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五感のすべてを使って楽しむ、世界にまだないエンターテインメントを|米田肇 #3

ミシュランガイドの三ツ星を獲得し、Asia’s 50 Best Restaurantsにもランクインしている大阪の「HAJIME」。そのオーナーシェフの米田肇さんは、高度な調理技術を駆使し、芸術的な一皿を次々と生み出しています。そんな米田さんにも、新人の頃がありました。そして、その頃は全然仕事ができなかったというのです。料理人としての1歩を踏み出してから、自分の店を構えるまで。そして、米田さんが考える未来のレストランの姿とは。

米田肇
近畿大学理工学部電子工学科卒業後、コンピュータ関連のエンジニアを経て料理の世界へ。
「ガストロノミーを通して、人類の未来に貢献する」というビジョンを掲げ、様々な分野に挑戦をしている。レストランにおいては、緻密に計算された高い技術、革新性、妥協なき完成度と料理を通して表現される壮大な世界観が高く評価され、世界最短でミシュラン三つ星を獲得、Foodie Top 100 Restaurants、Asia’s 50 Best Restaurants、OAD Top 30 Japanese Restaurants、The Best Chef Awardsなどの世界ランキングにランクインする、さらに世界を代表する100人のシェフ「100 chefs au monde」に選ばれ、2016年、辻静雄食文化賞専門技術者賞、KINDAIリーダーアワード 文化・芸術部門、2017年に農林水産大臣料理マスターズを受賞する。

「日本一厳しい」店での新人時代

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――料理の専門学校を卒業してから、先生に「日本で一番しんどくて厳しい」と紹介されたレストランに入店された米田さん。そこでの日々はいかがでしたか。

もう、本当に厳しかった。厳しいなんてもんじゃなかったです。指紋がひとつ壁にあるだけで、怒鳴られて全部やり直し。営業時間が終わってから掃除を始めるので、いつも掃除が終わるのは明け方でした。毎日3時間も眠れなかったです。シェフが何事も徹底している人で、「そこだけ拭いて終わりにしよう」と言ってくれなかった。必ず、「最初から掃除し直せ」と言われていました。

――完璧主義者だったんですね。

だからこそ、あのレストランは一流だったのだと思います。でも、それに付き合うスタッフはボロボロです。私がいる1年の間で、14人のスタッフが入店してすぐいなくなりました。完璧主義な上に、鉄拳制裁が当たり前でしたからね。耐えられなかったんでしょう。

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――米田さんは空手を練習されていたから、多少は鉄拳制裁にも耐えられたんでしょうか。

そうそう、頭を殴られそうになったときに、思わずよけたことがあります。そうしたら、あとで作業に集中しているときに、後ろから大きな胡椒挽きで思いっきり殴られました。最初によけた分のお返しなんでしょうね。だから、これはよけたほうが危険だと判断しました。打撃が当たる瞬間に少しポイントをずらすと少し痛くないので、その後は攻撃を受ける方向で対応することにしたんです。

――意外なところで格闘技の経験が役に立ちましたが、しかし、おそろしい……。

足を蹴られるのはよけられないから、膝から下は真っ青に痣だらけになっていました。それ以外にも、業務用の強い洗剤で食器を洗うから手荒れがひどく、あかぎれができて手が2倍くらいの大きさに腫れてしまいました。休みの日に母親と買い物に行った時、荷物を持ってあげたかったけれど腫れた手では持てなくて……。母親が「かわいそうに」と涙をこぼしながら手を擦ってくれたんです。その時は、私も思わず泣いてしまいました。

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――つらかったですね……。

何がつらいって、自分があまりにも仕事ができないことですよね。よく物を落とすし、何をやっても遅かった。しかもみんな高校卒業してすぐ専門学校に入るので、新人は19歳くらいが普通なのに、私はもう26歳。まわりからは「このオヤジ、トロいな」という扱いを受けるし、だんだんシェフからはゴミを見るような目で見られるようになりました。
そのときにはもう、料理人を諦めるか、死んでしまうか、ということばかり考えていました。追い詰められて、最終的には父親に電話したんです。「このまま店にいたら僕、本当にどうにかなってしまいそうだ」と言うと、「フランス料理店は、世の中にたくさんある。その店じゃなくてもいいだろう」と返ってきて、ふっとその悩みから解放されました。そうか、辞めてもいいんだ、と。そう言ってもらった次の日に、シェフに「辞めます」と伝えました。

運命の物件は、出会ったらピンとくる

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――大変な経験をされたんですね。

でもこの経験が、自分で店をやるときに「労働環境を整えよう」「スタッフに愛情をかけよう」という店の方針につながったので、反面教師になりました。

――そこから、2軒目の神戸のお店で2年間修業し、30歳でフランスにわたられています。2005年に日本に戻って北海道・洞爺湖の「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」の肉担当のシェフに。そして、2008年に独立して「HAJIME」をオープンされました。ご自分の店を作るとき、どんなイメージを描かれていましたか?

海外から人を呼べるレストランにしたい、とは思っていました。でも、自分の店を出そうと思ったときに、具体的なイメージは全然なかったんですよね。
とりあえず物件を探そうと思って、大阪、神戸、京都あたりを見回っていました。関西に限定していたのは、父が亡くなって母が1人になったので、実家の近くにいたかったからです。でもなかなかいい物件が見つからなくて。
料理人を始めた頃からの友人に、「物件は、必ずピンとくるものがある。そのピンとくる感覚は、あなたがいろいろなものを見たり、感じたりした蓄積からきている。絶対に無視してはいけない」と言われていたんです。だから、ピンとくるところに行き当たるまで決めないようにしようと思っていました。そうしているうちに、1年以上経ってしまって。その間仕事をしていなかったので、妻からは「言っておくけど、貯金がゼロになったよ」と宣告を受けてしまいました。

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――もう猶予がありません。

そんなときに、今の店の物件を見つけたんです。予算よりだいぶオーバーしていましたが、一応見に行こうと思って、建設中のビルに足を踏み入れた瞬間、店内のイメージがばーーっと浮かびました。ここに受付があって、ちょっとした待合スペースがあって、テーブルがこれくらいあって、奥に厨房があって……もう、今の店は、そのときのイメージそのままです。ピンとくる、というのはこのことだったのか、と思いました。

――フランスから日本に戻ってこられたのは、お父様の具合が悪くなってしまったからだと聞きました。そして、亡くなられたことで、関西に店をかまえることになった。米田さんの人生の転機には、お父様の存在があったんですね。でも、お父様はもともと、料理人になるのは反対されていた?

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学生の頃は、猛反対していましたよ。「お前は料理人に憧れているけれど、現実はそんなものじゃない」とすごく言われました。給料は安いし、長時間労働だし、休日はないし、本当に大変な世界だぞ、と。飲食業界で働きはじめて、父の言ったとおりだったと痛感しました。そして、それは今も思っています。
自分がオーナーになって、給料も昔の水準から考えたら倍にしたし、休みもとれるようにしました。日本のレストランで初めて週休二日制を導入したんです。でも、やっぱり営業時間外の仕事はあまり削れない。具体的に言うと、掃除ですね。仕事の8割が掃除だと言っても過言ではありません。

――最初に勤めた店のシェフは、ある意味では正しかったと。

小型ロボットが、掃除の概念を変える

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ほこりや指紋って、一つあるだけでその部屋全体の空気感に影響する。お客様にも伝わってしまうんです。だからできるだけきれいにしたい。
それを人間がきれいにするとなると、長時間労働は避けられない。だから僕はいま、人工知能領域やロボット関係の人とコンタクトを取って、解決しようとしているんです。

――人工知能のお話が出てくるとは思いませんでした。そう言われてみれば、オフィスでも床拭きロボットが床をきれいにしていましたね。

もし、指先くらいの掃除ロボットが24時間ずっと店内を掃除してくれていたら、掃除という概念がなくなるんです。なにもしなくても、いつも空間がきれいに保たれる。そうすれば、人間は他の仕事に集中できます。
あとは、仕入れですね。スタッフがちょっと良くない野菜を仕入れてしまう、なんてことがあります。気弱な子だと、「これダメですね」って返せないんです。そこをロボットに任せれば、センサーで糖度などをその場で計って、僕が決めた基準に満たないものはその場ではじくことができる。

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――仕入れもロボットに任せられる。

きっと、ロボットがやったほうが仕入れのクオリティが安定すると思います。そもそも、すでに厨房はどんどん自動化されてきているんですよ。キッチンタイマーってありますよね。あれだって、自動化の一部です。昔は、自分で数えたり、感覚的に「これくらいかな」と焼き時間などを決めていたのが、いまはもうピッと押すだけで時間を計れる。タイマーを押せば、その作業のことは忘れてしまっていいんです。その分、他のことに集中できます。

――なるほど、タイマーの使用は脳内リソースの外部化なんですね。そうなると、どうしても代替できない仕事はどんなことになるのでしょう。レシピの考案でしょうか。

それも、人工知能ができますね。たとえば、すでにIBMのWatsonは、いろいろ斬新なレシピを作っています。調理技術の部分も、ロボットでほぼ代替できます。一時期、人間は失敗から学ぶことができるから、いろんなことに挑戦すればいいんじゃないかと思ったんですけど、ロボットは失敗も得意なんですよ。なぜかというと、失敗を怖がらないから。踏み込むことにも躊躇しない。だからいっぱい失敗して、そのなかからおもしろい組み合わせを作ることができます。
最終的に人間に残るのは、個性だけだと思います。これまでに培ってきた人生観や、好き嫌いの感性をもって、「これがいい」と決める。人間ができるのは、その部分だけじゃないでしょうか。

五感をフル活用した食のエンターテインメントを

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――人工知能の活用は、職人気質の料理人にとっては拒否感があるのではないかと思っていました。

そういう人は多いでしょうね。僕は全然。もともとサラリーマン経験があるので、飲食業界に入ったときに、「なんでこんなに効率が悪いことをやっているんだろう」と思う部分がたくさんありました。そういう部分を、他分野とリンクさせて解決する。それが自分の得意なことです。建築、宇宙、化学、生物、進化論……すべての分野と料理店をやることは、共通点があると思っています。

――飲食業界とはこうである、料理人はこうあるべきである、といった固定概念がないんですね。

まったくないです。そもそも、自分が料理人だという意識があんまりないんですよ。
料理は好きですが、それは目的ではなく手段なんですよね。おそらく、ものを作っている人というのは、最終的に「宇宙はどうなっているのか」「自分はどこからきたんだ」といった根源的な問いに行き着くのではないでしょうか。僕もそうで、料理を通して世界を表現したり、解明したりしたいと思っているんです。

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――今、米田さんは料理でどんな世界を表現したいと思われていますか?

このレストランでできることは、もうすべてやってしまっています。厨房もいっぱいいっぱいになっているので、2年か3年後に移転をしたいと思っているんです。
そこでは、まだこの世界にない食のエンターテインメントを追求したいと考えています。料理って、味覚、視覚、嗅覚、触覚、聴覚のすべての感覚を使って楽しめる、唯一の娯楽なんですよ。それらをフル稼働させて「食べる」とは、どういうことか。そんなまったく新しい体験ができるような場所を、作りたいと思っています。楽しみにしていてください。


■三ツ星シェフの原点は、幼い頃に駆け回った美しい野山にあった|米田肇 ♯1

■なにかに熱中した経験が、未来の自分を助けてくれる|米田肇 ♯2

■世界から色がなくなるほどのつらい経験。その先に希望があると教えてくれた2皿とは|米田肇 ♯4

この記事は、POLAが発信するイノベーティブ体験「WE/」のコンテンツを転載したものです。ぜひ「WE/」のサイトもご覧ください。
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