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精神疾患と共存することの難しさ。

何だかまたしても前回の記事が
好評?だったようでとても嬉しく思っとります。
スキしてくださった方も本当に有難うございます。

実際に精神疾患を抱えている当事者で
精神科で働いている方って確かに多くはないので
結構需要あったりするのかな、なんて。

これからもこういった感じの仕事のことは
ちょこちょこと綴っていきたいなあと思いますので
今後ともどうぞ何卒よろしゅう。

ということで前置きはここらで終わらせて
本題に入りますけれども。

精神疾患と共存し、折り合いをつけながら
どうにかこうにかこの世界で生きていくことは
とても難しいことだな、と最近改めて感じている。

まず第一にあるのは、偏見の目。
「精神科に通院している」「精神薬を飲んでいる」
たったこれだけで周囲からの目線は大きく変わる。
そして「まともではない人」などといった
よくわからない変なレッテルを貼られるのだ。

だから自分のセクシャリティやジェンダーについて
オープンに話しているわたしでも
病気のことや薬のことは殆どの人に話していない。
何故って、知られたくないし話したくないから。

特に今までの経験から、医療業界は
精神疾患への偏見がとても強いように感じる。
今までも「うつ状態」と診断され休職した時は
休職明けにすぐ首を切られたりだとか
採用面接の際に、新卒で入職した病院を
半年で休職したこと、精神科に通院していたことを
正直に話してしまったときは毎回と言って良い程
その場で不採用にされてしまった。

まあ心身ともに健康でないとやっていけないような
仕事ではあるため仕方ないのだとは思うのだが。

正直なところこういった偏見の目だけでも
生きにくい世の中であることに
違いはないのだが、大変なのはこれだけではない。

次に出てくるのは
自分の調子を維持していくことの難しさだ。

今現在わたしは、ある程度状態が落ち着いていて
仕事も殆ど休むことなく何とか出勤できている。
しかし、少しでも気を抜いてしまえば
いつまた調子が崩れてしまっても
おかしくはないだろうなと自分では思っている。

それにむしろ状態が落ち着いているときの方が
わたしの場合は躁転しやすくなることが多いため
注意が必要だったりもするのだ。
わたしのよくある例で言うならば
調子が良いからと、定期薬を飲み忘れて躁転し
ついついはしゃぎすぎてしまったりだとかね。
そして一気に鬱転してしまったり。

また薬を飲む時間だったりも注意していかないと
朝全く起きられなくなることもあるため
常に自分の調子を崩さず維持していくためだけでも
実は結構な労力を使っていたりする。

調子を崩してしまえば、勿論仕事には行けない。
しかし病気のことは職場には言えない。
短期間で済めばまだ一応、何とかなるのだが
重い鬱が来てしまったときなんかはもう
そりゃあ仕事どころではなくなり、クビ一直線だ。

だから、仕事を続け社会で生きていくためにも
わたしは今、自分で自分の調子を維持していこうと
とにかく必死に足掻いて何とか毎日頑張っている。

あ、何故そんなに必死に足掻くのかって?
それは、今こうやって自分が
看護師として働けていることがとても嬉しいから。

それにわたしの周りの大切な人たちも
わたしが今看護師として働けていることを
とても喜んでくれていて、それがまた嬉しいから。

わたしが頑張っている理由なんて、それだけだ。

そして以前のこちらの記事のなかで紹介した
「K」も喜んでくれているうちの1人だったりする。

Kはわたしの病気のことを知っている
数少ない人間であり、わたしが調子を崩したときの
様子なんかも全て知っている人間だ。
だからそんなKが喜んでくれたこと、そして
看護師として頑張っていることを報告できたこと
それら全てがわたしはとにかく嬉しかった。

精神疾患に限らず、何かしらの疾患や障害を抱え
この世界で生きていくことは辛く厳しい道のりだ。
本当に本当に死にたくなるくらい大変だ。

でも、だからこそ見えてくる景色もある。
溢れてくる、湧き上がる思いがあったりもする。
だからきっとそれは、この辛さや苦しさ
生きづらさを経験した人だけが貰える
特別な贈り物だったりするんじゃないだろうかと
わたしは勝手に思っていたりする。

明日の自分がどうなっているのか
それすらわからない中で生きていくことは
正直とても不安だし、辛いけれど
でもこの喜びの感情を、特別な贈り物を
忘れずに大切にしながら、わたしは生きていく。

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