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プロフィールノート

外資系ソフトウェア企業に勤めるプリセールス。

コンサルタントとして採用されて15年を機に、プリセールスに社内異動する。希望して、受け入れ先がOKを出せば、現上司への報告義務は無し。上司にとっては、いかにして部下に自部門に居てほしいか最大限に努力することになる。

受け入れ先の面談は必要だけど、希望すれば、世界中のどこの支社にでも異動することができる。兼業も認められているし、働きやすい会社だと思う。

転職回数は確か5回くらい。3年程度で会社を変えていたけれど、今の会社には15年以上勤務している。転職をしてのキャリアアップが当然のアメリカ人にびっくりされたこともある。

キャリアの開始はプログラマ。工場自動化(ファクトリー・オートメーション)のソフトウェアを書いていた。技術志向であり、誰が一番よいプログラムを書けるのか。そんな職場でもみしごかれた。人と話すよりもプログラムを通じて、コンピュータと話すことが好きな人達が多かった。新人のペーペーだったので、僕が書くプログラムは相対的に簡単な統括、統合系だったり、スタンドアロンのプログラムだった。そのうち、スタンドアロンでパソコン向けのデバイスドライバなどの仕事に携わるようになる。デジタルーアナログの変換ボードを使ってサンプリングをしたり、機器制御をしたり。コンピュータの基礎は、この職場で身につけたことと思う。

次は名古屋で勤務(ここまでで紆余曲折あるのだけど)。大手の食品製造業の顧客を長く担当することになった。タイトルはシステムエンジニア(SE)なんだけど、まだプログラマとしてのスキルの方が強かったように思う。工場自動化のプログラムは、顧客の要望よりも物理、数学の定理、公式が重要だった。ベルトコンベアの速度から、秒あたりにマウントできる部品の数はこれくらいとか、温度上昇に伴う弁の制御とか、そんなプログラム。顧客がどんな風な要望を出しても、物理法則には逆らえない。顧客の要望を細かくひろう必要があるオフィス・オートメーションの仕事に移ったのだから、戸惑いは計り知れない。

プログラムを書くことはプロだった。

それを糸口として、ポジションを確保した。

大学実習室のネットワーク構築、菓子問屋の2000年問題対応、自動車製造のデザインシステム構築(今でいうPDM)、大手ゼネコンの社内インフラ、劇場の座席予約システムなど、いろんな仕事をさせてもらった。恩義のある会社だったけれど、大先輩の年収を聞く機会があり、その金額に絶望して転職をした。

最近、気がついたのだけども、プロのプログラマはプログラムだけに興味を持ち、プログラムが実現することには、あまり興味が無いように思う。

コンサルタントとして働き始める。やはり最初は戸惑った。議論ばかりで、全然システムが構築されない。コンサルタントは理想とする絵姿を描き、それをシステムに落とし込む。場合によってはシステム以外の解決を行う。いい面もあり、悪い面もある。

このころロジカルシンキングを身につけた。プログラムを書くロジックの思考は元々持っていたので、コミュニケーション能力によって補完したような感じかもしれない。

2000年代、企業が抱える課題は明確だった。コストを下げたい。歩留まりを上げたい。経営状況を見える化したい。コンサルティングファームが流行りだした頃であり、年収はかなり上昇した。けれども、かなり疲弊もした。僕はテクニカルバックグラウンドを活用して会社に貢献したと思う。とりわけビジネス現場にやってきたばかりの開発手法、オブジェクト指向プログラミングについては一定の貢献をしたものと思う。

疲弊があったのと、タイミングよくエージェントから声がかかったこともあり、現職に移籍する。初めてのソフトウェアメーカーに勤務することになる。B2Bの企業なので一般の認知は乏しいけれど、かなり知名度の高い会社。

自社製品のソフトウェアよりも周辺製品、ネットワーク、プログラムの知識が豊富だったことから、システム統合(インテグレーション)の仕事が多かった。システムとシステムとを接続するために、どちらにも精通し、柔軟に行き来する必要があった。それと情報アーキテクチャ設計という、勤務先のコンサルタントとしては、マイノリティな仕事も数多くこなす。HCI(ヒューマン・コンピュータ・インタラクション)とか、UX(ユーザー・エクスペリエンス)とかのスキルを身につけたのはこのあたり。

多種多様な業種、業務を担当し、自社のソフトウェアの知識も獲得した頃に、ビジネスコンサルタントになった。そこで新規事業の開発、ビジネスプロセスの改善などを行う。それからしばらく、2010年代の半ば過ぎ。企業が課題探しすら困難に直面する段階になってデザインシンキングが登場した。

ゲームチェンジである。

自社もソフトウェアの販売モデルから、クラウドモデルへの転換を模索していた折であり、その転換にあたってもデザインシンキングを活用した。

6年ほどのビジネスコンサルタントのキャリア、その前のテクノロジーコンサルタントと通算すると15年。前職からも合わせると19年の間、コンサルタントというタイトルだった。いいタイミングだと思い、営業を経験するためにプリセールスになったというのは冒頭に記載した通り。それに加えて2020年から兼業を始める。

兼業は、今までのキャリアからのスキルを活用し、衣食住に関連する事業者向けにデジタル化、マーケティングに関するアドバイスを行う。新規事業開発のためのビジネスモデル、その構想作りを支援したり、ECサイトの構築相談だったり、サプライチェーンの効率化だったり、AI、IoTなどの新しいITにどのように立ち向かうべきか、デジタルトランスフォーメーションの相談、情報提供をする。

情報工学、経済学、グラフィックデザインについて教育を受けていて、いまは現代アートを研究している。

これからも越境人間としてやっていくつもり。


いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。