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産後はある意味ロックダウン

市川望美です。
Polaris内のリベラルアーツ・ラボ「自由七科」*では、「他人とともに自由に生きる」ための知恵やスキルを身に着ける研修や勉強会を企画していますが、2月~4月にかけて、2018年に書いた私の修士論文『半分幸せの考察―育児離職した女性のライフストーリー分析による選択における個人と社会の関係性』をベースにオンラインゼミを開催しました。

自由七科(じゆうしちか)|自由に生きるための知恵に出会う
変化の時代の中で多様な人とつながりながら自由に生きること、その人がその人らしくあること、仕事とその人がより近づき、自分が心地よいと思える暮らしかたや働き方を実現するための学びや探究を行うラボです。

今までも、育児期の女性向けのキャリアセミナー的に聞いていただく機会はあったのですが、どうしても一方的かつ一部分だけになってしまう・・。「もっと聞いてみたかった」「色々過去を思い出した」「みんなと色々話してみたかった」という声もあったので、今回は2.5時間+ランチ会1時間で合計3.5時間×6回。たっぷり時間をとりました。

私の論文をきっかけにして、様々な人の「人生における選択」や「ライフストーリー」に触れることができましたし、コロナの影響もあってオールオンラインで開催したのですが、休校措置の中でもできたということは、色々学びがありました。



「産後はある意味ロックダウン」


コロナの影響がどんどん色濃くなっていく中、ランチをしながら受講生同士でゼミの内容やそれ以外のことをゆるりと話すのだけど、その中でとても印象的だった言葉は「産後はある意味ロックダウン」です。いや、ほんと!

生き方・働き方の選択肢についてのライフストーリーを題材としたゼミで、参加している人たちみんな子育て中の人たちだったので、その言葉にはとても納得でした。

ある日突然、自由にどこかに行ったり誰かに会ったりできなくなる。飲みに行ったりエンタメを楽しむこともできない。家の中、徒歩の生活圏の中で暮らす。思うようにいかない生活のタスク、仕事。それらにとらわれ、翻弄され、疲れる・・・・。

コロナ禍、そういうストレスってあるけど、わたしたち女性は、ある意味「奪われること」になれているから意外と平気なところあるよね、そもそも似たようなことを産後に経験済みだし、むしろ懐かしいとか思ったりもする、という話からの流れ。

「奪われる」という言葉は強すぎるかもしれないけれど、今までの毎日が、自分の意図と関係なく全く違う世界になって、そしてもう戻れない、ということは、出産や育児離職などで多くの女性が経験していることだったりして、だから「産後はある意味ロックダウン」という言葉にみんな納得したのです。


私も実際そうでした。

砂時計


18年前の4月、私はちょうど第1子の出産をしました。1か月前までは普通に会社に行っていたし、数日前までは、大きなおなかで不便はあるといえども、自分が思ったように行動できました。

でも、出産後のダメージと小さな赤子とともに一人で過ごす「産後」は、まさにロックダウンだったなあ・・・


のちにスタッフとなる子育て支援グループamigo(世田谷)のベビーマッサージ教室で「地域デビュー」するまでの4か月は、本当にロックダウンみたいな生活でした。

お出かけは近所の買い物くらい。赤ちゃん連れのお出かけは慣れてないし、ぐずられたり泣かれたりしちゃうと困るからなるべく短時間で済ませる。今まで遊んでいた人たちとは会えなくなって、電車に乗らずに過ごす日々が続いて、世の中から切り離され、ぽつんと家の中に取り残されたように思ってたな。


喪失なのか、刷新なのか。


仕事だとはいえ、当たり前のように外に行ける旦那がうらやましくて仕方なかった。仕事の付き合いだったり、接待とはいえ、夜飲みに行ける旦那がうらやましくて仕方なかった。

先が見えなくて孤独だった頃は、「失ってしまった、なくしてしまった、もう戻れない」と思って辛かったんだけど、その後いろいろな出会いや新しい経験を経て、逆に「今までみたいに過ごさないでいいんだ」「新しい経験が始まるんだ」と思えるようになったら、同じ環境であっても全然違う意味を見出せるようになった。

そう思えたのは、新しい時間にゆっくりとなじんでいけたり、共に過ごす仲間が増えていったりしたからなんだけど、「喪失」なのか「刷新」なのかによって、全然違う世界の見え方があることを知った。


押し付けられない「New Normal」を。


もちろん、ままならない体とホルモンの影響を受けまくる不安定な心で、慣れない育児をしながら過ごした出産直後の日々と今はまた違うし、まだまだ日常を取り戻したと言えない子どもたちの状況や、そこで子どもたちが感じているストレスとか、経済的な不安や、未知のウイルスへの恐れとか、「産後」にはなかった別のストレスがあるので、完全に一緒だとは思っていないけれど、どう捉えるかで世界の見え方が変わるってことは同じじゃないかな。

わたしが産後少し落ち着いた時に思ったことは「なんか30年間頑張って背負ってきた看板を下ろしていいんだ」という安堵だった。きっと沢山の「ちょっと頑張って習慣化させてきたこと」だったり、「知らず知らずの間に固定化されてしまった考え方」だったり「本当はこうしたいけど、まあ、仕方ないか」とあきらめてしまったことだったりもあったんだろうね。

私たちの「日常」を守るために、必死で日々過ごしてくださっている人たちも沢山いてそこへの感謝は尽きないけれど、私たちが今まで抱えてきた様々な我慢や気がかりを捨て去ることができる時期だということは間違いないと思う。New Normalは、自分が望むものでつくりたい。

今まで降りられなかった道から降りるチャンス。よかった、私ひとりじゃない。そんな風に思うこともできるかも。今までの延長線上じゃない所に踏み出すチャンス。全然それを望んでなかったし、急に蹴りだされたように思うことも多いと思うけど・・・。でも今までのやり方はもう無理だよ、っていうことがいろんな現場で起きているんだろうな。


痛みや喪失の先に


痛みや喪失も必然だけれど、その向こうに何が見つけられるだろう。むしろそこには何もなくて、みんなで創っていくようなものなのかもしれない。

今年の年初、「2020年はなんか空白」と思っていた。去年を踏まえて今年はこういうことをやるぞ!という思いがわいてこなかった。何か予感していたのかもしれないなあ。

過去と未来がつながらない。未来を迎えるために「今」何を思うのか、そこを徹底的に問われるというような、年初に感じていた「つながらなさ」を感じる今日この頃です。っていうか「つなぎかえ」の2020年なのかな。

何をどうつなぎかえていこうか。

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参考までに、ライフストーリー&ライフストーリー・インタビューについてもうすこし詳しいご説明を・・
「ライフ」とは、その人の生、人生、生活、生命など、生きてきたこと。「ライフストーリー」とは、自分の生=ライフを振り返り、意味づけをした物語、ストーリーのこと。「ライフストーリー・インタビュー」とは、「ライフ」についてインタビューをすることで、その人自身やその人の背景にあるもの、物語の中に直接的・間接的に表現される社会や関係性をひも解く質的調査法の一つですが、私は、インタビューを通して自分のライフに触れていくプロセスや、インタビュアーとインタビュイーによる共同編集、ある種の創発、という点に強い関心を寄せています。

修士論文
『半分幸せの考察~育児離職した⼥性のライフストーリー分析による選択における個⼈と社会の関係性:A Study of “Half-Happiness”;Life Story Analysis of the Non-employed Women who Resigned due to Child Care: How They Make Life Course Decisions in the Context of the Relationship of the Individual and Society.」(2018,立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科)


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