見出し画像

僕が構成作家を名乗るのを辞めたワケ。

はじめまして、政光真吾と申します。
吉本興業の福岡支社(通称 福岡よしもと)にてライブの企画・制作・構成・演出などを中心に、お笑いの現場をウロチョロしている者です。
肩書きを一言で説明すると「構成作家」という扱いになるのでしょうが、数年前から構成作家を名乗るのを辞めました。
これは後々説明します・・・と言いたいところなのですが、ここを最初に説明しておかないと今後の記事の受け取り方が変わってしまう気がするので、自己紹介がてらきちんと書いておきますね。
何でもない男が何でもない半生をつらつらと書き綴る、いわゆる皆様にとっての苦行が始まります。
耐えれば功徳があると思って読んで頂ければ幸いです。
もちろん読んだところで功徳などはありませんので、クレームは予めお断りさせて頂きます。
どうかご了承下さい。

さて、僕が吉本興業の門を叩いたのは今から11年前。
2009年3月に1年間働いていた福岡の広告代理店を辞め、NSC東京校(構成作家コース)に入学しました。
《同期の芸人にはおかずクラブ、ニューヨーク、鬼越トマ面倒なのでWikipediaをご参照ください。》
入学願書には「日本の文化発展に貢献できる人材になりたい」と今思えばド痛い目標を書いたことをハッキリと覚えていますが、今でもその目標を諦めたわけではありません。←
ちなみに、NSCに入学した理由は「キャッチコピーを書きたかったから」です。
お笑いをやりたかったわけではなく、「キャッチコピーを書きたかったから」です。
僕は本当はコピーライターになりたかった。
しかし、コピーライターとして活躍する為には電通や博報堂でキャリアをスタートさせる必要があり、その為に必要な学歴が明らかに足りていなかったのです。
そこで、考えました。
「構成作家になれば近い仕事もできそうだし、学歴も関係無いし、大喜利にもちょっとは興味があるし、イケるんじゃね?」
そう思ってNSCに入学した珍しいパターンです。
自分で書いちゃいます。
これは珍しいパターンです。
色んな人と接してきましたが、キャッチコピーが書きたくてNSCに入学した人と出会ったことはありません。
そんなこんなでNSCでお笑いを学び・・・、いや、ちょっと待てよ。
学んでいません。
NSCでは基本的に何も学べません。
現場に放り出されてからが学びのスタートといっても過言ではないくらいにNSCで学ぶことは何一つありませんでした。
今でこそ講師陣もカリキュラムも充実していますが、僕らの時代の授業は芸人コースのついでに作家を育てる授業をやっちゃおう的な雰囲気がビンビンで、記憶に残っていることなんて「健康管理に気を付けろ」の一言くらいなもんです。
ただ、吉本興業の現場に出入りするプラチナチケットと芸人さん達とのコネクションを得る為に40万円を支払う価値は十分にあったと思います。
NSCを卒業して、当時品川駅の目の前にあったよしもとプリンスシアターという劇場で作家見習いとして研修をさせてもらえることになり、一流の芸人さんやスタッフさんの元で勉強させて頂く日々が始まりました。
もちろんノーギャラなので、アルバイトをしながらの日々はかなり過酷でしたが、この時期があったからこそ今の自分があるとハッキリ言えるくらいに学べるものは多かったです。
月日が流れ、東京でライブのお手伝いをしていたある時に急に思い立ちます。
テレビの仕事をやらなきゃ食えない、と。
しかし、無名で仕事もできない下っ端作家がテレビの仕事にありつけるほど甘い社会ではないことを知っています。
そこで出たのが「地方であればテレビに携わるまでのハードルが低いのでは?」という甘い考えでした。
甘々です。
ですが、すぐに行動に出ました。
その頃に仲良くさせてもらっていた元福岡よしもとのプー&ムーさんに福岡支社のスタッフさんを紹介してもらい、2012年4月に福岡よしもとの構成作家としての活動をスタートさせたのです。
ラッキーだったのはちょうどその時期に福岡県北九州市に吉本興業直営の劇場がオープンし、劇場発信のテレビ番組にも関われたこと。
あと、その甘い考えが当たったなと思ったこともありました。
テレビ局のプロデューサーに自分から番組に関わりたいと直談判した翌週には番組に関われたのも地方ならではの特権だと思います。
そうやって一時期はテレビの仕事を中心に活動していたわけですが、ここでまたふと思います。
「構成作家って面白くなくね?」
構成作家としてスタジオ台本を作ったりだとか、長時間にわたる会議だとか、お店のリサーチをしたりだとか、ロケに立ち会ったりだとか、そんなことをしているうちに構成作家としての自分に違和感を感じたのです。
そんな面白くないことをやる為にNSCに入ったんじゃないぞ、と。
こんなことをやってても日本の文化発展には繋がらないぞ、と。
あと、YouTubeで全世界に思ったことを発信できるこの時代に、どこどこのお店がどうだとか、紹介したいメニューがどうだとか、そんなことに貴重な命の時間を使うのがもったいないな、と思いました。
テレビ局の人事がどうだとか、改編で何々が終わるだとか、そういう話題も僕にはどうでもよかったんです。
そんなわけで、構成作家という肩書きにまとわりつく時間がもったいないし、何よりも面白くないと思ったので僕は3年ほど前から構成作家を名乗ることを辞めました。
今はただの政光真吾として、面白いことだけに関わっていこうというスタンスです。
偉そうと思われるかもしれませんが、仕事はバリバリ選びます。
なので、今は面白いと思えばライブにも関わりますし、憧れだったキャッチコピーの仕事っぽいこともやります。
というかキャッチコピーに関わる仕事にも携わることができましたし、今でもそれに近い仕事をしています。
メディアとは関係なく面白い人と会って浮かんだアイデアを企画に起こしますし、面白いことを作る何でも屋でありたいと思っています。
そんなふざけたことを言い続けていたら、周りの大人達は案外僕のことを面白がってくれるもので、今はその優しさに生温かく包み込んでもらっています。
(吉本興業の皆様、いつもありがとうございます。)
なので、こんな尖った僕に手を差し伸べて下さる方々の為にもたくさんの面白いコンテンツを還元できれば良いなぁなんて思っています。

そんなわけでして、僕が微力ながらお手伝いさせて頂いている歴史をテーマにした番組「コテンラジオ」がこの度ジャパンポッドキャストアワードという企画の最終選考20組に残りました。
https://www.japanpodcastawards.com/
PodcastやYouTubeで聴けますので、是非とも聴いて頂ければと思う次第であります。

最後まで読んで下さった方がいらっしゃいましたら・・・、果たしていらっしゃるのでしょうか?
いないとは思いますが、一応書いておきましょう。
最後までお付き合いありがとうございました。
せっかくなので、今後もお笑いの裏方ならではの情報発信を続けていければと考えています。
何卒宜しくお願い致します。

最後までありがとうございます😊 Twitterもフォローしてもらえたら嬉しいです🙌 https://twitter.com/politics_light