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きれいに描かないことで、会話が生まれていく|清水淳子 #2

多摩美術大学の情報デザイン学科で講師を務める清水淳子さんは、紙とペンで人々の対話や議論を可視化する「グラフィックレコーディング」を研究・実践しています。このグラフィックレコーディング、もともとは「ざっくりノート」と呼んでいたそう。自分用の講義メモから生まれたざっくりノートは、やがてグラフィックレコーディングへと進化し、今では単なる議事録を超えて可能性が大きく広がっています。清水さんがグラフィックレコーディングの手法を確立させるまでについて、お話しいただきました。

清水淳子
1986年生まれ。2009年、多摩美術大学情報デザイン学科卒業後、デザイナーに。2012年WATER DESIGN入社。横断的な事業を生むためのビジネスデザインに携わる。2013年Tokyo Graphic Recorderとして活動開始。同年、UXデザイナーとしてYahoo! JAPAN入社。現在、東京藝術大学美術研究科 情報設計室と多摩美術大学情報デザイン学科専任講師として議論の可視化を研究。著書に『Graphic Recorder ―議論を可視化するグラフィックレコーディングの教科書』がある。

人前でノートを描くって、おもしろいこと?

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――清水さんはWebデザイナーとして3年間働いたあと、転職をされます。次はどういう会社に?

国内外の製品開発に携わってきた坂井直樹さんが代表を務める、WATER DESIGNという会社に入りました。そこはデザイン寄りのコンサルティング会社で、私はクライアント開拓、打ち合わせ、企画出し、お土産調達、デザイン、請求書の処理など、プロジェクトの最初から最後まですべての過程に関わって仕事をやっていました。肩書はデザイナーでしたが、実際の仕事は営業やプロジェクトマネージャーに近かったと思います。

――この頃は、グラフィックレコーディングの活動はいかがでしたか。

はじめは自分用のノートとして書き始め、それをネットにアップしていたのですが、この頃転機が訪れるんです。まずは2012年のデジタル×ものづくりのイベントで、人前でグラフィックの議事録をとることに挑戦したこと。登壇されていた多摩美術大学の久保田晃弘先生が、「みんなの前で描いたほうがおもしろいよ」と言ってくださったのですが、自分としては疑問が残っていたんです。でも、最終的にオーディエンスの方も喜んでくださったので、人前で描くのはおもしろいことなんだとわかりました。
さらに翌年の働き方関連のイベントで、グラフィックレコーディングした時は、描き終わった時に、参加者たちが描いたものを飾ろう!と言い、上から吊るして展示しました。これも自分としては「えっ、なぜ吊るすの?」と当初は思ったのですが、みんながその紙の前であれこれ話しているのを見て、大きな可能性を感じました。

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――これまで壇上にあったものが近くに来て、オーディエンスの間に会話が生まれたんですね。

「この話のとき、私はこう思ってた」とか「ここで何言ってたかわかった?」「いや、ほんとはわかってなかった」とか、私のノートをきっかけに話が盛り上がってたんです。それはすごく意義のあることだなと。

――このときは、ノートって呼んでたんですか?

このあたりではもう、グラフィックレコーディングという言葉を使い始めていました。でも、2012年までは「ざっくりノート」って呼んでたんです。

――ざっくりノート! それはまた、印象が違いますね。

でも、ライターの河尻享一さんに講義録を頼まれたシリーズがたまってきて、それを「ざっくりノート」と呼んでいたときに、「あ、この名前かっこ悪いな」と思って(笑)。

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――自身でも気づいてしまった(笑)。

じつは、わざとかっこ悪く呼んでいたところもあるんですよ。というのも私としては、やはりデザイナーとしての本筋はグラフィックやプロダクトデザインにあって、こんな遊びみたいなことをメインにしてはいけないと思っていたんです。だから、あえてゆるい感じに呼んでいて。
でも、だんだんただの遊びではない可能性に気づいてきて、適当に扱うのをやめようと思ったんです。人が価値を感じてくれたり、コラボレーションしたいと思われるために、「グラフィックレコーディング」という名前に改めました。それで、2013年の1月から「Tokyo Graphic Recorder」として活動を始めたんです。

グラフィックがうまくなってはいけない、と思っていた

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――本格的に活動するにあたり、グラフィックレコーディングがうまくなるための練習や勉強などはされたんですか?

むしろ、あまりうますぎてはいけないという意識をもっていたんです。きれいに描けば描くほど、描く人自身が目立つのはわかっていました。でも私はきれいに描くことよりも、描くことで人の間にどれだけ会話が生まれたか、を重視していたんです。活発な会話が生み出せるようになるまでは、うまくなる特訓をしてはいけないと思っていました。

――あんまりきれいに描くと、会話は生まれなくなってしまうんですか?

自分がきれいに描くことに夢中になると、会話を生み出すことに意識を割けないというか。私と会場の参加者の間に分断が生まれてしまうと思ったんですよね。海外のグラフィックレコーディングをSNS越しに見ると、めちゃくちゃきれいなグラフィックレコーディングの前で、描いたグラフィックレコーダー本人が一人ドヤッと写ってたりする。素直に「あぁ、すごくかっこいいな」とも思うのですが、私、そのかっこいい記念写真だけを目指すことには、あまり意味がないと思っているんです。
それよりも私の描いたグラフィックの前で、人が話に熱中しているところを後ろから撮った写真が好き。そういう写真を撮るためにはどうしたらいいのか、とすごく考えていました。
最近では、やっと自分が描くことで対話を活性化するメカニズムを見つけたので、安心してグラフィックをよくしてもいいなと思えるようになったんです。

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――それはどんなメカニズムなんですか?

それがまさに、東京藝術大学で研究していることです。そもそも、みんなが会議などで活発に発言できていたら、私のグラフィックレコーディングはいらないんです。私が呼ばれるのは、みんなが関係性や思考にとらわれて、「私とあなた」、「私の部署とあなたの部署」など、異なる立場の間で対立が生まれているから。それによって議論がうまく進まないからなんです。そういうときは、みんなが殻に閉じこもってしまうか、相手を攻撃するようなモードになっているのではないか、と考えています。

――それが、グラフィックレコーディングで解決される?

グラフィックレコーディングをすると、まずみんなグラフィックが描かれている紙の方を向くんですよね。向かい合うんじゃなくて、同じ方向を向く空間がつくられる。そして、そこに自分たちの意見が集まっているという認識がうまれる。そうすると、「私」と「あなた」で話すのではなく、いったんグラフィックを介して話すようになる。そうすると、「I vs You」じゃなくて、「We & We」になれるんです。このあたりのメカニズムを、修士論文ではもう少し掘り下げていこうとしています。

グラフィックレコーディングの可能性と危険性

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――こうしたグラフィックレコーディングの可能性は、なにで気づいたのでしょうか?

新聞社の未来を考えるという大きなプロジェクトに参加したことは、一つのきっかけになりました。新聞社は文字を扱うプロフェッショナルが集まっている会社。そこが、わざわざこんな絵を描く人を呼ぶということは、本当にもう文字だけではわかりあえないのかもと思ったんです。グラフィックという緩衝材が、時代的に必要とされているのを感じました。
議論を終えて懇親会をしたら、新聞社の社長を始め、皆さんがグラフィックレコードの前で楽しそうに会話をしていたんです。こういう新しい表現を介すことでわかり合うことができると、当人たちが実感されていた。その場面を見ることができたのは、貴重な経験でした。

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――文字だけの議事録では、生み出せなかった体験かもしれません。

もう一つは、テレビの仕事です。ある討論番組で、意見が対立する人たちが話し合う内容をグラフィックレコーディングしたんです。このときは、絵によって対立が深まりすぎることがあり、誤解も生まれるということがわかりました。けっきょくグラフィックレコードはお蔵入りになってしまって。
テレビ番組は、対立を演出しておもしろく見せるエンターテインメントだけれど、グラフィックレコーディングという手法は問題を解決に至らせようとしてしまう。だから、合わなかったんだと思います。この件で逆に、グラフィックレコーディングが持つ問題解決能力を実感することになりました。

――いろいろな場で実践することで、議論にグラフィックレコーディングがどう作用するのかを検証していったんですね。

はい。グラフィックレコーディングだと本音が出やすいといったことも、他の現場で気づきました。そうしてだんだん、絵がかわいいとか見やすいとか、そういうことだけではないグラフィックレコーディングの価値を見つけていったんです。


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この記事は、POLAが発信するイノベーティブ体験「WE/」のコンテンツを転載したものです。ぜひ「WE/」のサイトもご覧ください。
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