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なにかに熱中した経験が、未来の自分を助けてくれる|米田肇 #2

2010年からミシュランガイドの星を獲得し続け、2018年には三ツ星に返り咲いたレストラン「HAJIME」。そのオーナーシェフの米田肇さんは、何かを始めると我を忘れてのめり込むタイプ。しかもどの分野でも、相当なレベルまで極めてしまうという才能あふれる人です。料理人になる前に没頭していた数学、そして空手は、今の仕事にどのようにつながっているのでしょうか。

米田肇
近畿大学理工学部電子工学科卒業後、コンピュータ関連のエンジニアを経て料理の世界へ。
「ガストロノミーを通して、人類の未来に貢献する」というビジョンを掲げ、様々な分野に挑戦をしている。レストランにおいては、緻密に計算された高い技術、革新性、妥協なき完成度と料理を通して表現される壮大な世界観が高く評価され、世界最短でミシュラン三つ星を獲得、Foodie Top 100 Restaurants、Asia’s 50 Best Restaurants、OAD Top 30 Japanese Restaurants、The Best Chef Awardsなどの世界ランキングにランクインする、さらに世界を代表する100人のシェフ「100 chefs au monde」に選ばれ、2016年、辻静雄食文化賞専門技術者賞、KINDAIリーダーアワード 文化・芸術部門、2017年に農林水産大臣料理マスターズを受賞する。

空手で鍛えた動きを読む力が、厨房で発揮された

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――米田さんは、大学の電子工学科に進学し、メーカーに就職されてから料理の道に入るという、異色の経歴をお持ちです。料理人になる前に、没頭されたものがいくつかあったとか。

高校時代は数学にハマっていました。単純におもしろかったんですよね。一度問題を解き始めたら止まらなくて。家でもずっと数学の問題を解いていた時期がありました。
当時は、問題を見ただけで答えがわかったんです。頭の中にx,y,z軸の座標空間のイメージが広がって、答えがどういう形になるのかわかる。だから先に答えを書いて、それを証明するように過程の式を書いていました。
ピークのときは、「これを解いていけば、宇宙がどうなっているかわかる」と思った瞬間があったんです。そのあたりで、高校の先生が「九州大学の数学科に有名な教授がいるから、そこで研究をしたらどうだ」と勧めてくれました。でも、九州は遠いから嫌だなと思って行きませんでした。

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――九州へ行っていたら、今頃は数学者や理論物理学者になって宇宙の謎を解いていたかもしれません。大学からは、空手を始められたと。

格闘技がずっと好きだったんです。剣道は幼稚園の頃からやっていました。剣道はある程度熟達すると剣先がくっと動いた瞬間に、どこによければ当たらないかがわかるんです。でも、空手をやってみたら、突きや蹴りがどこから飛んでくるのかまったく見えなかった。これがよけられるようになったらすごいな、と思って興味を持ちました。

――動きが見えるようになるのがおもしろい。

練習を続けていると、空間を掌握できるようになるんですよ。僕は目がわるいので、メガネを外すとほとんど見ません。ただ、空手のときはメガネを外していたんです。だから見てよけるのではなく、ほとんど空気を読んでよけるんですね。
空間が歪んだなと思ったら、次の動きに入るという練習をずっとしていました。そうしたら、目をつぶっていても攻撃をよけられるくらいにはなりました。

――マンガのような世界です……! 空手が料理人としての仕事につながっている部分はありますか?

大いにありますね。料理の専門学校を卒業してから2軒目に勤めたレストランは、客席が18席の小さな店でした。入店して1年くらいしてからは、シェフと二人だけでほぼすべての調理をしてたんです。そうなると、忙しい時にはもう喋っている時間もない。完璧にアシストするためには、シェフの動きの先を読んで行動しないといけないんです。

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――空手のように、空気が動いた時点で次の動きに入る。

そう。次は何をつくるのか、材料がいるのか、フライパンがいるのか、鍋がいるのか。シェフが何を望んでいるのかをひたすら考えて動く。最終的には、ソースに隠し味として入れる微量な材料まで、適量をスプーンに入れてさっと並べられるようになりました。
そうすると、もうどこのレストランに行っても、シェフが何を必要としているかわかるようになるんです。フランスのレストランに修業に行ったときに、フランス語は話せなかったけれど、シェフが何をしてほしいかはわかった。だから、シェフがぱっと動いた瞬間に、ばばばっと横に必要なものを用意していたら、「説明していないのに、なんでわかるんだ!?」と驚かれましたね。

「料理がうまくなった」と実感できたのは、つい最近のこと

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――超人的ですね。

これはスポーツ全般に言えることだと思うのですが、熟達すると一連の動きを無意識に落とし込めるようになるんですよ。複数人で調理をするときは、この無意識の動きがすごく重要。
うちのスタッフを見ていても思います。スポーツをやっていた子は、まわりの動きを読んで、スムーズに次の動きができる。厨房で人にぶつかることも少ないんですよね。

――米田さんは料理人になる前から、自宅で料理をされていたんですか?

それが、ほとんどやっていなかったんです。中学生のときに一度、自宅でスープを作ったんですけど、激マズだったのを覚えています(笑)。作り方を知らないのに、レシピも見ないし、人に聞いたりもしなかったので、当然ですよね。社会人になってひとり暮らしを始めたときは多少自炊をしていましたが、やっぱり料理本は見ていませんでした。

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――料理本を見ながら作らなかったのには、何か理由が?

なんかちょっとおかしいんだと思います(笑)。人が言うとおりに作って何が面白いんだろう、と思ってしまう。頭の中のイメージを形にしたいという思いが先走って、その間の過程のことをうまく想像できなかったんです。
料理の作り方がわかったのは、専門学校に行ってからです。講義はかならず一番前に座って、終わったら先生に質問して、帰宅後にノートの内容を全部パソコンで整理し直して、復習しました。
それを半年くらい続けていたら、フランス料理というもの理解ができたんです。ソースだったら、この調理のあとに、ワインを入れて凝縮させる。それを濾したあとに、ブイヨンを足して、最後はバターを入れる……そうした一連の決まった手順が、何も見なくても浮かんでくるようになった。フランス料理には、方程式があるということがわかりました。それと同時に、この方程式があるからこそ、フランス料理は世界に広まったんだなと思いました。

――フランス料理にも数学的なところがある、と。いつ頃から、自分は料理ができるなという実感が湧いてきましたか?

うーん……、先々週ですかね。

――先々週ですか! もう、10年以上前から著名なシェフでいらっしゃいますが……。

あの、ずっと僕は料理がヘタだったんですよ。これは謙遜でも何でもなくて。自宅でぱぱっとパスタを作ったりすると、なんかおいしくないんです。よく妻に「あ、おいしそう。食べていい?」って言われたら、「ダメダメ! 思ったようなものじゃないから、食べないで!」って断っていました(笑)。

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――それは、米田さんの「おいしい」の基準がものすごく高いからではないでしょうか?

どうなんでしょう。頭の中で思っているような味にはならない、という感じが続いていました。よく考えて、レシピをしっかり構築したら、そりゃおいしいものを作れる自信があります。でも、即興で作ったものはあんまりおいしくなかった。
それが先々週、たまたま家で適当にアクアパッツァを作ったんです。そうしたら、けっこういい感じにできて。「あれ、おいしいね。今までこんなんじゃなかったよね?」と妻に言ったら、「うん! すごくおいしい」って返ってきました。そのときに「あ、俺、料理うまくなったな」と思いました。

――ぱぱっと作っても、イメージ通りに作れるようになった。

最近そういう感覚があります。もう20年以上料理をしてきて、やっと頭のイメージを即興で料理に落とし込めるようになったのかもしれません。

目につかないところまで美しくする。それが、全体のクリエイティブにつながる

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――米田さんは、料理の専門学校に入学される前、企業に2年間就職されています。数学、空手と何事も始めたらのめり込むタイプに見えるのですが、就職先の仕事はそうではなかったのでしょうか。

本当は、ずっと料理人になりたかったんですよね。中学、高校、大学卒業のタイミングで毎回「料理の学校に行きたい」と父親に訴えていたのですが、その都度「大学に行け」「就職しろ」と、その理由も含めて理路整然と返されていました。それで、諦めていたんです。
就職した会社は、ある電子部品製品の国内シェアを当時90%くらい持っている優良企業で、入社前は最先端のハイテクなイメージを持っていました。でも配属された事業所は、昔ながらの工場。まわりは木も生えてないし、煙だらけで空気もわるい。夜も工場の照明がチカチカしている。『北斗の拳』で描かれている世紀末の荒野という感じで、最初は「えらいところに来てしまった……」と呆然としました。

――もともと自然に囲まれたところで育っただけに、180度違う環境です。

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そう、いろいろとギャップが大きすぎたんですよね。それで、なぜ他でもなくその会社を選んだのかもう一度思い出そうとしました。そうしたら、海外に拠点が多くて、海外赴任できそうだからだったんです。さらに掘り下げて、なぜ海外に行きたいかを考えたら、子供の頃に憧れたシェフが海外にいたからだった。ということは、結局僕は料理人になりたいんだ、と。
それを実感して、もう会社は辞めようと決めました。でも、すぐには辞めなかった。これは新入社員の気の迷いかもしれないから、もっと仕事ができるようになって、社内で友人もできてから、もう一度考えようと思ったんです。さらに、ここで料理学校に通えるくらいのお金を貯めようと。それで生活をとことん切り詰めて、2年間で600万を貯めました。

――先程、「最先端の企業だから、ハイテクでカッコいいイメージだったけれど、そうではなくてがっかりした」とおっしゃっていました。「HAJIME」の店内やオフィス、お車、身につけていらっしゃるアイテムなどを拝見すると、洗練されていてデザイン性の高いものばかりです。環境や世界観というのは、米田さんにとってとても大事なポイントのように思えます。

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子供の頃から、カッコいい世界にずっと憧れていたんですよ。例えるなら、映画『007』シリーズみたいな雰囲気。世界のどこかに、女性はきらびやかなドレスを着て、男性は蝶ネクタイをつけている、そんなパーティー会場があるんじゃないかと思いを馳せていました。そういう非日常の雰囲気は、レストランにもありますよね。だからレストランが好きなんです。カッコよくて、心地いいと感じるところで生活しようと、心がけています。

――レストランと同じビルにあるオフィスも、とてもクリエイティブな空間でした。

オフィスについては、料理の道に入った当初から改善すべき部分だと思っていました。昔は事務所のスペースなんてほぼなくて、厨房の端にグレーのロッカーがおいてあるだけでした。更衣室もなくて、厨房でみんな着替えていた。でもそういうのは全然クリエイティブではありません。手を入れていないところを美しくしていくことが、レストラン全体のクリエイティブにつながるのだと思っています。

運命のいたずらが、今の自分をつくっている

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――料理学校で調理技術のコースを修め、いよいよレストランの現場で働くことになります。就職先は、自分で選ぶのでしょうか?

はい、希望するレストランに自分で連絡をするんです。僕は東京のジョエル・ロブションで働きたいと思っていたので、8月に電話をして履歴書を送りました。そのときに、人数が足りているからスタッフの空きが出たら連絡すると言われたんです。でも3ヶ月待っても連絡がこなくて、11月になってしまった。
通常、8月中には就職先を決めるものなんです。同級生のなかで僕だけ決まっていなかったので、先生に「日本で一番しんどくて厳しいレストランはどこですか」って聞いたら、大阪のある店を教えてくれました。そこに面接しに行って、受かった帰り道のことです。ロブションから、「スタッフの空きが出たよ」という電話がかかってきました。

――なんというタイミング……!

でも、もう面接して採用されたのだから、大阪の店に行こうと僕は決めていました。もしかして、そこでロブションに行っていたら、今頃ジョエル・ロブションのシェフだったかもしれません。運命っておもしろいものですよね。


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この記事は、POLAが発信するイノベーティブ体験「WE/」のコンテンツを転載したものです。ぜひ「WE/」のサイトもご覧ください。
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