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ファクトも大切だが、それよりも私は仲間たちの声に耳を傾けたい

朝のニュースに求める情報はない

本日のタイムラインというやつを、私は読まない。
気まぐれでテレビをつけても、身支度をしながらの流し見だ。

芸能人にもスポーツにもそこまで興味はないし、ゴシップや誰それの不用意な発言に関してあれこれ言及するネタは好きではない。

最低限必要な情報は、Googleアラートに登録しておけばチェックできるし、職場や友人との何気ない雑談の中で自然と耳に入る。

生きるために必要な情報はそれほど多くはないし、すべてのニュースに耳を傾けていると、それだけで疲れてしまう気がする。


自分の価値観の中で生きている

私の周りの比較的若い世代は、日常的にテレビを見ている人の方が少ない。

面白そうな企画やネタはTwitterでゲットするし、お店の最新メニューはInstagramで事前にチェックする。
運動不足を感じたらYouTubeで筋トレ動画を探す。

時にはそうした情報の方が、オフィシャルな情報発信よりも意外と便利だったりする。

それぞれが自分の「好き」なことを発信しているから、同じ興味関心を持つコミュニティも形成されやすい。

コミュニティの中で次々と新しい情報が駆け巡り、「好き」が磨かれてその領域の知識がオタク化する。

一方で、コミュニティの外の人と話すと、その知識量の差や偏りに気づき、時にハッとすることがある。

そしてそんな瞬間にこそ、「好き」から形成された自分の価値観を自覚する。

同じ価値観の人と話すのは楽しいし居心地がよいが、このままでいいのだろうかと若干の懸念が頭をよぎる。


人間は感情的な生き物だ

3つ下の後輩に勧められたのは、朝起きてから寝るまでのルーティンを紹介する動画コンテンツだったが、私にはその良さが分からなかった。

お勧めされた時点で、明らかに自分の「好き」と合わないことはわかりきっていたが、それでも途中まで見た。

他の誰でもない仲間の言葉であればまずは耳を傾ける。
いかにもセールス然とした広告や営業トークは敬遠したくなるが、自分が好きなインフルエンサーがお勧めするならとりあえず興味は持つ。

興味のスタート地点は自分の「好き」か、自分が信じる誰かの「好き」なのではないだろうか。
欠片も興味のないことに向き合うのはストレスだから。

情報も同じで、どんなに正しい事実(ファクト)であろうと、その発信源や元々の自分の好き嫌いによっては適切に届かないこともある気がする。

その事実が脳に伝達される前に、心のフィルターを通って感情的に解釈され、ときに歪められて届く。
人間は必ずしも論理的な行動をとれないし、機械のように無感情ではない。

最近、勧められて読んだ本の一つに『FACT FULLNES』がある。
結局のところ、人間は主観的な生き物だから、数字という形で具体的かつ客観的に事実を突きつけられると、多少どきりとする。

でもなぜだろう、生身の情報じゃないからかその衝撃は、私の中に柔らかく吸収されてすぐに消えてしまった。


人と話すことで、自分の中に変われる余地を残す

『FACT FULLNES』では、事実を歪め、世界をドラマチックに見てしまう原因でもある10の勘違い本能について、丁寧に解説されている。

その中でも、特に自分が翻弄されていると思うのは、過大視本能・単純化本能・犯人捜し本能の3つだ。
感覚派の人間なので、印象的なエピソードには共感してしまうし、目の前にヒントが転がっているとすぐ飛びつきたくなる。

正しい情報を追うことは大切で、それは共感できる。
ただ、常に独力でファクトに向き合い続けるのはしんどい気がする。

手に入れたそれが、本当にそれが正しい事実であるのかも疑わしい。
だからそんな時、私は仲間を頼る。

人と話すことは気づきの連続だと思う。
見える世界が広がると、それだけ自分の視野が広がる。

自分の考えに疑問を持つきっかけにもなるし、違う側面からものごと見ることで思わぬ発見や、新たな「好き」に出会う可能性もある。

新しいことに触れ、自分の考え方が徐々に変化していく感覚を得るのは、純粋に面白い。

著者が言うように、世界に関する正しい知識を得ようとすることは重要だ。
だがそれ以上に私は、仲間たちの声に耳を傾けることを大切にしたいと思うのだ。

それが発信者のバイアスがかかった情報だとしても、まずは仲間越しに見える世界を広げることから始めたい。

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