、そんな夢から二人は目を覚ます。一体その正体が何なのかも分からず、いつも誰か一人を探している毎日がまた、始まる。

都内に住む高校2年生男子の立花瀧は、見知らぬ土地、それも片田舎で、同世代の女子になる夢を見る。一方、岐阜県飛騨地方の山奥にある糸守町に住む宮水三葉は、家族や同級生の話、そしてノートに残された「おまえは誰だ?」の文字から、昨日の自分に異変があったことに気づき始める。しかし三葉は、この地に残る伝統を守り受け継ぐ巫女の一族であり、例年行われる豊穣祭の準備で手いっぱいで、そんな異変を気に留めているどころではなかった。
そんな三葉も、見知らぬ土地、それも都会の真ん中で、同世代の男子になる夢を見る。都会の高校生として、学生生活やバイト生活を満喫し、瀧が秘かに気にしているバイト先の先輩女性とも良好なコミュニケーションを取る三葉。一日の出来事をスマホのメモにし、「おまえは誰だ?」の問いに対し「みつは」と腕に書き残し眠りにつく。瀧は目覚めると、腕の落書きやスマホのメモ、友人たちの証言から、昨日の自分の様子がおかしかったことに気づく。

こうして瀧と三葉は、スマホのメモを通じて、お互いが夢の中で入れ替わっていることを知るのだった。

双方は何故か連絡を取ることはできない状態にいたが、深くは疑問に思わなかった。それよりも、お互いの生活を守るために、ルールを決めて過ごすことに精いっぱいであった。瀧は糸守町の伝統に触れ、三葉はバイト先の先輩と少しづつ交友を深めていった。お互いが慌ただしい入れ替わり生活を通じて理解を深めつつあった頃、三葉は瀧と先輩のデートを取り付ける。デート当日は入れ替わりがなく、瀧は瀧として先輩とデートに行くも上手くいかず、これまでの入れ替わりを何となく察しられ、デートは失敗に終わる。落ち込んだ気持ちを振り払うべく、三葉に電話を掛けるもやはり繋がらない。

そして、それ以降瀧と三葉の入れ替わりが起こることはなかった。

(C)感想:恋は時を越え、奇跡を起こす。

本作は瀧と三葉の入れ替わりが軸となっている。そして後半では、二人には距離的な隔たりだけではなく、時間的な隔たりもあることが重要なポイントになってくる。(作品後半で分かるポイントであり、大どんでん返しというわけでもないので、ネタバレにはあたるが書かせていただく)
入れ替わりや時間的隔たりについて、作品内では原因に関する明確な根拠は示されないので、SFのように読むのは難しいと感じるが、そもそも「君の名は。」は、引き離されてしまった男女の恋物語として読むべきだと改めて感じた。小説版では尚のことで、冒頭で引き離された瀧と三葉の語りから始められている。二人は冒頭時ではお互い合うことはおろか、名前や存在さえ認知できていないのだ。そんな彼らは、それでも失われた記憶の残滓による「寂しさ」だけを抱えてここまで生きてきている。新海監督は、「彼らと似たような経験、似たような想いを抱える人がいると思う」とあとがきで語っている。『君の名は。』は。大切な人と引き裂かれ、それでも前を向いていく人、いつか出逢えるはずと信じて手を伸ばすへの応援の物語だと思う。最後の展開は、「秒速5センチメートル」のトラウマを彷彿とさせ、実際に劇場で初めて見たときは声を漏らしたが、結果的に裏切られたので良かった。(知る人が読めば結末が分かってしまいそうではあるが)

瀧と三葉がそれでも再会するためには、時系列の順序が変わるが、ある奇跡を起こさなければならない。ともすれば、入れ替わりとは、この奇跡の為に用意されてきた力(作中では明言されないが、宮水家の持つ力と考えていいかもしれない)だと思う。そしてこの奇跡は、単なる入れ替わりではきっと成し得ない。三葉の入れ替わり相手が瀧だったからこそ実現できたのだ。瀧は三葉にとって、羨望の対象であり、恋する相手だった。そして、瀧もそれに応えた。こうして二人の恋は、時を越え、奇跡を起こしたのだ。

(D)素敵な一節

「だれかひとりを、ひとりだけを、探している」

探している相手がだれで、どこにいるのかも分からないという状態ほど残酷なことはないのではないか。

「糸をつなげることもムスビ。人を繋げることもムスビ。…」

ムスビを誰よりも大事にし、守り繋いできた宮水家に許された力が、入れ替わりだったのだろうか。

「私は恋をしている。私たちは恋をしている」

これを自覚した男女、特に女子は強い。

(E)まとめ:少年少女の、恋の物語。

小説版は、音楽や映像がない分映画と違って、表現力の不利を感じそうなものだが、本作では意図的にRADWINPSの作中歌の歌詞がふんだんに使われており、小説の中でも音楽が鳴っているような気分にさせられた。
『天気の子』とは異なり、細かいことは抜きに、シンプルに少年少女の恋の力を感じることが出来る、まるでアトラクションのような本作を、是非映画と並べて楽しんでいただきたい。


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