(基本解説003)日本国憲法はどのようにしてつくられたのか
(政治や法律の基本解説)
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日本の敗戦によって
マッカーサーの意向を受けた
日本国憲法の原案がつくられました
9日間で作られたのですが ...
その後になって
新事実もわかってきました
アメリカの意向を強く受けた憲法
この日本国憲法は、戦争で日本が負けたことによってつくられました。日本が降伏するとアメリカ軍を中心にした連合軍が日本を占領。マッカーサーが最高司令官を務めるGHQの占領下にあったため、アメリカの意向を強く受けた憲法となっています。公布の11月3日は現在の「文化の日」に、施行の5月3日は「憲法記念日」となっています。覚えにくいときは、ゴミの日と覚えてください。
民政局のメンバー25人が集められた
憲法草案を作るため、連合軍総司令部の民政局のメンバーが25人集められました。加わったアメリカ軍将校の多くは弁護士や政治学者、ジャーナリストなどの経験者もいましたが、全員が憲法については素人でした。その中でも、23歳のお嬢さんが、焼け残った日比谷図書館に通い一夜漬けで世界中の憲法から気に入った条文を引っ張ってきてまとめられました。国連憲章やフランス人権宣言などを参考にし、またアメリカ独立宣言やドイツのワイマール憲法をまねたりもしています。
マッカーサーによる下書きがすでにあった
「マッカーサーノート」には日本国憲法の骨子である憲法九条の「主権の発動としての戦争を禁ずる」「国の交戦権は認めない」などがすでに明記されていました。これら重要事項も含め、 9日間で作られた完コピ憲法のような「憲法改正草案要綱」が、1946年3月6日に正式に発表されました。日本国憲法は、前文と103条からなります。メイド・イン・アメリカとも言われますが、戦後の米公開文書などによって、もうひとつの国の関与が浮かび上がってきました。
憲法草案作成に関わっていたソ連
憲法草案に関わったスタッフの一部が、ソ連のスパイであったことが、のちの『ヴェノナ文書』の公開で明らかになっています。これはソ連崩壊によって公開された対ソ防諜記録です。この文書によると日本国憲法の英訳と日本語訳のチェックをしたトーマス・アーサー・ビッソンはモスクワと連絡をとりながら作業をしていました。このことから、メイド・イン・USSR ということもできます。
憲法前文は戦勝国への詫び証文
憲法の前文を、三島由紀夫は「戦勝国への詫び証文」と評しています。日本を完全に去勢し、物質的にも精神的にも日本を丸腰にさせることが、目的の前文です。日本側は、この悪しき前文をカットするよう求めましたが、アメリカ側に押し切られました。前文を簡単にいうと、「私は悪いことをしてしまいました。犯罪者といわれても仕方ありません。永久に反省しながら生きていきます。もう二度と、私のことをぶたないでください。ごめんなさい」と、こんな感じでしょうか。
占領時にやった数々の非民主的なこと
本来、憲法は自国の歴史や文化、伝統などに則って作られます。世界標準の文明国の通義にかなったものでなければなりません。また今回の日本国憲法は日本が戦争に負けたのだからしょうがない、という話でもありません。たとえ戦争に負けたとしても、ひとの国の憲法を勝手に作り替えること自体が国際法違反となる行為です。戦勝国が敗戦国の法律を変えてはならないのです。日本に対して民主制を推し進めようとしたアメリカですが、占領時はアメリカの原爆投下を避難した鳩山一郎を公職追放したり、東京裁判での処罰など数々の非民主的なことをしていたのです。
参考文献
江崎道朗 (2016)『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』 祥伝社新書
倉山満 (2015)『口語訳日本国憲法・大日本帝国憲法』 KADOKAWA
伊藤哲夫 (2013)『明治憲法の真実』 致知出版社 など
1,541字
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