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明滅する数字にシンパシー感じたのは、それぞれ必死だと気づいたから〜クールからカワイイに距離感が変わる時

千葉市美術館で「宮島達男|クロニクル1995-2020」開催中だ。ワンテーマの大きなインスタレーション展示が多い作家だが、今回は25年の芸術活動歴を俯瞰できる展覧会となっている。宮島達男といえばLEDのデジタルカウンターを使った作品で有名だが、今回はそれだけでなくパフォーマンスアート、コラボレーションアート、参加型アート、ソーシャルエンゲージアートなど様々な作品群を観ることができる。

様々な活動を知り、作品を観ることで、今まで見知っていたLEDのデジタルカウンターを使った明滅する数字の作品の見え方が変わったことが、今回私の一番の収穫だと思う。数字の抽象世界の中に私の息づかいも見つけられるようになった。

1.パフォーマンスアート 《Counter Voice in Wine》2000/2020

ワインの入った洗面器に国籍や性別の異なる3人が顔をつけ、顔を上げ、それぞれの言語で1から9までの数字を数え、また顔をつける。それを続けている映像だ。数えるスピードや息づき、顔をつけている長さはそれぞれ異なる。勢いよく数え、すぐに顔をつけ、なかなか顔を上げない人もいれば、ゆっくりした動作でする人もいる。手で顔を拭うのを禁止されているのだろう、目にしみるのが辛そうな表情、口元を舌で舐める仕草など、人それぞれ、その時々で異なる。そこに個性の面白さを感じると同時に、必死の形相という共通性にも心を打たれた。

映像では3人とも白いシャツを着用している。そのシャツも展示されていた。映像では白いシャツだとわかるくらいに白い部分が残っていたが、展示されているシャツは渋いワイン色に染まっていた。私が見たのはほんの数分間だが彼らはどれくらいの続けていたのだろう。人の営みの一部を見る。それ以外の時間に思いを馳せる。すると、愛着が生まれるものだ。そんな余韻のある作品だった。

2.参加型アート 《Deathclock for participation》2005-2018

このブースの真ん中にはPCが置いてある。きっと何かをするのだと即座に座る。名前と生年月日、死ぬ日にちの入力を促される。そして写真撮影。大きな壁面に私が死ぬまでの時間のカウントダウンダウンが大きく映し出される。デジタルカウンターのライブ感に鼓動が高鳴り、死に向かっていることを公然と宣言した高揚感を味わう。いつ死ぬと設定しますか? 私が美術館であわてて見積もった数字は控えめだった気もするが、適当な気もするのでこの数字で行こうと思う。数字は具体的にしてくれる。私は死ぬまでの時間に参加してるのだ。

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3.ソーシャルエンゲージアート 「時の蘇生・柿の木プロジェクト」

長崎に落とされた原子爆弾で奇跡的に生き残った一本の柿の木があったそうだ。1994年に長崎に住む樹木医の海老沼正幸はその被爆した柿の木を治療して「被爆柿の木2世」の苗木を生み出すまでに回復させたそうだ。それを知った宮島は、1995年海老沼の活動をアーティストとして応援するため、展覧会で苗木を展示し、里親を募集したことが「 時の蘇生・柿の木プロジェクト」の始まりだという。今でも苗木を植え、育ててくれる子どもたちが募集され、世界中の子どもたちが植樹する活動は続いている。

「人と関わって仕事をすることが好きなことをに気づいた」と宮島は言う。世界的に活躍する大御所でも芸術活動を続けることに逡巡する時期もあったようだ。芸術活動を始めた当初のことだと思われるが、「ぼくは天才ではないと思った。凡人だと思いようやく自分を知った。作品を見てくれるお客さんと共に生き、作品を作っている」というようなことも言っている。

柿の木は宮島の恩師である榎倉康二の作品のモチーフでもある。今回、千葉市美術館の常設展で榎倉の作品展示もあり、そのことを知った。宮島にとって柿の木は象徴的な存在だろう。恩師から受け継いだ精神であり、魂を揺さぶられる新たな出会いであり、若い人たちにバトンタッチしたい思いのように見えた。宮島が芸術活動を続ける守り神のような存在かもしれない。

4.LED作品 《Floating Time》2000年

赤青黄のカラフルな床の中を1から9までの数字がランダムに回転しながら浮遊する。数字を見ていると、大きさも、回転の仕方も、スピードも異なる。1から9まで変化する数字もあれば、5で止まったままの数字もある。もしかすると私が身終えたタイミングで変わったかもしれないが。ぼーっと見ながら心地よかった。あれは私かもしれないと思う数字を見つけたりして………。ふと、さっき見たワインに顔をつけて数字を数えるパフォーマンス《Counter Voice in Wine》の3人の必死な顔を思い出した。ここに浮遊している数字にも顔がある。様々な顔がある。そして時々に様々な表情をする。赤青黄の床の色の効果もあるのだろう、無機質でクールな印象だった数字にシンパシーを感じると共にこのワールドのカワイイ温もりにホッとさせられた。《Deathclock for participation》では死までの時間に直面したが、こんな風にコロコロと浮遊していけばいいんだ。今後また宮島作品を見るのがとても楽しみになった。同時代に生きているって心強いことだ。

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