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世界から色がなくなるほどのつらい経験。その先に希望があると教えてくれた2皿とは|米田肇 #4

ポーラ「WE/Meet Up」主催の、たった一人の読者ゲストを招待する特別な場。今回はミシュラン三つ星レストラン「HAJIME」のシェフ・米田肇さんが読者ゲストと対話し、そこで得たインスピレーションをもとにまだこの世にない新しい料理を創作します。人の美意識や原体験を、料理で表現するという斬新な試み。自分のためだけに作られた料理を食べたゲストの心には、どんな変化が表れるのでしょうか。

つらい時期の心を救った法隆寺の雪景色

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大阪は江戸堀のビジネス街。そのなかで他とは違う静謐な佇まいを見せるレストラン「HAJIME」のエントランスに、冬も終わりかけたある日、今回のゲスト・長嶋彩加さんが到着しました。東京の大手不動産デベロッパーで働く長嶋さん。忙しい仕事の合間を縫い、朝早くの新幹線で大阪まで来たのです。
今回、米田さんとゲストは「対話」と「食事」の2回に日を分けてお会いすることになっています。今日は、その1回目。長嶋さんは、やや緊張した面持ちで米田さんを待ちます。
ほどなく米田さんが現れ、挨拶を済ますと、「HAJIME」の上階にあるオフィスに案内してくれました。自然光が差し込む明るいオフィスは、インテリアの一つひとつにも米田さんのセンスが光っています。

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二人がソファに隣り合って座り、対話が始まります。今回は応募者の方々に、インタビュー記事の感想や「自身の生い立ち」などを記入してもらっていました。米田さんがたくさんの応募内容を確認するなかで特に目に留めたのは、長嶋さんの「美意識にまつわる原体験」という項目への回答。そこには、「中学生の修学旅行でみた雪の中の法隆寺」と書かれていました。

法隆寺の景色のどんなところに心を惹かれたのか。それには長嶋さんが「生い立ち」で書いた、「数年前、大切な人が他界したことを機に、一時期世界が白黒になってしまった」ということが関係していました。
「法隆寺の景色が美しいって、ずっと心にあったわけではなかったんですよね。その美しさを思い出したのは、数年前のことなんです」と、言葉を選びながらぽつりぽつりと語り始めた長嶋さん。

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「その人が亡くなる前も、好きに生きていたつもりでした。でも、いなくなってみると、私がやっていたことは、その人の笑顔が見たいとか、認めてほしいとか、けっこうそういう軸に基づいていたんだなと。軸がなくなってしまうと同時に、世界の見え方も変わってしまいました。例えば、以前は素敵なものがいっぱい売っていると思ったデパートに行っても、すべてが意味のないガラクタに見えるんです。何も欲しくないし、何もしたくない。そんな心境でした」(長嶋さん)

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そんな長嶋さんを見かねて、親しい知人が「気分転換で、どこか好きなところに行ってみたら?」と提案しました。それを聞いた瞬間、長嶋さんの頭の中にふっと浮かんだのが法隆寺の雪の景色でした。

「どこにも行きたくないなか、唯一『行ってもいいかも』と思えたのが法隆寺だったんです。そして、実際に足を運んだら、すごく心地よかった。体の力が抜けて、切ない、優しい、あたたかい……いろんな感情が蘇ってきました」(長嶋さん)

「美」について語るのは恥ずかしいことではない

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長嶋さんの話を優しい相槌で促しつつ、質問には自分の考えをしっかり述べる米田さん。日頃から料理という創作活動を通じて美に対する感覚を磨いている米田さんとの対話を通し、長嶋さんは雪の法隆寺に感じた美しさをなんとか言葉にしようとします。

「学生時代の私は、何でも理詰めで考えがちで、頭で理解しないと納得できない性格でした。でも雪の法隆寺を見たときに、理屈じゃない美しさに心を打たれたんです。ふわふわと空を舞っている雪と、人が作り上げた精緻な法隆寺の建造物。それらが一体になり、美しい景色全体に自分が溶けてしまうというか……」(長嶋さん)

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「抽象的なことを言葉にするのって、なんだか恥ずかしいですね。普段はこんな話、人としないので」と照れ笑いする長嶋さんと、米田さんは真摯に向き合います。

「僕もお店を始めた頃は、自分が考えていること、感じていることをあまり言えなかったんですよね。僕はずっと『人間とはなにか』『宇宙はどうなっているのか』といった、料理の枠を超えた根源的な問いに興味がありました。でもお店を始めた10年前は、料理人が料理以外のことを語るのは許されない空気があったんです。最近はどんどん、アートや人工知能、量子力学、宗教など、僕が興味を持っているさまざまなことについて話してもいい雰囲気になってきたと感じます。時代が変わりましたね。まあ、今でも『この人は何を言ってるんだ?』という反応を受けることはありますが」(米田さん)

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米田さんが「いろいろな出来事を経て、今の長嶋さんの心はどういう状態ですか?」と聞くと、「自分の気持ちに正直になれる瞬間が増えてきている」という答えが。

「前は映画を観て泣くことなんてなかったのに、今はよくボロ泣きしてます(笑)。心のガードを外せるようになったのは、やっぱり大切な人との別れを受け止めたのがきっかけかな。その人からの最後のギフトだった……と思いたい自分がいますね」(長嶋さん)

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他にも、心を動かされるアートや原体験について、「美しい」と感じる心をどう磨くか、チームで「HAJIME」の料理のような美しいものを作るときはどうしているか、など2時間ほどかけてさまざまな話をした二人。
長嶋さんが「米田さんと話して元気が出ました」と晴れ晴れとした顔をしている一方、米田さんは「いやあ、僕はここから料理を作らないといけないから……難しいですね」と苦笑い。

さて、次のMeet Upは約2ヶ月後。米田さんは長嶋さんのために、どんな料理を作るのでしょうか。

ナイフを入れるのがもったいないくらい美しい料理

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季節が少し進んだ春の初めのある日、ふたたび長嶋さんが「HAJIME」を訪れました。
今回は1階のレストランに案内されます。オフィスとは対象的に、黒を基調とした落ち着いた雰囲気。そして、開店前の店内には長嶋さんのための特別席が用意されています。

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席に座り、HAJIMEの創業時から働いているソムリエとお話ししながら、Meet Upがゆるりとスタートしました。
まずは、今日のこの日のために用意されたメニューを手に取ります。「Ayaka Nagashima」と名前も刻まれた贅沢なおもてなしに感動しながら、長嶋さんが表紙をめくるとそこには、「過去/静寂」「未来/希望」という文字が。そう、今回は2皿の料理が出てくるのです。まずは最初のお皿に合わせ、赤米と黒米のあたたかいお茶が淹れられました。

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米田さんは厨房で、最後の仕上げにかかっています。
15分ほどして、1皿目「過去/静寂」が長嶋さんの前に並べられました。
キヌアの下地に、フォワグラと塩、薄いサブレが重ねられています。サブレの中心を頂点とし、三角形が浮かび上がるように振りかけられているのは、メレンゲのパウダー。手前左には「生命誕生」の意味を込めたビネガーを煮詰めたソース、右には「人間」を表す薄く巻いた大根が置かれています。

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ひと目見て、その繊細さ、美しさに「うわあ、すごい……!」と言葉を失う長嶋さん。このお皿では長嶋さんが語った、雪の法隆寺の美しさが表現されています。キヌアは法隆寺の下に敷かれた大きめの砂利を、メレンゲのパウダーは雪の降る参道を表しているそうです。

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「きれいすぎて、崩すのがもったいないです」とためらう長嶋さんでしたが、思い切ってナイフを入れ、一口食べると……「おいしい!」。「フォワグラがすごくなめらかで、甘いです」と顔をほころばせながら、一口、また一口と食べ進んでいきます。

無心で雪と戯れた子どもの頃を思い出して

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1皿目を食べ終わった数分後、今度は大小の氷の器が出てきました。「未来/希望」です。
そして「小さい器には、フキノトウの一部とオレガノ、そして雪に見立てて液体窒素で凍らせたオリーブオイルのパウダーがのっています。まずは、スプーンでこちらを一口お召し上がりください」という指示が。

長嶋さんが冷凍オリーブオイルのパウダーを口に含んだ瞬間、魔法のように鼻から白い息がふわーっと出てきました。
「わ! 何これ!」と思わず笑顔がこぼれる長嶋さん。「もう1回やってもいいですか?」とはしゃいだ様子で、スプーンを口に運びます。

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これは米田さんの「厳しく、寒い雪の中でも、子どもは喜びを見つけて楽しむ。そんな無邪気な気持ちを思い出してほしい」という気持ちを込めた、チャーミングな仕掛けでした。それは狙い通り、長嶋さんの心をはずませたようです。

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一通り楽しんだあとは、フキノトウのソースを小さな器にかけます。オリーブオイルの雪の下に隠れているのは、パートフィロという薄い生地。さらにその下には冬のイメージの干し柿、芽を出す種のイメージでアーモンド、雪の下の生命のイメージで自家製チーズが入っています。
全体を混ぜていくとパートフィロがパリパリ割れ、まるで薄い氷の上を歩いていくような音が。「雪をしゃきしゃきやってるみたいで楽しい!」と喜ぶ長嶋さん。食べ始めると、「あ、干し柿だ」「ここはチーズ」「アーモンドの食感がおもしろい」と、一口ごとに違う味と食感を楽しんでいます。

「干し柿は甘みがあって、チーズはうまみがあって、フキノトウのソースが多いところはほろ苦さもあって、バランスが一口ごとに変わっていくんです。こんなお料理、食べたことありません」(長嶋さん)

悩んだ末にたどり着いた法隆寺の再構築

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「未来」の料理を食べ終わる頃、厨房から米田さんが現れました。米田さんは、今回の料理を作るにあたって描いたスケッチを見せてくれました。

「決めていたのは、雪の法隆寺と、過去から未来に向かう希望を表すこと。それを一皿で表現するには……としばらく悩んでいたのですが、最終的に『過去』の皿と『未来』の皿に分けよう、と決めました」(米田さん)

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法隆寺の美しさについて考え続けた米田さんは、「白銀比」という比率にたどり着きました。実は「過去」の料理は、使用したお皿、キヌア、フォアグラ、サブレ、メレンゲのパウダー……すべてが白銀比で配置されていたのです。

「建築物の美しさは、バランスだと思うんです。だから、何かしらの比が使われているのかなと思ったんですね。調べてみたら、日本の建築の多くは白銀比という1:√2の比でできていることがわかりました」(米田さん)

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食材も、「法隆寺は人が作ったもので、木でできているから燃える。人為的に作られ、熱によってなくなる食材……そうか、フォアグラだ」といったように、コンセプトから全体を組み上げていきました。

「この一皿に、自分が法隆寺の何を美しいと思っていたかが分解されて、再構築されているんです。だから食べると本当に、法隆寺が思い浮かびました」(長嶋さん)

あたたかな励ましが込められた春の料理

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静的な美しさを表現した「過去」に対し、雪の下にうごめく生命を表現した「動」の「未来」。
米田さんの手書きの解説文には「どんなに厳しい季節があったとしても、希望を持って生きて欲しい。その気持ちを伝えたくてこの一皿をつくりました」とあります。それを見た長嶋さんは、「このスケッチを見るだけで、ちょっと泣きそうです」と目を潤ませました。

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「未来」のお皿の鍵となるのは、フキノトウです。

「雪の中から力強く顔を出すフキノトウは、希望の象徴です。冬眠から目覚めた動物が最初に食べるのは山菜。苦味のある山菜を食べることで、蓄積された老廃物が体から出ていくそうなんです。また、上に飾ったオレガノの花言葉は『あなたの苦痛を除きます』。フキノトウとオレガノで、今までの苦しみをきれいに流し、春に向かうという意味を込めました。生きていると必ず、壁にぶつかる時やつらい時期がある。でも、必ずその後は光も射す。それを、自然は教えてくれるんです」(米田さん)

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しかし、一つ問題がありました。フキノトウを凝縮してソースにしたら、料理には使えないくらい苦かったのです。違う方法を考えなければと思った米田さんですが、一晩置いたソースを味見したところ、ちょうどよく苦味が抜けていました。そんな偶然もあり、当初の構想通りにフキノトウを使うことができたのです。

「フキノトウがこんなにおいしいって、初めて知りました。食べながら、大切な人が亡くなったときの気持ちを思い出しつつ、今取り組んでいる仕事に対するワクワク感とか、子どものころスキーが大好きだったこととかも思い出して、一口ずついろんな気持ちが生まれてくるお料理でした」(長嶋さん)

産みの苦しみを超えて見つける、世界で最初の美しさ

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すべてが計算され、完璧に仕上げられた米田さんの料理。「ストーリーがあって、見た目も美しくて……こんなすばらしいお料理をどうやって考えるんですか? しっくりこないものができるときもありますか?」という長嶋さんの質問に、米田さんはこう答えました。

「もちろんあります。僕はそう簡単に料理を思いつかないんです。考えている途中は険しい山に登っているような心境で、途中で引き返したくなるくらい苦しい。いっそ滑落したほうが楽になれるかもしれない、と思うことすらあります。でも、限界に達して『あと1歩だけ進んでみよう』と思ったとき、ぱっと霧が晴れる。そして山頂にたどり着いて、料理ができあがるんです」(米田さん)

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そんなとき、米田さんは達成感というよりも「ここまで来てしまったのか」というこわさを感じるといいます。

「でも同時に、『これは世界で最初に僕が見つけた美しさだ』とも思う。贅沢なことですよね」(米田さん)

Meet Upを終えて長嶋さんは、「米田さんとお話しして、私だけの特別なお料理をいただき、作るまでの試行錯誤のお話などを聞いて、この2回を通した時間全体が大きなプレゼントだと感じました。幸せな時間でした」と語りました。
米田さんにとっても、今回の経験は特別なものになったそうです。

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「初対面の人の話を聞き、その人を表す料理を作る。そんなの無茶だと最初は思ったのですが(笑)、創作の過程がすごく勉強になりました。HAJIMEはいつも14品くらいのコースを出すので、コース全体でたった一人のお客様を表現できたらもっとおもしろいものができるかもしれない。それは、本当に究極のレストランのあり方だと思います」(米田さん)

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米田さんとの特別な1日からしばらくして、長嶋さんに改めて今回の体験を振り返っていただきました。

「お料理を口にした瞬間のことは、忘れられないほど強く印象に残っています。「過去/静寂」では法隆寺で見た静かであたたかい雪の景色、「未来/希望」では大切な人と過ごした楽しい時間や辛い時間、その大切な人から最期にもらったギフト――別れを経て生まれた価値観や希望、実現したいことが自然と思い起こされ、自分の原体験を改めて認識する大事な時間になったと思います。
気恥ずかしくて少し目を逸らしてきた自分の美意識や原体験と素直に向き合えるお時間をいただきました。また、「限界に達して『あと1歩だけ進んでみよう』と思ったとき、ぱっと霧が晴れる」というお言葉を伺って、美意識や原体験を信じてもう一歩粘る勇気が出てきたように感じます」(長嶋さん)

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美意識についての対話を通し、芸術的な2皿と未来への希望が生まれた今回のMeet Up。次回はどんな出会い、そして対話の化学変化が起きるのでしょうか。


■三ツ星シェフの原点は、幼い頃に駆け回った美しい野山にあった|米田肇 ♯1

■なにかに熱中した経験が、未来の自分を助けてくれる|米田肇 ♯2

■五感のすべてを使って楽しむ、世界にまだないエンターテインメントを|米田肇 ♯3

この記事は、POLAが発信するイノベーティブ体験「WE/」のコンテンツを転載したものです。ぜひ「WE/」のサイトもご覧ください。
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