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詩で息をする/詩集『海女たち』をめぐるアサノタカオさんワークショップ

5年前。
新入社員のわたしは、女子トイレの鏡の前でアゴを懸命に動かしていた。
心の中では泣いていた。表情があまりに動かなさすぎて、表情筋をほぐしていたのである。

パワハラからのストレスで医師に「休職」を言い渡されたそのとき、「呼吸」も「声」も失ってしまっている状態だった。

さて、今わたしの目の前には韓国の詩人・許榮善(ホ・ヨンソン)さんが済州島(チェジュド)の海女さんの声を編んだ『海女たち』という詩集がある。



前書きは次の二文からはじまる。

それでも、人間は「スムビソリ(磯笛)」を吐き出さなければならないということ。
息をこらえてはいけないということ。

スムビソリ(磯笛)というのは、海女さんが息つぎのために海中から浮かび上がり、より多くの空気を吸い込むためにまず思い切り息を吐き出す、その瞬間に鳴り響く音のこと。

息をこらえてはいけないということ

これを読んで、あの新人の頃の呼吸のできなさを思った。

海女闘争、出稼ぎ・徴用、そして済州島の民の9人に1人が虐殺された四・三事件と耐え忍び、潜り続けた彼女たちの途方もない苦しみと、わたしの苦しみは比べようもないけれど。

息をこらえてはいけないということ。

これは、現代社会にも鳴り響くメッセージだと思った。

海女は水で詩を書く―『海女たち』作品紹介

『海女たち』(著者/ホ・ヨンソン 訳者/姜信子・趙倫子 新泉社)。

第一部「海女伝ー生きた、愛した、闘った」は詩人が海女ひとりひとりの物語を詩にしてわたしたちに語りかけ、命の詩を響かせる。

十六で海女になり 野辺送りを歌うとき

大きな心を持ちなさい
海ほどの心なくして
どうして歌で弔いができようか
                 「海女ヤン・グムニョ」より一部抜粋

第二部「声なき声の祈りの歌」は詩人ホ・ヨンソンがみずからの声で、海女たちの息づかいを歌いはじめる。

愛を抱かずして
どうして海に入られようか
そう
一度たりとも語ることをえなかったわたしの喉
沈黙の涙で胸を満たして どうして一生を波に揺られて生きられようか

       「愛を抱かずしてどうして海に入られようか」より一部抜粋

彼女たちの「生」はわたしたちの「生」。いちばん低いところから抑えがたく溢れ出る歌はわたしたちの歌。歴史や抑圧からすべり落ちてしまうちいさな、でもたしかな「声」が本から海底から鳴り響くよう。彼女たちの苦しみも、大きな愛と優しさも、歌になって。

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詩とゆっくり呼吸し、対話する。

7月某日、岡山のスロウな本屋さんの企画で、『海女たち』の編集者であるアサノタカオさんのオンラインワークショップに参加。

穏やかでやわらかな佇まいのアサノタカオさん。提唱されている「まずはざっとストーリーを読む→情景を思い浮かべながらじっくり読む→心にひっかかった一文に印をつける」という読み方を、参加者のみなさんと楽しみました。

小説はダイアログだけど、詩はモノローグ。詩は、自分が参加してゆっくり対話することができる、というアサノさんのことばが印象的でした。

実際、詩のなかで心にひっかかった文は10名ほどの参加者のなかでも多様だったし、同じ文を選んでも理由はぜんぜんちがう。それは、参加者それぞれ詩と対話した結果。

同じ詩を同じ人間が読んでも、そのときどきで心にひっかかる文はちがうので、何度もくりかえし対話が可能になる。それも、詩のよさだなぁ。

詩とゆっくり呼吸をする。
海女さんたちが「それでも」息をこらえなかったように、今でこそ深い息を。

わたしが冒頭のように「声」と「呼吸」を失ったときも、すこしずつそれらを取り戻させてくれたのは詩だった。

アサノさんの提唱する読み方は、詩のことばと自分と向き合うのにぴったりの方法でした。

なぜ詩が大切なのか?
 

最後に、詩集だけではなく料理や旅の本の編集もしているアサノタカオさんが「詩が大切だ」と感じる理由についてお話がありました。

世の中に悲惨なことつらいことが蔓延していると、心がさらわれそうになってしまう。詩の一行一句をもっていると、流されない気がする。

わたしは画面越しに深く何度もうなずきました。
「心がさらわれそうになってしまう」とき、詩は杖になる。

戦後の焼け野原でも終戦の翌年には詩が発表されたこと。
3.11のとき、新聞の一面に谷川俊太郎さんの詩が掲載されたこと。

詩のことばは、余白をもって「わたし」に問いかける。
そのとき、詩によりかかって、流されずに自分を保っていられる。

”教養は幸運なときには飾りとなるが,不運の中にあっては命綱となる”

これはアリストテレスの言葉。詩は命綱なのだ、たぶん。
心が流されないための。

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息をするための詩

ワークショップに参加した夜のこと。

いつも元気な東京の友人から心細そうな声で電話がかかってきました。
今の時代、どうなるかわからなくて不安がはちきれそう、と。

みんな、「息」してますか?
心さらわれそうになっていませんか?

わたしは「詩のソムリエ」をしているけれど、「ヘイみんな、詩を読もうぜ!」と言ったことは、実は、一度もない。

おいしくご飯を食べて、笑って、ビールを飲んで元気ならそれが一番。
でもこのときばかりは、「ねぇ、詩でも読まない?」と言っていいのかも、と、ちょっと思ったのです。
だって、「心さらわれそうな時代」だもの。

『海女たち』の前掲した引用箇所は、こんな一文でしめられています。

済州の海の「スムビソリ」が皆さんの人生の海に鳴り響いて絶望の瞬間には人生の希望と慰めになりますように。

彼女たちの「息」づかいが、愛が、この詩集のなかに溢れていて、力強く水底からすくい上げてくれる。

泣かないで 
待っていなさい

わたしの深い息で おまえたちのかぼそい指をつかんでやろう
「海女 メオギ」より一部抜粋

彼女たちもとくべつ強い人間じゃない、ふつうの人。たくましくならざるを得なかったひと。

不遇のなかでも生き、戦い、愛を抱いて海に入った彼女たちのスムソビリに、声をうけとって歌い出したホ・ヨンソンさんに、やわらかく、でも勁く、励まされるような詩のじかんでした。

ちなみに、命をむき出しにして潜ることは危険が大きいため、海女さんたちは仲間とともに漁をします。互いのスムソビリを聞き分け、存在を感じながら潜るとのこと。

これもまた、現代をサバイヴするための示唆に富んでいるような気がします。

アサノタカオさん、スロウな本屋の小倉みゆきさん、ご一緒させていただいた参加者のみなさん、ありがとうございました。

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■アサノタカオさんブログ

■スロウな本屋(『海女たち』もここで購入できます)

Photo by Abdullah Ghatasheh from Pexels(カバー)


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