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チェーン店に囲まれて育った。それでも、個性的な音楽を作れるのか|tofubeats #3

1980年代に作られた、神戸のニュータウンで生まれ育ったtofubeatsさん。自分は楽器もできないし、本格的な音楽のルーツが何もない、とコンプレックスを吐露します。それでも彼は、その背景から生まれる何かがあるのではないか、と模索しながら新しい曲を作り続けています。そんなtofubeatsさんの考える音楽業界の未来、そして自分自身のこれからについてうかがいました。

tofubeats
1990年生まれ神戸在住。中学時代から音楽活動を開始し、高校3年生の時に国内最大のテクノイベントWIREに史上最年少で出演する。その後、「水星 feat. オノマトペ大臣」がiTunes Storeシングル総合チャートで1位を獲得。メジャーデビュー以降は、森高千里、の子(神聖かまってちゃん)、藤井隆ら人気アーティストと数々のコラボを行い注目を集め、3枚のアルバムをリリース。2018年は、テレビ東京系ドラマ「電影少女 -VIDEO GIRL AI 2018-」や、映画『寝ても覚めても』の主題歌・劇伴を担当するなど活躍の場を広げ、10月に4thアルバム「RUN」をリリースした。

時代を反映した音楽を作りたい

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――tofubeatsさんは、トラックメーカーや作詞家、DJ、シンガーなどさまざまな顔をお持ちですが、「これが一番やりたいことだ」と思うのはなんですか?

作ることが一番好きですね。それは、作曲も作詞も。いい曲ができたときが一番うれしいです。いい曲とはなにか、と聞かれると答えるのは難しいんですけど。

歌は、自分で歌わなきゃいけないときがあるからやっているだけ、という感じです。でも、人に歌ってもらえるなら全部任せればいいかというと、それも難しいところがあります。以前、とある女性シンガーの方が歌うために小室哲哉さんが作った楽曲をアレンジしたことがありました。そのときに小室さんの仮歌をもらったんです。

――仮歌は作曲者が、見本として吹き込んでいる歌ですね。

その小室さんバージョンの歌が、めちゃくちゃよかったんですよ。やっぱり自分で作った歌は、すごくリズムがなじんでる。音が少し合っていなかったとしても、揃うところが揃っているんですよね。そういう意味では、作った人が歌うのも、いいのかなと思ったりします。

ただ、僕は自分で作った曲をすごく聞くので、そのときに自分の声だとなんか鬱陶しいんですよね(笑)。オートチューンで加工してるから、いくらか距離は出るんですけど。

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――アルバムを作るときは、自分の作品を全て聴き直すそうですね。

はい。それで、「こんなにいっぱい曲作ってきたんだから、今回も作れるはず」と自分に暗示をかけるんです。曲を作っていると、いま目の前にあることができないということがあって。すると、基本的にひとりで作業しているので、すべてが止まってしまうんですよ。そういうときに、自分を勇気づけるために聞いたりします。あとは本を読むのもいいですね。自分を洗脳し直すというか。

――先に「人が何をいいと思ってるかはわからない」というお話がありました。でも、プロとしてやっていくためには、人に支持され、作品が売れたりすることが必要ですよね。

人の気持ちがわからないのは前提なので、自分がいいと思ったものを、他の人もいいと思うと仮定してやっていくしかないですね。

最近は国民的大ヒットと呼べる音楽は出てこなくて、何が売れるかわからないから、レコード会社の人も「こうしたら売れる」みたいなことを言わなくなったんです。僕としては、それはすごくありがたい。やっぱり、売れるための立て付けみたいなものって、お客さんも気づくと思うんですよ。広告とかにすごく敏感になっていますから。

――ステマ(ステルスマーケティング)かそうでないか、といったことはすぐバレるようになりましたよね。

だから、誠意を持ってやるのが一番。いい時代になりました(笑)。

ただ、音楽の聞き方や売れ方など、時代が変わったとはよく言われているものの、意外とどう変わったのかって誰も説明できないんですよね。だから、誰がいつこの変化の真芯を捉えるんだろう、ということは考えています。

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――音楽には時代性や社会性が反映されてくるものだと思いますが。

はい、もちろん。

――tofubeatsさん自身が、社会に対して何か働きかけたい、影響を与えたいという気持ちはありますか?

うーん、僕にそんなパワーがあるかどうかは疑問ですね。でも、自分が時代を反映した存在でありたいとは思います。やっぱり、昔のいいアルバムには、その時代の雰囲気がパッケージされている。だから、アルバムを作るときは毎回、今の雰囲気が少しのっかるといいなと思っています。

ただ、そこで何かメッセージを込めるのは違う気がするんですよね。「みんな仲良く」とかも言いたくないですもん。

――かなり普遍的なメッセージだと思いますが……。

いや、みんな仲良くしたほうがいいですけどね(笑)。でもそれを、曲を使って強要するのは違うなって。そういうことは、歌詞を書く時にすごく考えますね。歌詞って本当に難しい。歌詞があるだけで意味が100倍くらいくっきりしてしまうので。歌詞がないほうがいつでも聞けるから、歌が入っていないインストの曲も僕はすごく好きです。

これからもいい音楽が生まれる制度を

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――10年、20年先もこの部屋で音楽を作っていると思いますか?

それが、あまりそういうイメージはわかなくて……。最近マネージャーとその話をよくしています。僕が三十路を過ぎて、マネージャーが40歳過ぎてもこうしているのか? いや、絶対こうじゃないよね、みたいな。

――ではだんだんと、後進を育てたりするようになるんでしょうか。

それが、占いで「先輩」は向いてないって言われたんですよ。人を育てると道を誤らせることになるって。だから、どうしようかなと思ってます。

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――占いでそんなことを言われるんですね。

でも、これからの制度づくりには興味があります。今は個人事務所でやっているので、いろいろ権利関係などについて調べているのですが、もっとよくできるところがあるなと思うんですよね。

これから音楽の売上が減っていってもやっていけるような制度ができたら、後進はもちろん、僕もラッキーなのでちょっとがんばりたい。

やっぱり作る人がいてこその音楽だと思うんですよね。でも、今は作ってる人が一番割りを食っていることが多い。特に若い子は。そういう子たちに、もう少し気分よくやってもらえるようになったらいいなと思います。

――いい曲を作って発表したら、それの正当な対価をもらえるとか。

そうしたらやる気出ますよね。趣味で作ってる人でも、お金もらえたらやる気になるじゃないですか。ものを作ったりする趣味は、全体的に推進したいと思っています。

楽をするために、がんばりたい。だから会社を作ったりしてるんです。僕が聞きたいような曲を作る若手をサポートすれば、勝手にいい曲が出てくるようになる。それは楽になるということなので、制度づくりをがんばろうかなと。目的は結局、自分が気分よくいられて、いい曲を作れること。その環境を作るためです。

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――tofubeatsさんといえば、神戸在住のアーティストという立ち位置も確立されています。これからもずっと、神戸に居続けますか?

じつはそんなに、神戸にこだわってるわけじゃないんです。神戸は生まれたところで、家族がいる。それだけですね。自分に与えられた条件のうちの一つ、という感じです。

3年前に、東京に事務所として部屋を借りたんですよ。そのとき、東京に拠点を移して、東京に住むようになるのかなと思いました。でも、3年経っても行ったり来たりの生活を続けています。その状態で落ち着いてしまった。どちらかに一本化しようかとも思ったのですが、先の見えない商売でもあるんで、なかなかどちらにも決められなくて。

あと、神戸だと全然僕だと気づかれることもなく、自然に暮らせてたんですけど、最近少し変わってきちゃったんですよね。

やっぱりニュータウンが好き

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――声をかけられたり?

そうなんですよ。東京で知らない人に声をかけられるのは、自分も仕事モードなので平気なのですが、神戸は生活しているところなので少し気になります。Uber Eatsを頼むのもためらわれるようになってしまった。タクシーの運転手さんが「このへんでtofubeats乗せたよ」とか言っていたのも友だちから聞いて、そういうことが自分に起こると思わなかったからびっくりしましたね。

――芸能活動が長くなってくると、そういうことも起こるんですね。

自分では自分のことを、裏方のプロデューサーだと思っているんです。普段は週5で家にいて、曲を作ってますしね。だから芸能人という感覚がないんです。

でも神戸でも顔が割れてくると、東京や大阪と変わらないかもと思ったりします。ただ、僕は有名税なんて絶対払わなくていい税だと思ってるから、有名になることの不自由さみたいなものとは、断固として戦っていきたいですね(笑)。

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――将来のことでいうと、結婚して家を買って、子どもがいて、庭には犬がいて……みたいな、いわゆる「普通の幸せ」願望はないんですか?

あ、僕、完全にそれあります。そういう将来のために、大学は一番就職がいいと言われていた経済学部を選んだので(笑)。メジャーデビュー前に「水星」という曲を一緒に作ったオノマトペ大臣は大学の時にお世話になった先輩なんです。彼が「経済学部は一番就職がいいんだぞ」と言っていたから、経済学部に進学することにしました。実際に彼は、会社員になって結婚しましたね。なんかそういうのは、すごく憧れあります。めっちゃある。

――それは、もともと出ていきたいと思っていた地元、ニュータウンへの回帰なのでは?

そうそう、結局それが一番いいということに気づいたんですよ。僕はなんだかんだで、やっぱり生まれ育ったところの影響をめっちゃ受けてる。ニュータウンっぽいものが好きなんです。昔ながらの商店街よりイオンとかのショッピングモールが好き。今も区画整理されたところに住んでいます。

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――人工的で整然としているところのほうが落ち着く。

古い町家とか絶対住みたくないです。今の家は、ニュータウンぽいからと思って選んだわけじゃなかったんですけど、親に「あなたは、ほんとこういうところが好きだね」って言われて気づきました。マネージャーは、前に僕の実家の近くに来た時、「この感じは落ち着かない!」って言ってたんですよ。たぶん、あまりに人工的だから。でもその感覚がわからないんですよね。

いつも傍流にいた。そういう人にもできることがあるはず

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――昭和っぽい感じとか、自然豊かな場所にノスタルジーがないんですね。

まったくないです。自分を構成しているものが、ファミレスにJ-POP、大手の塾とかなので。音楽について勉強したのも、レンタルで借りてきたCDですからね。チェーン店とかって、よく安っぽいと思われて敬遠されるじゃないですか。でも、ほぼチェーン店しかないところに育って、慣れ親しんできたのは事実なんです。それを否定することはないよな、と。

最近の若いミュージシャンは、ジャズとかソウルとか、ルーツをたどって回帰している動きがあります。でも、自分はそういうところに頼るのは絶対違うと思っていて。

――そもそもそこにルーツはないから。

そう。僕、ロックとかジャズとか全然わからないんですよ。でも友人のミュージシャンは、けっこう「本格派」が多い。というか、ミュージシャンはそれが多数派ですよね。親がもともとジャズ好きでとか、先輩からレコードを譲ってもらって高校生の時から聞いてたとか。だから、それに比べて自分はまったくそういうのがない、ということを痛感させられて。

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――本格派ではない、と。

本格的なものに対する、苦手意識や畏怖の念があります。

メジャーなものや権威に対して、自分はそうじゃないという思いをずっと抱いてきました。足が速いほうじゃないしとか。学校じゃなくて塾のほうが居心地がよかったり、任天堂よりもセガが好きだったりするのも、それなのかなって。でも、本流じゃないもののほうが好き、という人もじつはけっこういるはずなんです。例えばJ-POPは本格的な音楽とみなされてないけれど、僕らの思春期のときに、完全に固着してたものですからね。

――しかも、その時の曲をまだみんな聴いてますよね。

そうなんですよね。カラオケの年間ランキングとか見ると、いまだにその頃の曲が上位に来ていたりする。そういうのは、いいと思うところと、嫌だと思うところ両方あるんですけど。

どちらにせよ、これは我々世代の背負ってきた運命だと思います。だからそれを曲にして、どうにか発信したほうがおもしろいんじゃないかなって。この出自をどうにか料理できないかと、いろいろ模索している最中です。アルバムでニュータウンをテーマにしているのも、そういうトライの一つですね。

画一的なものから出てきた自分が、個性的な作品を作れるのかどうか。そこに今、すごく興味があります。


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この記事は、POLAが発信するイノベーティブ体験「WE/」のコンテンツを転載したものです。ぜひ「WE/」のサイトもご覧ください。
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