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三ツ星シェフの原点は、幼い頃に駆け回った美しい野山にあった|米田肇 #1

大阪・江戸堀のメインストリートから1本入った静かな通りに、レストラン「HAJIME」はあります。よく見なければ通り過ぎてしまいそうな、控えめなエントランス。でも、中には驚きと感動に満ちた料理の空間が広がっているのです。そこのオーナーシェフが、米田肇さん。自分の店をオープンして1年5ヶ月でミシュランガイドの三つ星を獲得した、天才的な料理人です。米田さんは、いったいどのようにして料理のアイデアを生み出しているのでしょうか。

米田肇
近畿大学理工学部電子工学科卒業後、コンピュータ関連のエンジニアを経て料理の世界へ。
「ガストロノミーを通して、人類の未来に貢献する」というビジョンを掲げ、様々な分野に挑戦をしている。レストランにおいては、緻密に計算された高い技術、革新性、妥協なき完成度と料理を通して表現される壮大な世界観が高く評価され、世界最短でミシュラン三つ星を獲得、Foodie Top 100 Restaurants、Asia’s 50 Best Restaurants、OAD Top 30 Japanese Restaurants、The Best Chef Awardsなどの世界ランキングにランクインする、さらに世界を代表する100人のシェフ「100 chefs au monde」に選ばれ、2016年、辻静雄食文化賞専門技術者賞、KINDAIリーダーアワード 文化・芸術部門、2017年に農林水産大臣料理マスターズを受賞する。

芸術作品のように、「料理」で人を感動させたかった

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――これが、レストラン「HAJIME」のスペシャリテ(※)、「地球」ですか! まるで野菜で描かれた絵画のようです。
※その店のシェフが自信を持って提供する看板料理

この一皿で、地球の循環を表現しています。ずっと、地球の循環を料理として表現したいという思いはあったのですが、東北の貝の養殖について話を聞いたとき、この料理のパーツがすべて揃ったんです。
山に雨が降ると、その雫が土に染み込み、やがて川の流れになる。そして、その川は海に流れ込み、海から蒸発した水分が雲となって、雨を降らす。これが一つの循環です。

――葉野菜などを高く積み上げている部分が山で、その上の泡が雲を表現しているんですね。

大地の力を吸収して、数々の野菜が育ちます。それを適切な調理法でおいしさを引き出した100種類以上の野菜を盛ることで表現しました。そして残ったミネラルは川から海へいき、そこに棲む貝が蓄える。それを表すために、中央には貝のエキスを使った泡のソースを配置しています。
でも、これだけだと地球上にいる「人間」が足りない。だから大きなお皿に2名分を盛り、ふたりがシェアすることでこの料理が完成するようにしたんです。

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――向かい合って食べることで、ゲストがこの地球の一部になる、と。そもそもこんなに大きなお皿は初めて見ました。60センチくらいあるのでしょうか。

はい。付き合いのある有田焼の陶芸家さんに、特注で焼いてもらっています。このお皿のために、窯から作ってくれたんですよ。でもこの大きさゆえに、うまく焼ける確率がすごく低いんです。完成前に割れてしまったり、変な模様が入ってしまったりする。焼き上がったら送ってもらうようにお願いしているのですが、ここ2年くらいは完成品が届いていないんです。

――そんなに大変なんですね。洗うのも慎重になりそうです。

それでも、割れてしまうことはあります。以前、僕のLINEにスタッフから「すみません、地球割りました」という連絡が入ったことがあって。金額的には笑っていられないんですけど、その文面を見て面白くなってしまって、「お前はスーパーサイヤ人か!」って返信したことがあります(笑)。

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――そうやって返してもらえると、割ったショックも和らぎそうです(笑)。「HAJIME」の料理は、「地球」をはじめ、「破壊と同化」「希望」などコンセプチュアルなタイトルがついていますね。

これまでの料理は、素材の味を引き出して、おいしく作るところに重点が置かれていました。それももちろん大事なことなのですが、僕は料理の可能性というのはそれだけなのだろうか、と考えたんです。
音楽に例えると、料理がおいしいというのは、歌手の声がいいということだと思います。その人が「あ〜」と伸びやかに声を出しているのを聞くだけでも、心地よい。でもメロディをつけると、もっと聞いていたくなるでしょう。このメロディは、コース仕立てです。ここまでは、通常のレストランで出てくる料理と同じです。
さらに一歩進めて考えると、歌には「歌詞」がありますよね。歌詞にはメッセージが込められている。それを、料理でも表現できれば、もっと感動してもらえるんじゃないかと思ったんです。そこで、一つずつ料理にコンセプトを考えて、それに則った盛り付けにし、コースを組み立てました。

豊かな自然と料理上手な家族に囲まれて

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――たしかに、「HAJIME」のコースをいただくと、一つの物語を読んだような、どこかに旅して帰ってきたような感覚になります。そもそも、米田さんはどんなことから料理に興味を持たれたんでしょうか。

母が、とても料理上手な人だったんです。季節の旬のものを、いつもおいしく食べさせてくれました。うちはよく人が集まる家でした。小学3年のときに、自宅で近所のお母さんたちの集まりが開かれていたんですね。そこで母親が、すごいデザートを作っていたことが忘れられません。パイナップルを半割にして中をくり抜き、その中にパイナップルの実の部分とアイスクリームを合わせたものを入れて、その上にメレンゲをのせて、それにブランデーか何かをかけて、火をつけたんです。

――そんな料理、家庭で見たことありません……。

ですよね(笑)。そのときはものすごくびっくりして、「お母さんって、何者なんだろう」と思いました。そもそもはおじいちゃん、父方の祖父が料理上手だったんです。母は、そのおじいちゃんにいろいろ教えてもらったと言っていました。

――おじいさまの世代で、男性が料理をするのはめずらしかったのでは。

祖母がそんなに体が強い人ではなかったんです。そこでおじいちゃんは60歳で仕事をぴたっとやめて、おばあちゃんの体にいい料理をずっと作っていたんだそうです。
おじいちゃんが料理について言った言葉で、今でも心に留めていることがあります。あるとき、台所でおじいちゃんが母に「お椀の味はどう?」と聞いていました。母が「少し薄い」と答えると、「そうだろう。でもこれくらいがいい。最後の1杯を飲み終わると、ちょうどいい塩梅になるようにしてあるんだ。最初からおいしいと感じる味付けは、最後まで食べると少し塩辛く感じてしまう」というようなことを言っていた。これは、今でも味をつける際に気をつけている言葉です。

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――先ほどのお母さまの話といい、料理の素人とは思えないような方々が子どもの頃からまわりにいたんですね。

それと、近所の環境がすごくよかったと思います。子供の頃は、京都と奈良の府県境が近い大阪の枚方市というところに住んでいました。そこが、本当に自然がいっぱいの場所で。家から少し歩くと山があり、きれいな川も流れていた。そこで、毎日のように虫取りや魚釣りをして遊んでいたんです。
山には果実もいっぱいなっていて、木苺やアケビ、グミの実なんかを採って食べていました。あと、よく山菜採りもしたなあ。ワラビ、ツクシ、ゼンマイに……スカンポってわかります?

――いえ、聞いたことないです。山菜の一種でしょうか?

イタドリとも言うんですけど、パンっと手で叩くと酸っぱい味がするんです。これもよく採っていましたね。今でも、料理に使うことがあります。
山にいるときは、「ここにある山菜を全部採りつくしてやる!」という気持ちになって、いつもものすごい量を採ってきちゃうんですよ。でも、採った山菜の下処理は自分でやりなさいと言われていたので、家に帰ってきてから、「こんなに採るんじゃなかった」とよく後悔していました(笑)。

自分の美意識は、子供の頃の原風景にあった

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――でも、ちゃんと下処理すると、その山菜がおひたしになったり、天ぷらになったりして食卓にのぼる。

そうです。おいしかったなあ。この野山を駆け回っていた時の記憶が、料理に行き詰まっていた僕を救ってくれたんです。
2008年にお店をオープンして、半年くらい経ったら常連のお客様がたくさんついてくれました。週に何回もお越しくださる方がけっこういて、その都度新しい料理を考えていたら、アイデアが枯渇してしまった。そこである程度長い間休みをとり、フランスの友人の店で研修をさせてもらうことにしました。

――自分の店を持ってから研修に行かれる方は、そういないですよね。米田さんの勉強熱心さがうかがえます。

でも、そこで友人に自分が作っている料理の写真を見せたら、「こんなの、お前が修業してた店のコピーだろ」と言われてしまって。「そんなことない!」とケンカして、帰ってきてしまった。だって、修業をしていた店のカラーが出るのは当たり前じゃないですか。そこから、「コピー」と言われたことが頭から離れませんでした。
自分の店を出す前に勤めていたのは、ミシェル・ブラスという伝説的な天才シェフの店でした。お客さんはどうしたって、ミシェル・ブラスのもとで修業していた人の料理はどんなものだろう、という期待を持って来る。それに応えなければという気持ちもあったんです。
でも、そこを拠り所にしないとすると、自分は一体何をもって料理を作ればいいのだろう。そもそも、日本人である自分の根源にフランス料理はない。その自分がフランス料理を作ることは、嘘をついていることにならないだろうか。そうやって心の中で葛藤していたんです。

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――料理人としてのアイデンティティがゆらいでしまった。

そんなある日、ふと子供の頃、枚方の山の中で日がな一日遊んでいた風景が頭に浮かんできました。気持ちのいい風が吹いていて、虫が飛んでいて、僕は冷たい川に足を浸して魚をとろうとしている。上にはまぶしい太陽と、真っ青な青空。その光を反射した水面がキラキラしていて、「わあ、なんてきれいなんだろう」と思ったことを急に思い出したんです。これが僕の原風景、美意識の根源にあるものだ、と強く感じました。
そのとき、フランス料理をやめよう、と思ったんです。それまでずっと、ミシェル・ブラスの本をはじめとしたフランス料理の本を見ながら、新しいレシピを考えようとしていた。でも、それはすでに誰かが考えたレシピなんです。そういうのを参考にするのはやめて、あの自然の美しさをそのままお皿に表現し、僕が本当においしいと思うものを作ろうと思いました。

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――そうして、あの「地球」が生まれた。

営業後、客席に座っていたら急に「地球」のイメージが浮かんできました。テーブルクロスをバッとはがして、そこにあったテーブルにイメージをそのまま描きつけたんです。もうその時のスケッチからほぼ変わっていません。「地球」は今の僕の料理を象徴する、大事な一皿です。


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この記事は、POLAが発信するイノベーティブ体験「WE/」のコンテンツを転載したものです。ぜひ「WE/」のサイトもご覧ください。
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