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朝日新聞記者太田啓之と18人の識者が語る「ナウシカ論」

「危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』」を「連載版と単行本版の比較」というタイトルでAmazonにレビューを書きました。以下が本文になります。終盤で太字にしたのはnoteで加筆した部分です。

連載版と単行本版の比較
 
朝日新聞デジタルでの連載がいずれ書籍化されるだろうことは間違いないとは思っていたが、まさか徳間書店で出ると知ったときは正直驚いた。そのことについては後述するが、まず連載版と単行本版の比較から始めたい。

 各界の18人の識者が「ナウシカ論」を語り尽くすというこの壮大な企画を発案し、論者の人選を含めてその全てを手掛けた記者の太田啓之自身が、本書は連載版と同じわけではないことは一通り解説している。「はじめに」で記されているように、連載版では第1部が2021年3月から「コロナ下で読み解く風の谷のナウシカ」のタイトルで開始され、第2部は同年5月、第3部はロシアがウクライナに侵攻中の2022年12月に世に出た、ということだ。そしてそれらの記事に加筆し、連載に付した人物相関図やブックガイドも刷新してまとめたものだと明かしている。

 だが全てを明かしているわけではなく、インタビュアーの順序が意図的に変えられていることには触れられていない。連載版の第1部から第3部を解体し、Ⅰ序章 Ⅱ キャラクターの魅力 Ⅲ 作品のディテール Ⅳ 物語を現実へ に再構成し大幅にインタビュアーの順序を変えている。しかも本文での加筆修正だけでなく、連載版では22回もあったはずの記事が全て収録されているわけではない。
 論者は太田を含めると19人になるが、鈴木敏夫がインタビュアーだった第1回と第2回のうち第2回が、大澤真幸がインタビュアーだった第6回と第18回のうち第6回が割愛されている。第2回の鈴木のインタビューは第1回とかなり重複しているし、大澤のインタビューも部分的には重複しているのでその点は理解できる。
 太田が論者だった第3回と第22回は、第3回を大幅に加筆修正した「はじめに」と主な登場人物などの相関図の絵に分けて、第22回の記事は本文は変えずに「宮崎駿の愛犬への思いと漫画『ナウシカ』生命の交響のもたらすもの」というタイトルは「おわりに」に変えてまとめている。
 そして連載にはなかった記述を「ブックガイド」として「漫画『風の谷のナウシカ』の攻略法」と命名し、「おわりに」の前に提示している。さらに攻略法には、「思い切って『最終第7巻』から読む」という裏技を副題に加え、帯でも強調しているように
「漫画『風の谷のナウシカ』を手に取ることなくして人生を終えるのはあまりにももったいない」という切々なる想いを訴えている。
 かろうじて太田の誠実さを感じるのは、18人が読み解く記事の末尾には必ず初出を記載し、赤坂憲雄が読み解く記事のみに「加筆修正あり」を付け加えていることである。それを加えたことで太田は修正分を読者に特に読ませたいという意図を感じないわけでもなかったが。その一部を明かすと、185~186頁が加筆分で、
「クシャナは物語の最後で、死にゆく父から王位を譲られますが、『私は王にはならぬ すでに新しい王を持っている』と宣言する。『新しい王』とはナウシカのことでしょうか。」と太田は赤坂に問うが、赤坂は「僕はナウシカではないと思います。」とはっきりと答えている。かつて赤坂は自著『ナウシカ考』で「『新しい王』が誰かを指しているのかわたしはついに突き止められずにいる」と告白している。赤坂なりに正直さを示しているのだが、読者としてはモヤモヤ感が残ってしまうので、太田が赤坂の答えを引き出してくれたことは評価したい。

 ただ非常に残念なのは、連載版で引用されていた原作の絵やイメージボードが大幅にカットされたことだ。全22回中ほとんど原作の絵を引用していたのに、インタビューの記事で唯一残っていたのは、高畑勲・宮崎駿作品研究所代表である叶精二が作成した図のみである。引用に残っている図1~図3の用途は、原作と映画用絵コンテの比較が主だったので、叶が直接「図1を見ていただければ分かるように」と応じている以上、さすがにそこはカットできなかっただろう。ところがインタビューの冒頭で話題になり、宮崎の実質的なデビュー作にて『ナウシカ』の原点と叶が重きを置いていた漫画『砂漠の民』の絵すらカットされてしまったのだ。

本論でカットされなかった「図1 図画像構成の面積比率比較」(Ⅰ 序章48ページ)
連載版では第7回「ナウシカの絵コンテ分析で叶精二が見た、宮崎駿の葛藤」での図1
カットされた漫画『砂漠の民』(連載版第7回「ナウシカの絵コンテ分析で叶精二が見た宮崎駿の葛藤)

 インタビュー記事以外に残っていた引用は、太田が「主な登場人物などの相関図」として提示した絵で、宮崎直筆のものをかき集めた感じだが、”主な登場人物”という割には重要人物がかなり割愛されている。思い付くだけでもアスベル、ミト、ケチャ、大ババ、僧正、上人、道化、ナウシカの父母等と割愛され過ぎではないか。

相関図は12ページ、但し白黒である。連載版ではカラー、第3回「難解な漫画ナウシカ、ネタバレ読みが正解?7巻の変化」で提示されている

 10年前に文春ジブリ文庫で上梓されたジブリの教科書第1弾『 風の谷のナウシカ』でも豪華執筆陣の1人だった川上弘美も本書では「『ケチャ』という少女の声が私にはよく響く」と吐露していたが、連載版ではあったケチャの絵もやはりカットされていた。

カットされていた原作の少女ケチャの場面(連載版第9回「ナウシカが”人類再生”に否と叫ぶわけ 川上弘美の考察」)

 書籍化が朝日から徳間になることを知ってしまった筆者は、本家本元で出すと作品論から広報誌になってしまうのではないか程度の危惧しかしていなかったが、まさか引用のほとんどがカットされるとは思いもよらなかった。連載をよく見ると引用の出どころは徳間ではなくジブリだった。ということは版権もジブリなのだ。現在ジブリはとっくに徳間から独立しているが、なぜ『ナウシカ』の原作の版権は徳間ではないのか?
 一体何のために出版を朝日から徳間に移行されたのだろう。連載版では引用が出来ていた朝日がそのまま書籍化すればよかったものの、「週刊朝日」の休刊でそれどころではなくなったということなのか?要は”単行本を買った人で連載を読んでいない人は有料で読んでね”と言いたいのだろう。
 「おわりに」で「書籍化の話を持ち込んでくれた『徳間書店』」と太田が感謝を示す言葉がなぜか虚しく響いてくる。

 インタビュアーの人選にも興味がある。
 10年前に上梓された文春ジブリ文庫への対抗心があったのか?
 双方に関わっていたのは川上弘美のみで他の論者は文春からの選出はされていない。

 本書の人選も悪くはないが、文春ジブリ文庫で選出された論者を含めて、個人的に今回選出してもらいたかった論者もいる。この連載より前に朝日新聞デジタルに「ナウシカ論」を寄稿していた伊藤亜紗、アニメ版『ナウシカ』は『ヤマト』と構造が似通っていると言及する大塚英志、朝日新聞デジタルで「アニマゲ丼」を連載している小原篤、意地でも原作派に与したくない小谷野敦、ナウシカが卵を割ったことに言及する杉田俊介、自著『恋する原発』で『ナウシカ』全7巻の完全化を言及した高橋源一郎、全解読講座を開きたいと言っていた立花隆(もう不可能だが)、岩波の『図書』で「ナウシカ論」を赤坂と対談していた三浦しをん(一応五十音順)等等でキリがないが、本書で選出されなかったのは、いずれ「ナウシカ論」を単著で上梓すると解釈してもいいのかもしれない。

 尚、本書で燦然と輝く著者の1人、鈴木涼美は「自分の読書遍歴をたどる著書『娼婦の本棚』の最後に取り上げました」と率直に明かしている。実際に、本書の内容は自著での「ナウシカ論」とほとんど変わらない。「私が身を置いた「夜の街」にも腐海のような働きがある」とシャウトのような言葉には実感がこもっている。それでも「世界を善と悪の二つに分けて敵を容赦なく攻撃するようなことはしたくない」と言い切る様は、自分ごととしてとらえているので肌感覚で伝わってくる。
 ナウシカの母の場面の重さを決して読み逃さなかった杏も同様だ。「ナウシカが『母は私を愛さなかった』と語ったような話をしたとしても、私としては否定も肯定もせず『ああ、そうなんだ』と受け止めたい。『親だから大事にしなきゃだめだよ』とか『それでも仲良くしないと』と返すのは何か違う。」と訴える杏はまるで、母を語るナウシカとオーバーラップしてしまう。
 双方とも自分ごととしてとらえながら自分の読み方の変化も淡々として受け止める冷静さだけは決して崩さないのである。

カットされていた母と幼きナウシカ(連載版第13回「杏さんが思いを寄せるナウシカ”母は私を愛さなかった”という重み」)


 追記のようになってしまうが、気になったのは、太田が奥付にも著者としては名を連ねてはいないことだ。
 全てを統括し、最後には自身もインタビュアーを代表して論者として加わったにもかかわらず、編者にも朝日新聞社としてしか表示せず個人名は控えているのである。自著も朝日でなく文春新書で出したりしているので、大人の事情はややこしい限りだ。



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